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理想のお姫様  作者: 香坂 みや
本編
33/61

32 道の先に

 そしてヴィルフリートがガルヴァンへ帰る前の日になった。ヴィルフリートとの最後の晩餐も終え、夜もすっかり更けている。すでに寝支度は整えられ、侍女たちは皆部屋から下がった。最後にジゼルが入れてくれたお茶のティーカップの中で花弁がゆらゆらと揺れている。リリアナはそれを飲むでもなく何となく眺めていた。

 寝る前の日課である読書をしていたのだが、先ほどから一向に文章が頭に入って来ないのだ。ついに本を閉じたリリアナは本を置いて、ティーカップを手に持っていた。侍女の誰かが居たら行儀が悪いと言われてしまうかもしれないが、冷えかかった指先を温めるようにティーカップを両手で包むように持っている。

 本の内容の代わりにここ数日の出来事が次から次へと頭の中に流れていた。

 月夜の晩にヴィルフリートと初めて出会ったのはもう大分前のことのようだ。彼は姉のユリシアに恋心を抱いていた。冷酷で恐ろしいと聞いていた噂とは違って、とても優しい人だった。漫画の中では急に姉を攫ってしまう人なのに、話してみると彼も自分と同じように色々と悩んでいるのが分かった。そして舞踏会のエスコートをしてもらい、一緒に踊った夜の事は照れや恥ずかしさもあったが今思えばとても楽しかった。ディカードに赴いて視察に同行した事はリリアナ王女としても良い経験になった。そしてディカードで告白された事はまるで昨日のことのように思い出せるし、きっと一生忘れられないだろう。

 その全てがリリアナにとって生まれて初めての事だった。前世でだってリリアナが体験したことのないことだ。

 リリアナははっと思い立ったように立ち上がると、さっと上掛けを羽織った。そしていつかのように窓辺に近寄るとさっと辺りを見渡して、人が居ないことを確認すると壁の突起を利用してそっと静かに下へ降りた。


 そしてやって来たのは王城の裏手にある庭園だった。よく手入れが行き届いており、几帳面なくらいに整えられた庭園はしんと静まり返り、月の光に照らされて神秘的なくらいに美しい。

「……やっぱり、居ないわよね。明日出立だもの」

 心のどこかでヴィルフリートともう一度話したいと思っていた。もう少し話してみたら彼のことをもっとよく理解できるのではないかと思ったのだ。だが、その人はいない。初めて出会った庭園でもしかしたら最後に一度会えるのではないかと思った。

「そう上手くはいかないわね」

 ぽつりと呟いて踵を返そうとしたリリアナに声がかかる。

「――リリアナ様!お探し致しました」

 現れたのは待ち人ではない。息を切らし呼吸を整えながら傍へ駆け寄って来たのはローレンスだった。

「どうしたの。こんなところまで」

「どうしたの、じゃありませんよ。お部屋にいらっしゃらないので、慌ててお探ししていたのです。お出かけになるならお声をかけて下さい。ここに居られてよかったです」

 ローレンスはそう叱るように言い切ると、ふうと呆れたようにため息を吐いた。確かに居るはずの主人が部屋に居ないとなると焦るのも道理だろう。リリアナは急に申し訳ない気持ちになってしゅんとうな垂れた。急に部屋を抜け出したのにその人にも会えず、さらに従者に心配をかけるなんて。

「心配かけちゃったみたいね。ごめんなさい」

「いえ。ご無事なら良いのですよ。もう少しこちらにいらっしゃいますか?」

 ちらりと一瞬、ローレンスの視線が庭園に走ったのが分かった。他に誰かいないかを確認しているのだろう。

「……いいえ。もう戻るわ」

「そうですか?それでは行きましょう。あまり夜風に当たりますと体が冷えてしまいます」

 リリアナは首を横に振ると、そのままローレンスに連れられるまま部屋へ戻る。すっかり温かい季節だと言うのに、今日の夜風はやけに冷たかった。


 天気は快晴。風は僅かに吹いているが、さらさらと心地よいくらいの風だ。既に馬車の準備はできて、荷物もすべて積み込みが終わっている。ヴィルフリート付きの従者たちはまだばたばたと動いている人も居るが、ほとんど帰る準備は完了しているようだ。

