30 特別な感情
王都まで帰路最後の休憩をとることになり、王子と王女のためにと張られた天幕の中で少しの間だけ二人きりにしてもらえるようにジゼルに頼んだ。ローレンスは最後まで顔をしかめて渋ってはいたが、少し声を上げれば聞こえる天幕外のすぐ傍で待機することで折り合いをつけた。
間もなく王都に着いてしまう。その前にヴィルフリートに話しておかなければならないことがあった。王都に着いてしまえば、ヴィルフリートは国に帰る準備がある。そのため彼とゆっくり話をする機会はなくなってしまうかもしれない。彼と話すには今しかなかった。
先ほどジゼルが天幕を出て行く前に入れてくれたお茶からほかほかと湯気が立っている。それを眺めながら頭の中で話す言葉を整理していた。
「もうじき王都ですね」
「ああ。そうだな。……この間の答えを聞かせてくれるのか?」
独特な空気になっていると思う。その空気を感じ取ってか、ヴィルフリートがふいに口を開く。どきりと胸が鳴って、緊張がリリアナを支配する。心を落ち着かせるように息を深く吸ってヴィルフリートを見た。
「――真に申し訳ありません。お話をお受けすることはできません」
ようやく出た言葉に声が震えた。いくら内々の話だとしても、国と国の話だ。リリアナの答え一つで国にわだかまりが生まれる可能性もあった。そのことがリリアナをさらに悩ませた。だが、フォンディア王に話を通す前にリリアナに言ってくれたヴィルフリートがそのようなことをするとは思えなかった。だからリリアナはヴィルフリートを信じて、この答えを出した。
「そう、か。せめて理由を聞いても?」
ヴィルフリートはふうと息を吐いて、すぐに取り繕った様子でリリアナを見た。
「私には成し遂げたいことがあります。それが終わるまで結婚は考えられないのです」
「……それは私が嫌で結婚したくないというわけではないのだな?」
「はい。それはもちろんそうです」
その言葉に嘘偽りは無かったが、あまり深く考えずに何気なく答えたリリアナの言葉にヴィルフリートはにやりと口角を上げる。
「なるほど。分かった。貴女のすべきことが終わったらまたリリアナ様に求婚しよう」
「え?ええ?」
それは一度聞いただけではすんなりとリリアナの頭に馴染んでくれなかった。この話はてっきりなくなってしまうものだと思っていたリリアナの頭には疑問符ばかりが浮かんでいる。それ程までにヴィルフリートの言葉はリリアナには理解できないものだった。
「残念ながら私はリリアナ様に惚れてしまった。これでも一途さには自信がある」
「……わ、私をですか?ヴィルフリート様が?何故ですか?」
我ながらきょとんとした顔をしているだろうと思った。ヴィルフリートに求婚をされたものの、そこに恋や愛と言った言葉が絡むものだとは僅かにも考え付いていなかったのだ。自分が誰かに恋をすることが想像もできなければ、誰かに愛しく思われることがあるなんて微塵も考えもしなかった。恋や愛という言葉は自分にとって関係のない言葉、別の世界の話だと思っていた。
「確かに国のための婚姻でもある。だがそれだけではなく、私自身がリリアナ様と人生を共にしたいと思っている」
「ヴィルフリート様が……」
「ああ。私は本気だ。それだけは忘れないでくれ」
ヴィルフリートの瞳は真剣そのものだった。
「でも。私にヴィルフリート様からそのような気持ちをいただく理由がありません」
リリアナにとって、ヴィルフリートの言葉は全く思い当たる節がなかった。彼がフォンディアに来てから何度となく言葉を交わした。だがその話の中心は姉であるユリシアのことだ。彼がリリアナのことを好きになってもらえるだけのことはした覚えがなかったし、好きになってもらえるような魅力にも心当たりがない。
初めは優しく穏やかなユリシアのことが好きだったはずであったし、美しく快活なルシールであれば一目で惚れてしまうということもあるだろう。だが、リリアナは二人の姉とは全く違う。地味な服装が好きで、女であるのに学校を作ろうなんて考えている。自分が姫らしくないことには自覚があるし、見目も劣っているのに着飾ることが好きではないので姉たちのような女性らしい魅力は少ないだろう。
「理由ならいくらでもあるさ。貴女の意志の強い瞳も、しなやかな髪も愛しい。そして優しく国民を憂う心のなんと美しいことだろうか。さらに――」
「――!も、もう結構です!」
かぁっとまるでバラの花にでもなったかのようにリリアナの顔は熱を持って赤に染まっているだろう。とてもではないがヴィルフリートの言葉を聞いていられなくなったリリアナは慌ててヴィルフリートの言葉を遮った。
「リリアナ様が理由を知りたいと話されたのではないか。ヴィルフリート・ガルヴァンが貴女を愛しているのだ。どうか自分を卑下にする言葉は止めてほしい」
「ですが。とても信じられなくて。姉さまなら分かりますけれど、私なんて何てことないただの人ですもの」
卑下するなと言われてもリリアナには自信がない。姉なら分かるが自分がヴィルフリートに好かれているということがとても信じられなかった。
「確かにリリアナ様は他の王子や王女たちとは違うだろう。だが、リリアナ様にはリリアナ様の魅力がある。貴女には人のために何かしたいと思い行動に移すことができる力がある。……そして私も、そんな貴女に救われた一人だ。それをお忘れなきよう」
その視線に縛られたように視線を外すこともできなくなり、リリアナは言葉を返すこともできずにただ頷き返すことで精一杯だった。
ヴィルフリートの言葉はしっかりとリリアナの心に残った。
リリアナはずっと自分を認めることができなかった。頭の切れる兄のギルバートはすでに政治の中心に居て、次期国王として立派に役目をこなしている。控えめで心優しい長姉のユリシアは慈善活動に熱心で、国民と直接触れ合って国民の心を掴んでいる。次姉のルシールは美しい容姿だけでなく、社交的で快活な性格で貴族達と上手く付き合っていて円滑な政治へ役立っている。
リリアナには三人は自分と違っていつも輝いているように見えていた。生まれた時に違う記憶を持っていたのでどこか自分の人生が他人事のように思えた。そのせいだったのか自分だけが家族の歯車から外れていて、彼らは全く違う種類の人間かのように感じた。リリアナにとって三人は眩しすぎるくらいの存在だったのだ。
だが今は一人で勝手にいじけて引き篭もってばかりだった数年が悔やまれた。彼らだって初めからああではなかったはずなのに、それを認められず自分と上の兄妹たちは違うのだと決め付けていた。普通の自分には兄や姉たちとは違い、魅力は無いのだと。
だがリリアナにも魅力があるとヴィルフリートが教えてくれた。自分には自分の良いところがある。リリアナの心はいつになく優しく温かいものに包まれていた。自分を認めてくれる人がいるというのはこれほどまでに嬉しいことだとは知らなかった。
ヴィルフリートの言葉はリリアナに新たな感情をもたらした。
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