35 諦めは肝心?
「――リリアナの言った通りに調べてみたわ」
「ルシール姉さま、ありがとうございます!」
リリアナの部屋にやって来てソファに座るなりのルシールの言葉にリリアナは立ち上がって喜んだ。リリアナは王族で貴族との付き合いも深いとは言え、リリアナ自身はほとんど付き合いがない。そんなリリアナがあれやこれを調べようにも無理があるというものである。そのため、貴族との付き合いがあるルシールに調べものを頼んでいた。そしてそれはリリアナがフリアンに行っている間に終えてくれていたらしく、こうしてルシールが部屋を訪ねて来てくれたというわけだ。
「もう。本当に気取られないように聞くの大変だったんだからね?」
「それは……すみません」
「いいわ。その代わり、今度リリアナのドレスを選ばせてくれたら許すから」
申し訳無さそうに謝るリリアナにルシールは唇をにっと引き上げて艶めかしく笑う。ルシールの出した条件はリリアナのドレスを選ぶというものだ。ルシールならば言いかねないと思っていたことであったが、やはり少し気後れする。センスの良い姉が自分に変なものを着せるということは考えにくいが、それでもどうにか回避できないかと考えてみるが姉の表情を見る限り無理そうだ。
「それは断ることはできないのですよね……?」
「当然でしょ。私、前からリリアナにドレスを選んでみたいと思ってたのよ。ね、ジゼルも賛成でしょう?」
「はい。私もルシール様に賛成ですわ!どうぞルシール様のお好きなようになさって下さい」
「ジゼル!」
戸惑うリリアナを他所に、ジゼルはにっこりと笑ってルシールに頷いた。裏切り者、と心の中で呟いてジゼルを見るがジゼルはそんなリリアナには気付いていないといった顔を装っている。どうやら味方はいないらしい。リリアナは動きやすさを重視して簡素なドレスばかりを好むので、それをジゼルが好ましく思っていないのは知っていた。一体どんなドレスを着せようとしているのかと考えながらルシールを見る。
「別にフリルでゴテゴテに飾ろうだなんて思ってないわよ?そういうのは子どもっぽいし、逆に安っぽいもの。大丈夫。私にまかせなさい。リリアナをとびきり美しくしてあげるわよ。その方がローレンスも喜ぶでしょう?」
「私はいつもお美しいと思っておりますので」
ルシールはちらりとローレンスを見た。ローレンスは何でもないような、しれっとした顔で言い放った。そんなこと考えたことのないような顔で当たり前のように言うので、不意打ちにリリアナの顔は赤く染まる。それを見てルシールはまた楽しそうに、手持ちの扇で口元を隠しながら声を上げて笑った。
「あはは!いいわねぇ。私もこんな従者が欲しいものだわ」
「もう。……分かりました。姉さまに任せますわ」
にっこりと満足そうに笑う姉に、諦めて小さく笑みを返して頷いた。
「ええ。それでは話を始めましょうか。まず貴族たちが平民が文字を覚えることにどう思うかだったわね。それについては人による、といったところね。貴族達の反応も様々みたいだわ」
「様々、ですか」
「ええ。領民が下手な知識を付けることを恐れるものもいれば、知識を手に入れて国が豊かになることを期待する者もいるわ」
ルシールが話したことはリリアナが想像していた範囲のことだった。平民が知識を身に付ければ、それよりも賢くない者が支配しようとするのは難しい。平民が知識を身に付けたのならば、それを支配しようとする者はそれ以上の知識を身に付けなければならないだろう。
リリアナは不安だった。自分がやろうとしていることは本当に正しいのだろうかと。自身が信じた道をまっすぐそれだけを見つめて進んできた。だが、リリアナがやろうとしていることは国を転覆させる恐れもあることだ。知識を身に付けた平民が反乱を起こすかもしれない。平民が知識を身に付けることを恐れる貴族が争いを生むかもしれない。
それでも国全体が知識をつけたフォンディアは豊かな近代的な国へと成長していくことだろうと信じたい。今すぐにとはいかずとも、皆が豊かで暮らしやすい国になれるはずなのだ。
