27 記憶の樹
王都から南方へ馬車で二日ほど進むとディカードがある。馬で駆ければもっと早く着くのだろうが、王女と隣国の王子が公式訪問するのにそのような手段を使えるはずもない。もっともリリアナは乗馬程度なら可能であっても、駆け馬となると苦手であるのだが。
その途中で馬を休ませるために休憩を取ることとなった。馬車が停められたのに気付いて窓から外を覗くと、休憩のために張られた天幕が見える。その周辺では女たちが数人慌しくしているので、中に入って休憩をするにはどうやら今しばらく時間がかかりそうだった。ふいに反対側の窓から薄い桃色が緑の間からちらりと見えてそちらを凝視する。
「――ローレンス、まだ休憩の準備に時間がかかりそうなのよね?」
少しだけ戸を開けて、すぐ外に立っているローレンスに聞いた。本来であれば先立ちの者が事前に準備しているはずだったが、何かあったのか遅れているらしい。
「はい。手違いがありまして、大変申し訳ありません」
「ううん。私はいいのよ。終わるまで少し外に出たらだめ?」
一応、伺い聞く体でローレンスとジゼルを見る。
「リリアナ様、いけません。外の者に目が触れでもしたら」
「こんな見渡しの良い何も無いところで隠れている人なんてそうそういないわよ。それに、ローレンスがいるもの」
「それは勿論です。……何か気になるものでもありましたか?」
リリアナの物言いはずるいのだろう。ローレンスは諦めるように息を吐くと、気持ちを切り替えるようにリリアナを見た。
「ふふ。ありがとう。……ジゼル、すぐに戻って来るわ」
「姫様、あまり遠くに行かれないでくださいませね。ローレンス様、くれぐれもよろしくお願いします!」
ジゼルの小言を背中に受けてリリアナはローレンスを連れて先ほど見えた薄桃色の方へ向かう。馬車の窓から見えたぐらいだからそう離れてはいないはずだ。
「実は窓から薄桃色の木が見えたのが気になって」
「薄桃色となるとセリシナでしょうか。咲く季節には遅れていますが」
「セリシナ?」
「……リリアナ様はセリシナをご存知では無さそう……ですね」
ローレンスの様子に疑問を感じながら少し歩いていくと目の前に現れたのは間違いなく見知った木だった。
「――桜、だわ」
「サクラ?」
思わず漏れた言葉に横でローレンスが頭を傾げる。きっと彼の知っている言葉ではないからだろう。
「懐かしい。そう、ここではセリシナと言うのね」
ぼんやりと呟きながらその幹を撫でる。桜の香りに包まれて一気に記憶が駆け巡る。リリアナが前世で生まれ育ったのは桜が見事ということで知られる場所だった。大きな街ではなかったが、その時期になると見物客がよく訪れたものだった。
「リリアナ様……?」
「……昔のことを思い出してたのよ。――こんなこと急に言うなんて驚くかもしれないけど。私がリリアナではない人として生きていた頃のことを少しだけ覚えているの。その時住んで居た場所の近くにこの木がたくさん植えられていたの。父と母と毎年見に行っていたわ」
「それは見事だったでしょうね。一本でもこれほど美しいのですから」
「信じるの?」
ローレンスが疑いの顔を少しも見せずに微笑んだのがリリアナには意外だった。リリアナが子どもの頃に前世の話をした時は周りの大人たちがどれほど気味悪がったことだろうか。
「当然です。リリアナ様が仰られることに疑う余地もありません」
「……そんなこと言って、私が酷い権力者にでもなったらどうするの?」
くすりと笑って返すと、ローレンスも同じように笑う。
「リリアナ様に誓った忠誠は変わりません。最後までご一緒します」
彼は当然のように言い切って微笑んだ。その空気はリリアナを包み込むように温かかった。
「セリシナを見てきたわ」
「ろ……ローレンス様とですか!?」
馬車に戻ってジゼルに声を掛けると驚いたのはジゼルだった。そんなジゼルに意味も分からず首を傾げていると、そんなリリアナに気付いてジゼルがため息を吐く。
「……そんなことでしょうと思いました。姫様、今後は男性の方と二人きりでセリシナの木の元へ向かうのは禁止です」
