第2章 ジョブキラーズ 01
無造作に机上に放り出されたコンビニのコーンパンは萎びていた。僕は欠伸を噛み殺しつつ、目前で黙々とコンビニのサラダチキンを頬張っている白い女に目をやる。長く垂れた白髪の向こうに見える瞳の色は黒。一瞬疑問に思ったが、きっとカラーコンタクトでもしているのだろう。午前7時。腹がすいて目が覚めた僕は、3階の廊下を春先の熊みたいに徘徊していた所を小野田に呼び止められ、昨日通された部屋(事務室だそうな)と接した、火器庫とは逆隣の部屋に案内された。ステンレスの安っぽい台所と、白い会議机とパイプ椅子しかない食卓。地元の公民館を思い出す。お世辞にも広いとはいえないが、特に文句は無かった。
「...なあ。」
僕は無言の女に話しかけた。
「今日の予定は。まさかまた外でドンパチか。」
「...敵が動けば当然そうなるだろう。」
女はそう言って、ペットボトルの麦茶を喉に流し込む。僕の前には相変わらず不味そうなコーンパンと、108円の紙パック入りオレンジジュース。普段の朝飯と大して変わりは無かった。僕はあきらめて袋を開いた。
「メシ、いつもこんな感じなのか。」
「...不満か?」
「いや、そう言う訳じゃないけど、お前あれだけ動き回った後で飯足りてるのか?」
ストロー越しのジュースは舌に染みた。女は無表情で呟く。
「計算して食べているんだ。このチキンは良く出来ていて脂質がほとんど含まれていない。しばらく実戦離れしていたから少し体がたるんでいるんだ、脂肪を落とさないと。」
それがあの出鱈目な腕力の出所だった。よく女の腕を見てみると、黒いTシャツから覗く上腕の筋肉は、確かに華奢な体格の割りに大きく盛り上がっている。と、この時僕は、華奢である、と言うのは全く僕の思い込みであると言うことに気がついた。華奢なのではなく、体がワイヤーのように細く絞り上げられているのだ。首には筋肉の筋がありありと見て取れ、腕に贅肉は全く見当たらず、筋と血管が浮き出ていた。挙句、その手が動くたび、色の抜け落ちた肌に筋肉の軌道が浮かび上がっている。どこに脂肪があると言うんだ。
「こりゃアスリートだな。」
「そんなに褒められたものではない。」
そう言うと合羽は一瞬、食事の手を止めた。
「私のは、人を殺めるための体だ。」
気付いた。こいつ本当はよく喋る。
朝食を終えると、早速事務室に顔を出す。部屋の中は真っ暗。僕がまごまごしていると、合羽こと小野田が割り込んできてさっさと電気を点ける。蛍光灯が点滅しながら目を醒ますと、くたびれたソファーに大女が転がっているのが目に入った。
「ユーリ、また徹夜したの?」
小野田が呆れたように言う。タンクトップのまま、ポニーテールを解きもせずに引っくり返っている淡路は、唸り声をひとつ上げると、ぼさぼさに乱れた頭を掻きつつ起き上がった。
「…っさいわね…誰のお陰で公庁と警察と阪急のトリプルクロスなんてしなくちゃいけなくなったのか、分かってんの?」
「仕方が無い。状況が許さなかった。」
「分かってるわよ。」
大女は鼻を鳴らすと、またソファーに突っ伏して大きく伸びをする。ネコ科の大型獣みたい。背骨が小気味良い音を立てた。
「分かってる分かってる。ただもう少しスマートに出来るでしょ。何も毎回グレネードを使う必要もないし。お陰で阪急は大騒ぎ、警察には公安の振りして報道管制かけさせて、公庁には突発的事故って報告。自由枠の予算から阪急への公的補償は出来るそうだから、これ以上大事にはならないそうだけど。公庁のおっさん、めちゃくちゃ怒ってた。そりゃもうプーチンも真っ青なくらい。」
今この場面において、最も恐れるべきは事件のメディアへの露出だ。下手に掘り下げられ、この会社や中国人共の存在が茶の間を賑わすような事になれば、きっとお偉い様方はえらい事になるに違いない。その事と阪急への補償を天秤にかけた公庁が後者を選ぶ事は自明だった。だから、この女はこんなに余裕をカマしているのだろう。淡路は欠伸を一つ挟み、僕の方を見た。
「あ、楠本君。よく寝れた?」
「お陰さんで。」
空腹で目が覚めるなんて何年ぶりだろうか。淡路は鼻で笑った。
「ま、これくらいでビビってるようじゃ話にならないから、そうじゃ無くて安心した。この先長い付き合いになりそうだし。」
「またこいつと組むの。」
合羽が眉間に皺を寄せて言うのを、大女は鼻息一つであしらう。勘弁してほしい。僕を一体なんだと思っているのだろうか。また欠伸を一つ挟んで、淡路は言った。
「人がいないんじゃ仕方ないでしょ。それに、ずっと部屋の中で籠っているよりかはずっと健康的だし。」
「冗談じゃない。」
僕は言ったが、大女は聞く耳を持たなかった。
「ツーマン・セルじゃないとエリがやられる。そうなったら、あなたを守れる人が誰もいなくなっちゃう。」
「あんたは。」
「私は別。体力もピークを過ぎてるし、エリみたいにストイックなトレーニングをしている訳でもない。囲まれたら保障出来ないわ。」
馬鹿馬鹿しい二者択一隣に小野田が大きく息を吐いた。僕がこいつと同等にやれるはずがない、チンピラの喧嘩とはワケが違う。相手は得物をぶん回しながら路地裏を駆ける、気合いの入ったマフィアかヤクザか軍隊なのだ。
「いくらなんでも無理がある、下手に鉄砲だ。」
「自分の命は自分で守れ、とも言うのよ知ってた?ツベコベ言わずに銃を持ちなさい。今のところ、それしか手が無いの。」
淡路はそう言い切り、異論は許さないとばかりに事務机へと歩いて行く。デスクの引き出しを開け、中から黒いカーボンファイバーのホルスターに入った拳銃を取りだした。SIG。手渡されると、肘にずっしりと負荷がかかるのが分かった。
「護身用、常備しておくこと。」
拒否は出来なかった。あきらめてベルトを腰に回し、右手のすぐ傍にそいつを吊り下げる。体の重心が右に寄るのが分かった。そして予備弾倉が渡されなかったと言う事は、なるべく使わせないと言う事か、もしくはこの程度では気休めにもならないと言う事かのどちらかだ。僕はその理由が前者である事を切に願った。僕は聞いた。
「いつまでぶら下げてりゃいい。」
ふと口を突いて出た質問だったが、言ってすぐに、これが愚問であることに気づく。案の定、淡路は肩をすくめ、小野田は非難がましい視線を向けてきた。ややあって、大女は犬の息のような短い笑いを漏らすと、疲れた顔に例の凶暴な笑顔を浮かべてみせた。
「さあね、敵が全滅するまでじゃないの?」