10 隠し通路
舞踏会からヴィルフリートと帰った後も、リリアナには考えることがたくさんあった。リリアナにとっての今の人生の目標は運命を変えることだ。穏やかな生活を送りたい、それだけなのだ。
しかし、最近になって急に姉たちの恋愛相手に出会うようになった。それも記憶付きで。ローレンスやヴィルフリートには出会った瞬間に記憶が甦ったが、クロヴィスは以前からの知り合いだったのに今回の舞踏会で急に記憶が甦った。この当たりも何か条件があるのだろうけれど、リリアナには思い当たる節がなかった。
リリアナはふうとため息と吐くと、書類に名前をサインする。考え事をしながら書いたので誤字が無いか確認するが、間違いは無いようだった。
「ジゼル、若草色のワンピースを出してもらえる?」
「……姫様、お出かけですか」
若草色のワンピースはいつものドレスとは違い、質は良いけどシンプルなもので街に出ても貴族の娘風に馴染めるリリアナのお気に入りの一着だ。それを着ることは出かけるということなので、ジゼルは言葉には出さないが顔を顰めている。
「いいじゃない。姫は今日お疲れで臥せってるということにしておいて。ね、お願い。ジゼル」
「かしこましました。しかし、リリアナ様。王都はフリアンのような田舎とは違います。あそこは小さい町だからこそ治安も良かったですが、王都は危険な場所も多いのですよ?」
結局はリリアナに甘いジゼルなので、リリアナのお願いに頷いてしまう。しかし、彼女はリリアナへ注意の言葉を向けることも忘れない。
「ええ。分かってるわ。だから、今日は騎士を連れて行くわ」
「……本当にローレンス・ベルリナーズを専属騎士になされたのですか!」
ジゼルが驚きの声を上げた後に侍女が扉をノックする音が続いた。
「――ローレンス様です」
「ジゼルに紹介するわ。こちらへ入ってもらって」
「かしこまりました」
タイミング良く聞こえた声にジゼルはまだ信じられない様子で扉へ向かう。普段の来客であれば、こちらの私室ではなく応接室の方で会うのだが、ローレンスは専属騎士になった身だ。今後の警護のことを考えれば私室に入れておくべきだと考えた。
「ローレンス・ベルリナーズ、こちらはジゼル。私の幼い頃から侍女を勤めていてくれて、一番信頼してる侍女なの。もし何かあれば彼女に言うように。ジゼルもローレンスのことよろしくね」
「はい。ローレンス・ベルリナーズです。よろしくお願いします」
「ジゼルです。リリアナ様のこと、どうかよろしくお願い致します」
二人が挨拶を交わす様子を見て、リリアナはほっと胸を撫で下ろした。正直、長年仕えていたジゼルに何か文句でも言われるのではないかと内心緊張していたのだが、その心配もいらなかったらしい。ジゼルはにっこりと笑顔を浮かべてさえいる。
「それではローレンス。まず、これを騎士団に届けて。貴方の専属騎士の申請書類よ」
そう言って、先ほどまで書いていた書類に封をしたものをローレンスに手渡す。ローレンスはにっこりと嬉しそうに笑ってそれを受け取った。
これを出せば、正式にローレンスはリリアナの専属騎士となる。そして、もうそれは覆すことが出来ない。
「かしこまりました」
「戻ってきたら一緒に出かけるわ。…でも、さすがに騎士の服はまずいわね。街に下りるのだけど、服を用意して戻ってくるのには時間がかかる?」
「いえ。城の詰所にもいくらか私物を置いておりましたので、それで問題無いでしょう」
「そう。ならお願いするわ」
「では、行って参ります」
ローレンスが部屋を出て行ったのを見て、ジゼルが口を開く。
「てっきり、侍女の噂話は尾ひれが付いて話が大きくなったものだと思っておりました」
昨日のことであるのに、侍女たちにまで話が知られているらしい。噂話の浸透は早いが、きっとこの話を知らない人間はこの城には居ないのだろう。ただでさえ、専属騎士を任命する王族は少ない。今回のことだってかなり久しぶりのことであるらしい。
「ローレンスには私が城を抜け出しているのバレてるから都合が良いの」
「でしたら、私もお連れ下されば良いのに」
「ジゼルには私が不在の部屋を任せるわ。あなたにしかお願いできないのよ」
ジゼルはじとっと文句を言いたげな視線でリリアナを見た。リリアナは改めてジゼルを見つめてお願いをする。何だかんだリリアナのお願いをいつも聞いてくれるのだ。
「……そこまで言われるのでしたら。今回もローレンス様がいらっしゃるとは言え、決して無理はなさらないで下さいませ」
「ありがとう。それと、ジゼルに一つ相談があるのよ」
「はい。何でしょうか?」
ドレスを脱がす手を止めないままにジゼルが答える。本当ならば全部自分でやりたいところであるが、姫が着るドレスは一人で脱ぎ着するのに適さないものが多い。
「ほら、専属騎士に私を象徴する何かを与えることになっているじゃない。それが何にしようか考えていて。象徴って言われるとこれと思うものが無いのよね」
そう言ってリリアナは悩ましげに苦笑を浮かべた。これと言って派手な特徴を持たないリリアナにとってそれは難しい話だった。きっとユリシアであれば月下美人、ルシールであれば薔薇を模したものかそれに類する色がそれにあたるだろう。しかし、自分にと思うとリリアナにはなかなか思いつかなかった。
「それでしたら差し出がましいかと思いますが、私にとってリリアナ様のイメージは森です。強く優しく、しっかりとご自身の足で立たれておられますもの。きっとフォンディアを慈しむ森になられることでしょう」
そう言ってジゼルはにっこりと笑った。
「……何だか照れるわ。でも、ありがとう」
「いいえ。私は思ったことを言っただけですもの。それでは、紐は全部解きましたのでドレスから腕を抜いて下さいませ」
ジゼルに手伝ってもらって着替えを終え、少しするとローレンスが戻ってきた。戻ってきたローレンスに応接室で着替えるように告げて、その間にジゼルがお茶の用意をする。凝った装飾の騎士服から支度を終え、私室に入って来るまではそう時間がかからなかった。
戻ってきたローレンスの服装は前に見たような白のシャツに濃い茶色のパンツだ。腰にはしっかりと剣が差されており、令嬢の護衛ということで通るだろうと思われた。
「これから見るものは誰かに話すことも、記録に残すことも許されません」
「はい。ご安心下さい。リリアナ様がお困りになられることは絶対致しません」
ローレンスの返事を聞くと、私室にある大きな暖炉を潜る。ちょうどリリアナの目線の辺り左側のレンガをよく見ると、少しだけ歪になって組み上げられている箇所が分かる。そこをぐっと押すと重い物が引き摺られるような音と共に暖炉の壁が動いた。ローレンスに手招きをしてそこを潜ると、部屋に居るジゼルと目が合う。
「ジゼル、留守を頼むわね。夕刻までには戻るわ」
「はい。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
ジゼルの美しいお辞儀を見て、そこの壁を元に戻す。フリアンの城の隠し通路はじめじめとして黴臭いが、ここは暖炉に通じてあるので少し煤が気になるのが難点だ。
「いつもここを使っておられたのですか?」
「ええ。城の中には何箇所かこういう場所があるのよ。ここを見つけたのは偶然だったの。知らない王族の方が多いと思うわ」
実際にここを見つけたのは子どもの頃に甦った記憶の断片からだ。王である父にも隠し通路について話をされたことは無かったし、側妃であった母はその存在を知っていることは無いだろう。




