14 似合いの色
ちょうどリリアナが晩餐会用のドレスを着終えて、これから化粧へ入ろうとした時だった。姿見の前でアクセサリーを合わせるジゼルを見ていると、支度室の前に立っているはずの侍女の声が聞こえ、扉の方を振り返った。
「――ルシール様、お待ち下さいませ!」
「やっぱり!」
ルシールはすっかり支度を終えた姿で眉を潜めてリリアナの前へ立っている。
「姉さま?どういたしましたの?」
「リリアナはヴィルフリート様と親しくしているのでしょう?ダメよ。今日は赤のイヤリングとネックレスにしなさい。あなたの栗色の髪によく合うわ」
そう言ってルシールは鏡台に並べられたアクセサリーの中から、赤のイヤリングとネックレスを探し当ててリリアナへ当てて満足そうに微笑んでいる。
「赤は姉さまの方が似合います」
「そんなこと無いわよ。あなただって胸を張って身に着けたらちゃんと似合ってる。それに今日はお父様の碧を着けることにしたんだもの」
そう言ったルシールのドレスはざっくりと胸元の開いた深い青のドレスだが、胸には鮮やかな碧の石が光を反射して輝いている。その色はまさしく王の瞳の色だ。きっと王妃もこの色のドレスを着ていることだろう。
しかし、リリアナは赤はルシールの色だと思っている。明るく情熱的ではっきりした性格の姉によく似合う色。
「でも、ヴィルフリート様とは本当に何もありませんのよ?何度かお話はさせていただいておりますけれど、そういう関係ではありませんわ」
「……本当に?」
「姉さまにそんな嘘を吐いてどうなるのです」
ふうとため息を吐いて言ったリリアナの表情を見て、理解したらしいルシールはあらとおどけて笑った。
「……それもそうね。あら、いやね。私の勘違いだったのね。あまり人と親しくしないリリアナが仲良くしているって聞いたものだから、てっきりそうなのかと思ってしまって」
「ヴィルフリート様がお優しい方なだけですよ。そもそも、私たちが気軽に話せる人など限られているから目立つだけですわ」
リリアナは姫だ。リリアナが話したいと思っても、身分の関係上気軽に話せる人というのは限られている。それが同じ年代の人ともなれば、さらに少ない。侍女のジゼルであっても、部屋で二人きりのときぐらいしか気安くに言葉を交わすことはできない。
前世のような身分もない、平等な国に生きていたのが信じられないくらいだ。フォンディアと日本では全く違う。あの国には貧富の差というのも、表立っては少なかった。我が家だってお金がないと言いながらも奨学金を借りれば、国公立ならという制約はあったが大学にだって通うことが出来た。
「……それもそうね。私たちが話せるような身分の貴族の子どももそう多くはないし。ほとんどオジサマばかりでつまらないわ」
「姉さま、そんなこと言って」
「ふふ。冗談よ。ただ、普通の子みたいに友だちが欲しかったなと思うのよ。もっと自由に恋だってしてみたかったわ」
「ルシール姉さま?……ジゼル、少しだけ人払いをして」
姉のルシールがそんなことを言うのは珍しかった。いつも奔放で自由に見える姉。それがルシールだ。彼女は他の兄や姉よりも自由で明るく、何よりも前向きで妹にそんな顔を見せることは今までだって一度もなかった。だからそんなルシールに違和感を覚えて、ジゼルに言って支度室で二人きりにしてもらった。
「……悪いわね。実は私の嫁ぎ先の話が出てるみたいなの。年頃としてもそろそろだし、分かってはいたのだけれど」
ルシールは侍女たちが全ていなくなるとそう言って、ふっと苦笑を浮かべた。恐らくいつもように笑おうとしているのだ。しかし、その表情にはその事実を受け入れ切れない感情が浮かんでいる。側妃の子であるユリシアとリリアナは恐らく降嫁されるのでこの国には留まる可能性が高い。しかし、王妃の子のルシールだけは他の国の王族の元へ行く可能性の方が高かった。嫁いでしまったらもう会うことも叶わないかもしれない。
リリアナは思わず彼女の手へ自身の手を伸ばして、きゅっと包んだ。
「まだ、決まりではないのでしょう?」
「いずれにしても変わらないわ。いつかはそうなると生まれた時から決まっていることだもの」
そう言ったルシールの言葉に、以前思い出した記憶が甦った。漫画の話では人知れずクロヴィスを好きになり、姉への情と男への情の狭間で苦しむ姉。それが今この瞬間も共通しているのかは分からないが、何かあるとクロヴィスを側へ置きたがる姉を見ていると、その気持ちは今も共通しているのではないかと思えた。
「……姉さま、クロヴィス様をお慕いしているのではないですか?」
「何を言っているの、リリアナ?」
意を決して聞いたリリアナをルシールは驚いたように目を見開いて見た。その表情にリリアナは疑問を確信へと変えて、さらに続けた。もしルシールが本当に何も思っていないのであれば、リリアナが聞いた瞬間に笑い飛ばしてしまっただろう。それこそ間髪も開けずに平然と。しかし今のルシールは完全に動揺しているかのように何も言えなくなっている。
「私には素直になった方が良いなんてこと言えません。それでも、もしその気持ちがあるのならば認めて大事にした方が良いと思います。きっとその気持ちが姉さまを支えてくれる日が来るはずです」
いつかは決められた相手と結婚しなければならない。ユリシアのように好きになった人が、その婚約者となれるだけの身分や権利を勝ち取ってくれる人ならば良いだろう。しかしそんな人が姉妹全員にいるとは思えない。それならば、唯一の恋を思い出に心の支えにできる方が良い。兄は妃のことを愛しているようだが、自分も同じように夫となる人を愛せるとは限らないのだから。
「リリアナと話していると、時々どちらが姉が分からなくなるわ」
ルシールは突然くすくすと笑みを零した。
「姉さま。私はずっとあなたのただ一人の妹です」
どきりと胸が鳴った。確かに前世の記憶があるリリアナはそれも含めると、精神年齢としてはルシールよりも年上かもしれない。ただし、前世でも結婚したことが無い上に恋愛経験も薄いのでそういう意味の経験値は限りなく低いが。
「そうね。貴女は私のかわいい妹だわ。その貴女が言うのだから、この気持ちは恋だったのかもしれないわね。私はずっと見ないふりをしていたけれど、私はちゃんと恋が出来ていたのね」
そう言った彼女の表情は晴れやかだった。
「ええ」
「まだ今すぐ行くわけじゃないもの。私のこの美貌でクロヴィスを惑わしてみせるわ。彼はどんな子がタイプなのかしら?とりあえず、私の側にいてもなかなか靡かないところを見ると清純な子が良いのかしら?」
楽しげに悩む姉を見て、リリアナはユリシアみたいな女性とは口が裂けても言えない。ぐるぐると頭の中で何を言おうかと考えてようやく口を開く。
「姉さまの周りには男性も多いからそれで相手にされていないのかもしれませんわね。大勢の中の一人よりも、ただ一人の方が良いに決まってますし」
「それもそうね。とりあえず、他の人たちを寄せないようにしないといけないわね」
ルシールは楽しげに頷いて、何やら作戦を練っているようだった。そんな姉を見て、リリアナはふわりと自然に笑みが生まれた。やはりルシールには楽しげにしている方が似合っている。




