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理想のお姫様  作者: 香坂 みや
本編

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44 過去と現在

「――私の名前は高山慶一(たかやまけいいち)。職業は政治家の秘書をしていました」

 ぽつりぽつりとオービニエール伯爵は語り始めた。


 高山慶一の家庭は、なんでもない一介のサラリーマンの家だった。政治家なんて職業とは縁も所縁もなく、そして金が特別あるわけでもない極々普通の家だ。

 そんな彼が政治家を志すようになったのは高校生の頃。子どもの頃から思い描いていたような夢ではなく、進路を考えていた頃に教師や同級生に勧められたのだ。彼は当時生徒会に所属していたが、自画自賛でなく統率力のある生徒だった。そしてそれが当然のように自分の道であると思うようになり、政治家になるための最短ルートであろうコースを選ぶようになった。

 しかし高山は政治家を志したものの、自身育ったの家庭は本当に普通の一般家庭でしかなかった。そのために資金面や家柄、血筋などでは圧倒的に他の人に劣る。そのためにとりあえず多くの政治家を輩出する名門大学に入学した。私立の大学ではあったが、高校生の時の活動や学力などが認められて学費は免除になった。関連のサークル活動をこなし、勉強も欠かさずにトップレベルをキープした。

 そして大学を卒業すると多くの同志たちと、政経塾へ入塾した。政経塾では四年ほど寮生活を強いられるが、元々一介のサラリーマン家庭である高山にとっては大した苦ではなかった。入塾するにあたり入学金や授業料などのお金は必要なく、むしろ入塾している間は給料ではないが大卒の初任給程度の研究活動資金が出る。そして様々な講義を受けたり、実践的な政治活動を行う。そうこうしているうちにあっという間に四年は過ぎて、入塾中に知り合った代議士の先生の所で第二秘書となった。


 最後の記憶では27才であったと記憶している。死因は単純に交通事故だった。

 第二秘書だった高山は先生を料亭に送って、第一秘書を残して所用を済ますために一人で自動車を運転していた。連日の寝不足が続いてはいたが、疲労のピークとまで言うほどではなかった。赤信号で車を一時停止し、束の間の休息だと欠伸を一つ漏らした。その瞬間、眩しい光に包まれたと思ったら全身に衝撃が襲った。高山は確かに左車線の定められた場所に停まっていたので、明らかに対向車のミスだった。

 そして次に気が付くとまともに身動きもできない、赤子の姿になっていた。両親らしき大人が話している言葉も理解できず、自分が何か話そうとしても泣き声にしかならない。

 それは紛れも無く、絶望でしかなかった。


 自分にとって、まさにこれからようやく政治家として歩み始められるかもしれないというところだったのだ。その矢先での突然の命の幕引き。先生を車に乗せている時の死でなかったことは幸いだったが、それでも自分の政治を行う機会もないまま終わってしまったのが悔やんでも悔やみきれなかった。


「オービニエール伯爵は交通事故だったのですか。……、私はもう前の生のことはほとんど覚えていないのです。自分の両親だった人の顔も、自分の名前も。ときどきぼんやりと思い出すこともあるのですけど、それも本当にたまにで。私は自分の死因も分かりません」

 リリアナは不謹慎ながら少しだけオービニエール伯爵が羨ましいと思った。現在のリリアナには前の人生の思い出は限りなく少ない。はっきりと覚えていることも断片的で、しかも漫画の話についてが多い。自身がどのような人生を送ったのか、そしてどのような人と生活をしていたのかも分からない。自身の両親についてだって名前どころか顔すら思い出せない。そして自分がどのような最期を迎えたのかも。

「殿下、それは貴女が悔いのない人生を送ったということです」

「え?」

 表情を翳らせるリリアナにオービニエール伯爵はすっかり刻み込まれている眉間の皺を僅かに緩ませて微笑んだように見えた。目尻をほんの僅かに下げて、その瞳は酷く優しい。

「私は前の人生に悔いばかり残してしまった。だから前のことばかり覚えているのでしょう。私はリシャール・オービニエールではなく、今もリシャール・オービニエールの皮を被った高山慶一なのですよ。今の私は前の人生で出来なかったことを、今の人生でやり直しているに過ぎません。貴女が前の人生を覚えていなくても良いではありませんか。今の貴女は誰でもない、リリアナ・メル・フォンディア殿下なのですから」

「……!ありがとうございます。そう、ですね。私は私、ですわね」

 オービニエール伯爵にかけられた言葉はリリアナの心を救った。今までずっと、前世での家族のことや自分のことを思い出せないことが心苦しかった。あの時の自分を大事にしてくれていた人のことを名前どころか顔すら思い出せない。

 しかし、それも当たり前なのかもしれなかった。

 今のリリアナには『偶然』前世の記憶を持ち合わせていたが、そうでない人の方が圧倒的に多い。こうして同じ国で生きた記憶を持つオービニエール伯爵のような人と出会えたことも奇跡のような話なのだ。