「禁止?」
注意と言うよりも咎めるような口調で言うジゼルに言葉を返す。
「セリシナの前で誓う言葉は絶対です。多くは愛の告白に使われる場所ですわ」
呆れきったジゼルの表情が全てを語っている。
「……分かったわ」
彼の様子を思い出すと、きっとローレンスはあの場所がどのような場所なのか知っていたのだろう。それを思うと急に恥ずかしさに顔が熱を持つのが分かる。恥ずかしさに穴があったら入りたい。まさにそれである。
そうこうして王城を出てから二日ほど経過した。窓から見える景色はすでに見慣れたものとは異なっている。フリアンは王城から西に少しなのでそう景色は変わらないが、南にこれだけ移動すると生えている植物が違うのが面白い。
「リリアナ様、お疲れ様でした」
「私はずっと馬車に揺られていただけだもの。ローレンスこそ疲れたでしょう?」
「いえ。これくらい何てことないです」
馬車から降りようとするとローレンスがリリアナを支えるように手を取った。それを断るのもおかしいのでそのまま支えてもらって馬車から降りる。
ただ馬車に揺られてジゼルと会話をしながら景色を楽しんでいたリリアナとは違い、ローレンスは警護のために馬に騎乗して傍を走っていた。ただ乗っているだけでも疲れるので、彼の疲労も溜まっていることだろう。だがローレンスは文字通りなんて事ない顔で笑みを作るとリリアナの後ろへ控える。
「そう、それなら良いのだけれど。疲れたのであれば無理せずに後で十分に休むのよ」
「はい」
今回宿泊場所とするのはディカードを治める領主の屋敷だった。当然ながらこの辺りでは一番立派であるので、町の宿よりもこちらでということになったためだ。
「ヴィルフリート様はお疲れになられておりませんか?」
「いや。私は問題無い。リリアナ様こそ、女性の身で長旅はお疲れでしょう」
傍にヴィルフリートが居るのに気付いて声を掛ける。するとヴィルフリートはリリアナに気遣うような目でリリアナを見ている。
「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫です。珍しい景色にむしろはしゃいでしまいましたわ」
「そうか。確かにこの辺りは王都とは大分景色が違うようだ。ガルヴァンもこのように緑豊かであれば良いのだがな」
そうヴィルフリートと話していると目の前に男が現れさっと膝を着いた。
「――リリアナ殿下、ヴィルフリート殿下!ようこそディカードへお出で下さいました!私はディカードが領主、セレスタン・アベル・ディカードです」
「初めまして。リリアナ・メル・フォンディアです。この度はご好意に感謝します」
二人の前へ現れたのは小太りの小さな男だった。にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべて大げさな手振りで話す彼はどこか憎めない人柄が表れているようだった。リリアナは王女らしく礼を返し笑みを作る。
「ヴィルフリート・ガルヴァンだ。短い間だが苦労をかける」
「いいえ!お言葉にもありません……ではなく、ございません!王家の方が訪れて下さるなんて末代までの自慢になります。王都からですとお疲れになられたでしょう。宴会の席までまだお時間がございますので、どうぞお部屋にてお休みになって下さい。しかし何分この様な辺境の地ですので行き届かないところがあるかとは思いますがどうかご容赦下さいませ。……では、こちらへどうぞ」
心の底から申し訳無さそうに言ってから、にこりと人の良い笑みを浮かべてディカード領主が直々にリリアナたちを屋敷の部屋へ案内した。横ではジゼルが荷を解いて、ローレンスは危険なものがないかどうかを確認している。
何気なくローレンスの後ろ姿を見て、桜の木のことを思い出してしまって慌てて頭を振って違うことを考えようとするがなかなか上手くいかない。
「……ああ、もう、私の馬鹿……」
小さく呟いた言葉は忙しそうにしている二人には届かない。




