09 愛と憎しみの果て
そして階段を上り、再び会場へ戻った。話し声と音楽が聞こえる会場を見渡すと、ダンスに興じる人も居れば、話に夢中な人も居るのが見える。
「もうしばらくで姫が部屋へ戻られても良い頃合になります。しばらくの我慢です」
「私、そんなに顔に出てるかしら?」
「いいえ。出ていませんよ。お気になさらずに」
よほど嫌な顔でもしているのかと思ったが、そうでもないらしいことにほっと胸を撫で下ろす。そして何となく会場を眺めていると、いくつかの輪があるのが見て取れる。その中の一つ、男性ばかりの輪の一つが崩れたかと思えばルシールが一人の紳士を連れて近づいて来るのが分かった。
「リリアナ、どこに行っていたの?探しちゃったわ」
「ルシール姉さま。すみません。少し空気を吸いに行っていましたの」
「そうだったの。ここは空気が薄いものね。それで、ガルヴァンの王子様は?」
ルシールもリリアナがヴィルフリートと一緒に居た理由を聞きに来たのであろう。リリアナの左右を視線だけで見回して彼が側にいないことに気付くとリリアナに尋ねた。
「先ほど分かれました。会場内には居るかと思いますけれど」
「そうなの。残念ね。こちらは今日のパートナーのクロヴィス・オリオールよ」
ルシールの横に立つ人を見ると、第二騎士団の隊長としてイメージする逞しさを感じない線の細い中性的な男性が立っていた。背は高く、長いシルバーの髪は後ろで一つに纏められている。しかし、隊長を務めているにしては若い。他の隊長たちは三十を過ぎた年の人ばかりなので、二十代中頃の彼は異質な存在と言えた。
「今晩は。オリオール様、お二人は今日も素敵ですわね」
「まるで春の若葉の様にお美しい姫にお目にかかれて光栄です。クロヴィスとお呼び下さいと言っているのにつれないお方だ」
クロヴィスはいつもの演技がかった仕草でにこりと笑うとリリアナの手の甲へ挨拶のキスを贈ろうと手を取ろうとした。しかしクロヴィスにリリアナが手を差し出した瞬間、またいつもの頭痛が襲った。
今までだって騎士団の隊長という役柄を持つことから、クロヴィスに会う機会があった。その時は頭痛と記憶の復帰が起こることはなかった。それなのになぜこんな時にと恨めしい気持ちの方が強い。ぎゅっと頭を締め付けるような痛みと共にいつものようにまた映像が頭の中を駆け巡った。強い痛みに思わずふらつくと、さっと後ろから現われたローレンスがリリアナの腕を取って支えた。
「リリアナ様、大丈夫ですか?」
「……ローレンス、ありがとう。ただの眩暈よ。もう治まったわ」
「リリアナ、無理しちゃだめよ」
ルシールも心配そうにリリアナを見つめ、顔を覗き込んでいる。リリアナは笑顔を作ってルシールを安心させるように微笑む。
「ええ。心配をおかけしてすみません」
「おや。ローレンスじゃないか。姫様にお近づきしているなんて君も隅に置けないね」
クロヴィスとローレンスは正確には所属が違うが同じ国の騎士団に所属しているのだから二人が知合いでもおかしくはない。クロヴィスはローレンスの姿に気付くとそうかと小さく呟いて頷いた。
「あら、そちらの騎士様はもしかしてリリアナの専属なの?」
クロヴィスとルシールの視線はローレンスの胸の花へ向いていた。彼らにはその胸に挿す花の意味が通じているのであろう。専属騎士という役目の存在は隠されたものでは無いし、ある程度の身分を持つ者ならば言わずとも知っていることだ。きっと明日にはローレンスがリリアナの専属騎士になったことは公然のことになるだろう。
「はい。ローレンス・ベルリナーズと言います。リリアナ様の専属にして戴きました」
「まぁ。もしかしてそれでリリアナは昨日は動揺していたの?」
「そういうわけではないのですけれど」
昨日姫たちで話していたときにローレンスのことが名前に出た時のことを言っているのであろう。リリアナは慌てて否定するも、ルシールはくすくすと笑って聞いていないようだ。
「ふふ。まぁいいわ。ローレンス、リリアナのことをお願いね」
「はい。お任せ下さい」
