16 信頼の証
支度を終えて、支度室を出ると侍女の一人が菓子箱を持って立っている。ジゼルはそれを受け取ると、リリアナを振り返った。
「こんなに急でなければもっと違うものを用意したのですけれど」
「ディオン叔父様はそんなこと気にしないわよ」
「そうだと思いますけれど……」
ジゼルは菓子箱を見つめ、ため息を一つ吐く。言葉通り独身貴族のディオンは結婚適齢期を僅かに過ぎた今でも侍女たちの憧れの的だ。長年侍女を務めるジゼルもそのファンの一人で、リリアナがディオンの元へ訪れる時はまるで自分のことのように茶菓子一つで悩んでしまう。そんなジゼルの様子にくすくすと笑いを零していると、部屋の隅で空気のようになっているローレンスが目に留まる。
「……そうだわ。ローレンスに渡すものがあるの。グレイス、あれを持ってきて」
「かしこまりました」
女性達の会話を黙って眺めていたローレンスを見て、思い出したように近くに居た侍女に声をかける。侍女は小さく頷くと、隣の部屋へ入り箱を持って来る。
「私にですか?」
「ええ。まだ、私の騎士の証を渡していなかったでしょう?ようやく出来上がったのよ。着てみてもらえるかしら」
侍女がローレンスへ白い大きな箱を差し出しているのを少しだけ緊張しながら見守った。
「これは……フォンディアナの蔓ですね」
ローレンスが取り出したのは今着ているものと変わらない、白の騎士服の上着だ。その今着ている騎士服と違う点は両胸に国花であるフォンディアナの蔓が刺繍されていることだろう。今着ている騎士服はシンプルで肩に金の飾りと、詰襟の首元に階級を示す飾りがあるぐらいなもので他に目立つものはない。
王族には一人一人、象徴とする草花が生まれた時に決められる。大抵の場合は生母が決めるものであるが、リリアナのそれはフォンディアを支える蔓だった。幼い頃は他の姫と同じように華やかなで綺麗な花が羨ましかった。しかし今では蔓でよかったのだと思う。リリアナには姫たちのような華は無い。それでも、国を支える人間になれるようにという母の願いが込められているのだと分かるからだ。
「ええ。私と一緒にこのフォンディアを支えて下さい」
「リリアナ様の御心のままに」
ローレンスはリリアナの前で膝を着き、リリアナの手の甲へ唇を落とした。リリアナはその仕草にうっかり頬を染めそうになるのを誤魔化そうと、わざと明るい声を出した。
「ローレンス、それを着て見せて!サイズが合っていなければ大変だわ」
「はい。サイズは丁度良いです。ありがとうございます」
騎士団の衣装係にサイズを確認した。しかも、サイズは春に測ったばかりだという話なのでサイズが合っていない訳は無いのだ。それでもローレンスは嬉しそうに笑う。
「……ローレンスが着ると何でもよく似合うのね」
「ええ。ローレンス様にとてもよくお似合いですわ」
上着を着替えたローレンスを見ると、ローレンスの金髪に緑の蔓が映えてとてもよく似合っているのが一目で分かった。側にいる侍女たちの中には頬を染めてローレンスを見ている者もいるくらいだ。ジゼルは年下には興味が無いと言っていたけれど、それでもにっこりと笑ってローレンスを見ている。
「これからディオン叔父様の所へ行くからジゼルとローレンスも一緒に来てもらえるかしら」
用意されていた馬車へ乗り、30分ほど揺られた場所にディオンの屋敷がある。王都の中心街からは少し外れるが、それ故に静かで広大な敷地に建つ屋敷だ。
その屋敷へ向かう馬車の中にはリリアナの隣にジゼル、向かいにローレンスが座っていた。走り始めて5分程経った頃、会話の無い馬車の中でリリアナが口を開く。
「今日はディオン叔父様に相談事しようと思っていることがあるの。そのことについて、二人にも話しておくわ」
「はい。何なりとおっしゃって下さい」
リリアナが目線を上げると、ローレンスとジゼルがリリアナを見ているのが分かる。まるで姉のような優しい口調のジゼルにリリアナはドレスの裾をきゅっと握り締めて覚悟を決めた。
「――私、庶民のための学校を作ろうと思うの」
「学校ですか?」
リリアナの突然の言葉にローレンスは意味を理解しようと考え込んだ様子で言葉を返した。それもそのはずだ。今まで教師の真似事をしていたことはあるが、学校を作ろうなんて考える素振りすら見せたこともない。きっと、ただの姫のお遊びにしか思われていなかったのかもしれない。
「ええ。普通の子どものための学校よ。この国には貴族階級や裕福な商人しか学校に行けない。その理由は学費が高くて払えないせいだわ。そして、学が無いから就ける仕事も親と変わらず、親から子どもの世代に変わってもそのループからは抜け出せない。それを何とかしたいのよ。せめて文字と簡単な計算だけでも出来れば、変わると思うの」
二人に口を挟む隙すら与えずに一息で言い終えると、馬車の中は馬の足音と車輪の音が響くだけだった。反対されるだろうかと思うと吐き気がするような感覚にすらなった。一度決めたことだ。二人に反対されてもやりたいことではあったが、ジゼルはもちろんだが、ここ数日ですっかり信頼してしまっているローレンスに反対された上で押し通すのは精神的に辛いだろうことが容易に想像できた。
「私はリリアナ様に賛成です」
「さすが、私のお仕えする姫様ですわ」
はっと顔を上げると、二人がいつもの笑顔でリリアナを見ていた。
「……反対しないの?」
「何を反対することがありますか?私にできることでしたら何でも致しますわ」
「そうです。私は何をしたらよろしいですか?」
恐る恐る聞くと二人は当然の顔で言い放った。それがリリアナにとって、何よりも嬉しかった。本当は分かっていたのだと思う。二人ならばきっと反対もせずにリリアナの背中を押してくれるだろうことも。それでも、二人の意思を聞いておきたかったのだ。
「…ありがとう。これから忙しくなるわよ?」
そっと目尻に浮かんだ雫を指先で拭うとにこりと笑った。
「着飾るのが苦手な上に大人しい姫様のおかげで私は他の方にお付の侍女たちと比べて暇なぐらいでしたのよ?仕事を与えられて嬉しいくらいですわ」
「私は姫の役に立つと申し上げたはずです」
「分かったわ。詳しい話は城に戻ってからするわ。もちろんこのことは案がまとまるまで他言無用にしたいの。お願いね?」
笑顔で頷いた二人にリリアナも笑顔を浮かべた。三人で話しているうちにディオンの屋敷の屋根の頭が木々の隙間から見え始めた。ディオンの屋敷はもうすぐそこだ。