「それでは、お気をつけて」

 ヴィルフリートの顔はリリアナからは見上げる位置にある。その顔を見上げることすらもう無くなるのかもしれない。

「ああ。あの「――あの!」」

 ヴィルフリートと言葉が重なってしまって思わず赤面する。

「何だ?」

「いえ。私のことは大したことではありません。ヴィルフリート様のお言葉を遮ってしまって申し訳ありませんでした。何でしょう?」

「またすぐにフォンディアに戻ろう。フォンディアとガルヴァンの関係は思っていたよりも改善しているようだから」

 そう言ってヴィルフリートはにやりと笑う。

 確かにリリアナもヴィルフリートと親しくなってから同じように思った。もっと冷えた関係だと思っていたが、リリアナが思っていたよりもガルヴァンとの関係は改善されてきているのだろう。お互いの国の間に表立った戦が無くなったのは、王と王妃が婚姻を結ぶ少し前のこと。それから三十年ほど経過したが、何事も時が解決してくれたのだろう。

「――そうですね。またきっとすぐにお会いできますよね」

 それは自分に言い聞かせるような言葉だった。ヴィルフリートへ抱いている気持ちは今だ輪郭があやふやでふわふわしたものだ。だが、それは冷たく鋭いものではなく、温かい温度を持っている。せっかくこの気持ちに気付けたのに、もう彼に会えなくなるのは悲しかった。

「ああ。第三王子という立場は結構自由なものでな。すぐにフォンディアを訪れる用事を作ってみせるさ。リリアナ様に忘れられたら敵わないからな」

「そんな。忘れるだなんて……」

 リリアナがヴィルフリートのことを忘れることはないだろう。そう思って慌てて首を横に振ると、ヴィルフリートは楽しそうに笑った。

「はは。その言葉を聞けるだけで今は満足だ。それでは、名残惜しいがそろそろ行かねばなるまいな」

「はい。お気をつけて」

 にやりと笑ったヴィルフリートにリリアナはしっかりとした声色で言葉をかけた。

「――リリアナ様もお元気で。どうか私のことを忘れないでくれ」

 ヴィルフリートはそう言うとさっとリリアナの手を取って、その甲に唇を落とした。

「えっ、ヴィルフリート様!?」

 その口づけはリリアナの手袋越しのものだった。だがリリアナに動揺を与えるにはそれで十分すぎるくらいだった。

 この国では年頃の男女間の接触は限りなく少ない。それこそ幼い頃であれば兄妹での触れ合いもあるだろうが、リリアナたち王族にとってはそのような接触というのはあまり機会のないことだ。だからこそ、リリアナにとって例え手の甲であろうとも唇をつけられるのは特別なことだった。

「はは。ではな」

 そう言うと悪戯が成功した子どものように楽しそうに笑って、颯爽と馬車に乗ってしまった。残されたリリアナはただじっとその馬車が見えなくなるまで見送っていた。

「…あらあら。お二人共周りのことなんて見えていないんですのね。ふふっ」

 その声にはっと振り返ると、後ろに女神のような笑みを浮かべたユリシアが立っていた。今の衝撃で忘れてしまっていたが、今日はヴィルフリートを送るために予定の無い王族は見送りに出ていた。その予定の無い王族はユリシアであった。つまり、今の出来事は全て姉に見られていたということで。

「ゆ、ユリシア姉さま!」

「ヴィルフリート様は他国の方だけれど、とても素敵な方ですもの」

「そういうわけじゃ」

「ふふ。そうね。そういうことにしておきますわ」

 まるで林檎のように赤くなった頬は既に隠しきれるものではない。ユリシアはそんなリリアナを嬉しそうに見つめ、そっとリリアナの手を取った。

「姉さま?」

「想って下さる方が居るなんてとても喜ばしいことではありませんか。彼の国にとってはフォンディアはそう影響力の強い国ではありません。あの方自身が貴女を好いてくださっているということですもの。王女という身分以外の部分を愛してくれる人がいるなんて嬉しいことでしょう?」

「……はい」

 ユリシアが優しく微笑むことが出来る理由が分かったような気がした。彼女が何があっても優しい笑みを浮かべていることができるのは、婚約者のランベルトの存在があるからこそなのだろう。

 彼女が結婚をしてしまえば、ユリシアの王家の威光はあまり期待できないものになるはずだ。彼女は王族から貴族の立場になるのだから、ランベルトの家名に箔が多少付くくらいのものでそれ以上の期待はあまりできない。すでに騎士団長という名誉のある職に就いている彼であったが、元々は彼自身が名誉というのものに興味があるような人間にはあまり見えなかった。現場で働く方が好きだと言っていた彼が団長にまでなろうと思ったのはユリシアと結婚したいというその一心なのだ。

 ユリシアは自分という人間を好きだと言ってくれる人がいること、そしてそれは自分も愛している人だということが支えになっているのだろうと思った。

 まだふわりとしたこの気持ちがいつかユリシアのように形になる日が来るのだろうか。そんなことを思いながらもう馬車の姿も見えない道の先を見つめた。

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