「それでは、クロヴィス様行くわよ」
「はい。リリアナ様、お体にお気をつけて」
「ありがとうございます」
クロヴィスに贈られたウィンクに戸惑いながら二人を見送った。二人はまた輪の中へ戻っていくのだろう、人混みへ入って姿が見えなくなった。クロヴィスの背中を見ながら先ほど脳内に駆け巡った映像を再生する。
彼はルシールのお気に入りの男性だが、ルシールには恋愛感情を持っていない。ルシールもそれで良しと考えていたのだが、クロヴィスがユリシアに特別な感情を抱くようになってその考えは変わってしまう。クロヴィスはルシールのお気に入りでは無く、恋愛感情を持っていたのだとようやく気付くのだ。だが、素直になれず時間が過ぎて伝えられない思いはユリシアへの憎しみへ変わってしまう。
「……愛って難しいわね」
「姫?」
「いいえ。何でもないのよ」
思わず呟いてしまった言葉にローレンスが怪訝そうな表情を寄せるのが見えた。リリアナはそれを苦笑で返すと遠くに揺れる鮮やかな黄色のドレスを見つめた。
「――リリアナ様、待たせました」
「ヴィルフリート様、もうよろしいのですか?」
「ああ。エスコートすると申し出たのに一人にしてすまなかった」
「いいえ――」
申し訳無さそうにするヴィルフリートへ笑顔で返そうとすると、後ろへ控えていたローレンスが一歩前へ出るのが分かった。
「彼はローレンス・ベルリナーズ。私の専属騎士です」
「ヴィルフリート・ガルヴァンだ。専属騎士とは?」
「お目にかかれて光栄です。リリアナ様にのみ仕える特別な役目です。騎士でありますが、騎士団の所属から外れました」
ヴィルフリートの視線はローレンスを値踏みするかのようにじっと彼を見つめている。ローレンスはそんな彼ににっこりと笑顔を浮かべて返した。
「ほう。先ほどまで居なかったようだが?」
「はい。色々ありまして、先ほど任命したのです。これから私の側には彼が控えていることが多いと思いますので、よろしくお願い致します」
「ああ。わかった」
そしてその舞踏会が終わるまでリリアナの側にはエスコートを勤めるヴィルフリートと、騎士のローレンスが居ることになった。しかし、二人は令嬢であれば羨む程度の身分と美貌を持った適当な年齢の男性である。リリアナに向けられる貴族の令嬢たちの視線は決して優しいものだけだとは言えなかっただろう。リリアナはこんなに気まずい思いをした舞踏会は初めてであったと思うと共に、改めて姉達の精神の強さを実感したのだった。
そんな時だった。
「私はエリーズ・アランと申します。貴女がリリアナ姫でいらっしゃいますか」
その言葉と共に鮮やかな赤のドレスを身に纏った女性が目の前に現れた。言葉は丁寧なものだが、その視線は鋭く尖り、まるでリリアナを突き刺してしまいそうだった。その情熱を表すかのような赤い髪が印象的な彼女にリリアナは覚えが無かった。王族であるという立場上、顔と名前だけ知っている人間は多い。だが、このような強い感情を向けられるほどの人物となれば心当たりがない。
「はい。私がリリアナ・フォンディアです」
隣にいるのは美形の二人だ。きっと彼らの内どちらかのことだろうとと考えた。だが羨ましいと思う気持ちは理解できるが、仮にも姫相手にこのような鋭い視線を送る理由をリリアナには理解できなかった。
「エリーズ!リリアナ様に失礼じゃないか!リリアナ様、お下がり下さい」
驚きと叱責のような声と同時にリリアナの視界を白い背中で塞いだのはローレンスだった。後ろに控えていたローレンスがエリーズからリリアナを守るかのように前に立っていた。
「……どうやら、話した方が良いのは君の方だね。リリアナ様は私がお連れしよう」
「すみません。お願い致します」
戸惑うリリアナを他所に男性二人で話がついてしまったらしい。元々王族であるリリアナにエリーズがかけられる言葉は少ない。ましてやガルヴァン王子であるヴィルフリートがリリアナを連れて行ってしまえばエリーズには何もできなかった。
そうして後味の悪いまま、久しぶりの舞踏会が終わった。




