19 王都での噂
「それで、リリアナ姫は私に何をさせたいんだい?君はそこまで考えているんだろう?」
お茶を飲んで一息つくと、ディオンはにやりと笑ってリリアナを見た。
「やっぱりディオン叔父様にはお見通しですのね。叔父様には名前を貸していただきたいと思っています」
「名前を?」
「はい。私がメインに名前を出すと信用も薄いですし、その上女であるということからも話すら聞いていただけないでしょう。貴族たちを説得するには私ではなく、叔父様の考えでやっているという体裁が必要だと考えております」
現代の記憶があるリリアナにとっては真に残念なことだが、フォンディアは男性の地位の方が高く女性は家で大人しくしている方が好ましいとされている社会だ。リリアナがいくら正しいことをしたとしても、リリアナが女性であるということだけでそれを認めない人も多いだろう。それ所か話すら聞いてもらえないかもしれない。リリアナはそれを懸念していた。だからこそ、貴族からの印象も良くさらに王位継承権二位という身分のディオンは今回の計画のリーダーとしては最も好ましかった。ディオンであれば貴族たちも話を聞くだろうし、ディオンが兄のことを次期王として認めているのは周知の事実なので民たちも変に勘ぐることもないはずだ。
「ふむ。確かにそうだろうね。あの馬鹿な貴族共は君の話を聞く耳は持っていないだろう。リリアナ姫が言う通り私の名前を使うのが妥当だろう。……しかし、私の名前は使わないでおこう。もちろん、貴族たちとやり合う時には私もしっかりとサポートするよ」
「え?それは?」
ディオンが口に出したのはリリアナが思ってもみないことだった。ディオンであればリリアナの考えを理解し、それを認めてくれると思い込んでいたのだから。
「僭越ながら、私もリリアナ様の名で行われた方がよろしいかと思います」
きょとんとしていたであろうリリアナへさらに言葉をかけたのはローレンスであった。
「……ローレンス?でも私の名では首を縦に振らない者も多いはず。それよりも叔父様の名を使わせていただいた方が受け入れられやすいわ」
「貴族達にはそうでしょう。しかし、リリアナ様が先頭に立つ方が民には受け入れやすいかと」
「でも、私はユリシア姉さまと違って公務などもほとんどしていないし、民にとってはただの引き篭もりの王女でしかないわ」
離宮に引き篭もっているリリアナは公務をあまりしていない。フリアンで子どもたちに勉強を教えるのが思いのほか性に合っていたのもあるが、そのせいで特に王都の民にとっては覚えの薄い姫だと思う。おそらく、そういえば末の姫もいたなぐらいの存在だろう。
「そんなことは無いさ。民たちというのはリリアナ姫が思っているよりも王族の事情とやらを知っているものでね。特に最近の君は王都では噂になってるよ」
「噂、ですか?」
ディオンの言葉にリリアナは再び首を傾げた。リリアナには噂になるようなことに心覚えがなかった。リリアナの特徴と言えば、他の姫よりも平凡な容姿と病弱とされている体くらいのものだろう。
「ああ。もう何年も居なかった王族の専属騎士を滅多に姿に見せない末の姫が側に置いたなんて格好の噂のネタだろうね。騎士の禁断の恋という噂が主なものだけれど。おかげで君の名前は王都では旬な話さ」
そう言ってディオンはにやりと楽しげに笑う。リリアナはその表情を見ながらディオンが言った言葉を再び頭の中で流した。
「……え?ええ?」
「つまり、民たちは末の王女が何をする気なんだろうと様子を伺っているというわけさ。そこでリリアナ姫が民のための学校を作るなんて宣言したら食いつきは良いはずだよ」
「でも、それではローレンスに悪いわ」
楽しげに笑うディオンとは反対にリリアナの表情は暗い。踏ん切りのつかない気持ちでローレンスを見上げると、ローレンスは綺麗な顔で優しく笑った。
「いいえ。私はリリアナ様に仕えると決めた身です。噂を利用なさって下さい」
「……本当にいいのね?噂を利用するということは、貴方にもその噂が付きまとうわよ」
「どうぞお好きに。私に失って困るものはリリアナ様だけですので」
「――分かったわ。では、私の名の下にこの計画を行いましょう」
「はい。リリアナ様のおっしゃるままに」
これから人前に出る時は大抵の人がリリアナとローレンスがそういう仲なのだろうと思って見るのかもしれない。そう考えて、姉がローレンスのことを聞きつけて楽しそうにしていた様子を思い出した。どうせ決まった婚約者もいないので、そう言った意味では困ったことにはならないが少しだけ憂鬱な気分にもなる。まるで見世物のパンダのようではないかと一瞬だけ考えて、王女という立場上どうしたって普通の人よりも注目を集めやすいのだと気付いた。
王城へ戻ってくると、出て行くときは出ていた太陽がすでに隠れてしまっていた。ローレンスには後は下がって良いと告げて部屋へ戻ると、ふっと力を抜いてベッドに腰をかけるとぽすんと小さな音と一緒にゆっくりと体が沈む。それと同時にリリアナはようやくゆるりと体を楽にするのだった。
「今日はお疲れでございましょう。湯浴みをされて休まれますか?」
「ええ。そうするわ。他の侍女に言い付けたら帰っていいわよ」
「リリアナ様の寝支度が済んでからで十分ですわ。それでは準備ができましたらお呼びに参りますので、しばらくお休みくださいませ」
ジゼルはそう言って頷くと、寝室から出て行った。おそらく湯浴みの準備をしに行ったのだろう。その証拠に寝室の隣の支度室では他の侍女に指示を出す声が聞こえる。本来であればすでにジゼルに勤務時間は終わりのはずで、ジゼルも疲れているであろうのにきびきびと動く姿はまさしく侍女の鑑だ。
そのままベッドに体を預け、目を閉じると今日の出来事が脳裏に過ぎる。リリアナはようやく物事のスタート地点に立てたかなと思っていた。今までは一人で何とかできないかと考えるばかりで、実際の行動というのは人の目に付かないものばかりだ。しかし、今はローレンスやジゼルだけでなく叔父のディオンも巻き込み始めている。自分の侍従だけでなく叔父も巻き込んだ今となってはやっぱり止めたは言えないところまで来始めているだろう。
そう考えると緊張してぶるりと体が震えるのが分かる。とにかくやれるだけやるしかない、それしか言えなかった。
それにしても、と思考が止まる。ローレンスとの恋の噂の話を思い出して、顔がカッと熱くなるのが分かった。思わず居ても立っても居られず、近くにあったクッションを手にばたばたとベッドの上を転げ回る。
あのローレンスの様子を思い浮かべると、彼は元来噂を気にしないタイプのようだ。しかしリリアナは恋愛の経験も少ないために免疫が無かった。リリアナ自身がローレンスを意識しているとかそういうことではないが、噂を思うとただただ恥ずかしい。何しろいつも側にいるので考えないようにしているがあの男は美しい容姿を持っているのである。何があるわけでは無くても、恋愛経験の薄いリリアナの頭を噂でいっぱいにするには十分だ。
思えばローレンスを専属騎士にすると決めた時点でそのような噂が出ることは予想できておかしくないのだが、ローレンスと自分と比べて考えると何だか違う気がして考えもしなかった。しかし民にしてみれば顔をまともに見たことのない王女なんてどうでもいいわけだ。おそらく民にとって王族のゴシップというのはそれだけでちょうどいいネタなのだろう。
「……気を引き締めないと」
一人ぽつりと漏らして体を起こす。実態の無い恋の噂だ。この噂を利用するにはするが、気持ちを引き摺られないようにしなければと己を律した。