「オービニエール伯爵は……、今の人生に満足していらっしゃいますか?」

「はい。前世ではできなかったことをできていますからね。それに前は持ち合わせなかった、家柄や資金もある。これがあるだけでどれだけ政治がやりやすいのかと思い知りましたよ」

 オービニエールはそう言って苦笑を漏らす。

「そうなのですか?」

「資金集めに奔走することも、聞いたことのない名前だと侮られることもありませんからね。オービニエール家というだけでできることは多い。……それはリリアナ様もよくご存知でいらっしゃるのでは?」

 その瞬間、伯爵の瞳がリリアナを見定めるかのように見た。その鋭いほどの視線にリリアナはすっと背筋を正し、オービニエール伯爵を見た。先ほどまでの穏やかな雰囲気から一変し、リリアナが知る恐ろしい印象のオービニエール伯爵になった。気を抜くとリリアナは彼のいいようにされてしまいそうだ。自身を心の中で鼓舞し、言葉を選んだ。

「……確かに。私は今の私だからこそできることがあると思っています。オービニエール伯爵、どうか私にお力を貸していただけませんか?」

「私ができることなんてあるのでしょうか?」

 彼の視線はリリアナを探るかのようだ。リリアナの言葉一つ一つをよく吟味し、リリアナを見定めようとしているのが分かる。

「それはもちろん。私がこの国で庶民のための学校を作ろうとしているのは貴方もよくご存知のはず。特にオービニエール伯爵であれば、庶民のための学校がどのようなものかご理解いただけるのではないでしょうか」

 同じ国で前世を過ごし前世の記憶がはっきりしているオービニエールであれば、むしろリリアナよりも庶民の学校というものがよく理解できるのではないかと思った。

「『学校』というものはよく理解しております。私も前世では庶民から政治を志した人間でしたしね」

「オービニエール伯爵、どうかお願い致します」

「……殿下に頭を下げられては困ります。貴女が命じれば、私は断ることはできません。私にお命じになられたらよろしいではありませんか」

 いくら非公式の場とは言え、頭を下げたリリアナにオービニエールは困ったような顔で言った。

「私は一人では何もできません。しかしだからこそ、私と一緒に考えて行動してくれるような人を必要としています。ここにいるローレンスも立場は私の臣下ではありますが、貴重な意見をくれる仲間だと思っています。この国では確かに身分制度があり、私は伯爵よりも身分が上でしょう。貴方に命じて従わせるのは簡単です。しかし、それではこの国は変えられないのではないでしょうか?」

 伯爵の目をまっすぐ見つめ、一言一言を丁寧に話した。

 リリアナには権力はある。しかし、いくら前世での知識が多少はあるとは言え、リリアナ自身は特別な能力のある人間ではない。それを彼女自身が一番よく分かっていた。こうしてここまで進んでくることができたのも、ローレンスやジゼルなど手伝って、助けてくれる人がいるからだ。

「……リリアナ様には敵いませんね。分かりました、微力ながら私にお手伝いさせて下さい」

「――ありがとうございます!」

 こうしてリリアナはオービニエール伯爵に色好い返事を貰うことができた。

 それから少し話をしてから、リリアナはローレンスを伴って自室へと戻る。すっかり遅い時間になってしまったので、廊下から見える景色は暗く、昼間のように遠くまで見通すことはできない。


「――リリアナ様」

 名前を呼ばれて振り返ると、ローレンスが立ち止まってリリアナを見ていた。

「どうしたの?」

「先ほどの話のことなのですが」

「ええ?」

 首を傾げて聞き返すと、ローレンスは言い難そうに少しだけ間を置いた後ようやく口を開いた。

「――あの場限りの言葉だったとしても……。リリアナ様に『仲間』だと仰っていただけて、もう思い残すことはございません」

「あの場限りの言葉なんかじゃないわ。それにしても、どうしたの?思い残すことはないだなんて縁起でもないわよ」

 それはリリアナの本心だ。身分制度というものは今の時代を生きてよく分かっている。だが、身分という枠を越えて仲間だと思えることは前の人生のおかげなのかもしれないと思う。

「そういうつもりではなかったのですが。どうか、最期までお供させて下さいませ」

「当たり前じゃないの。ローレンスのことは一番頼りにしてるのよ?途中で抜けられたら私の方が困るわ」

「一番……そうですか。……お時間を取らせてしまい申し訳ありません。行きましょうか」

「ローレンス……?」

 リリアナが困った顔で応えれば、ローレンスは吹っ切れたような顔でふわりと笑って先を歩き出した。リリアナはローレンスの後ろを慌てて追って、ローレンスの背中を見つめる。心なしか足取りは軽く、今まで張り詰めていたような空気が少し柔らかくなったように感じた。

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