「リリアナ様。大丈夫です。きちんと頭の回る貴族であれば今のフォンディアの状況が良いものだと思ってはいないでしょう。武力に関してはガルヴァンに劣っております。今はガルヴァンに助けてもらうという形を取っておりますが、それは何かあった時にかの国に従属させられてしまう可能性もあるということです。他に強みを作らなければいけないのです」
リリアナに声を掛けたのはローレンスだった。よほど難しい顔で考え事をしていたのだろう。ローレンスは優しく微笑んでリリアナを見ていた。
「そうよ。信頼できる者にも探らせてみたけれど、本当に嫌がっているのは一部ね。そして嫌がっているのはよほど無理な徴税や扱いをしているという証拠でもあるのよ。これを兄様に教えたら喜ぶんじゃないかしら?」
「そうです。ギルバート殿下は細やかに徴税の管理を行っておりますので、フォンディアでは無理な徴税はほとんど行われていないはずです。そのため平民が知識を付けたからと言って、平民による反乱がすぐに起こるかと言えば可能性は低いでしょう。私の方でも平民の方を探ってみていますが、今の所は政治に対しての批判は大きくはないですね。ギルバート殿下に代わられてから良くなったと話す者もいるくらいですし。こちらの資料をどうぞ」
ローレンスはそう言いながらリリアナへ数枚にわたる資料を渡してきた。小さな字でびっしりと書かれたそれにざっと目を通すと、概ね今ローレンスが話したことが書かれているようだった。
「それなら良いのだけれど……。そうね、私たちの民を信じましょう」
リリアナの言葉はまるで自分に言い聞かせるようなものだった。だがリリアナの言葉にローレンスやルシールたちが頷いて微笑んでくれるのが心強い。
「そういうこと。だから、明後日の舞踏会には貴女も出席なさいね?」
「――え。明後日って明後日ですか?」
にっこりと笑みを作った姉を見て、リリアナは顔をひくりと強張らせる。こういう表情をしている姉は頑なに自分の意見を曲げない。鉄壁の顔なのだ。
「そうよ。そんなにお堅い会ではないから大丈夫」
「でも、私出席の返事をした覚えもありませんし。突然行くなんて迷惑がかかってしまいますわ」
リリアナが王宮へ帰って来たのはつい昨日のことだ。舞踏会の話は聞いた覚えもあるが、出席と出した覚えは無い。突然の出席にも準備をする者たちには迷惑がかかるだろう。何しろ、それに向いたドレスを準備もしていない。リリアナは国の姫であり、貴族の子女ではない。下位の令嬢であれば問題ないであろうが、新しいのを買うわけでなくても少しは飾りを変えたりしないといけないだろう。
「大丈夫。王女に文句を言える人間なんてこの国で何人いると思ってるの?」
「それは……」
ルシールの言うことは尤もである。ぐうの音も出ないリリアナに畳み掛けるようにルシールは口角を上げる。
「諦めなさい。ドレスは私のを貸してあげるわ。リリアナの趣味とは違うでしょうけど、いっそ髪型や化粧も変えて仮装気分でいいじゃない!ね、ジゼル?」
「はい!私も賛成でございます。今から腕が鳴りますわ!」
そう言うと、ルシールとジゼルは悪巧みでもするかのように悪い笑みを浮かべて二人で相談を始めた。時々漏れ聞こえてくる言葉に嫌な予感を感じるが、リリアナにはそれを止める術はない。
「リリアナ様。諦めが肝心です」
「……じゃあ、貴方もちゃんとめかし込んで来てちょうだい」
「私もですか?」
リリアナに同情するような顔で言ったローレンスにリリアナは八つ当たりするかのように言う。どちらにしろ、明後日のエスコート役はローレンスになるはずだ。リリアナがルシールのおもちゃになるのであれば、ローレンスも道連れというわけだ。
「ちゃんとローレンス様の服装も考えておりますのでご安心下さいね」
リリアナの言葉を援護射撃するかのように、ジゼルがにっこりと笑って告げる。その言葉にローレンスはがくりとうな垂れた。
「諦めなさい、ローレンス?」
「……はい」
そう言って二人で顔を見合わせると小さく苦笑を浮かべる。願わくば、あまり派手な格好にならなければ良いのだがと考えながら。




