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エイジ オブ アイアン ~Ground zero~  作者: ほんこんさん
第1章 バチ当たりロンリー・デイズ
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1-02

 雨は嫌いだ。

 排ガスが地表近くに溜まって臭いから。あれは体に悪い。喘息持ちの人間にとって、ニューポートは地獄だろう。一度来てみたらいい、常軌を逸しているのが良く分かる。

 冬との境目が分からないほど曖昧な春が足早に通り過ぎた後、今度は南国顔負けのゲリラ豪雨を引き連れた、けったいな梅雨の季節がこの島を訪れた。通りを行き交う資材満載のトラックの隊列。昼間から地下道に集うチンピラや族の集会。山積みになったゴミ置き場にダミ声のカラス。毎年この時期は憂鬱だ。スラムの鉄筋が腐ってい行く音が聞こえて来そうだ。そしてその臭いが肺の中に溜まり、僕の体を内側から腐らせそうで怖いから。

 すさまじく気の早い台風第一号が台湾のほうに流れていったその日は、雨雲は朝っぱらから通常運行の弱い雨を降らせ続けていた。こんな日はいつもなら部屋にこもって野球中継でも見ているのだが、その日は大阪市内までPC用の有機ELディスプレイを買いに行っていた。耐久性の高い日本製は確かに高品質だが、僕にはそんなもの必要ない。少々質は落ちるが半額近い韓国製を4枚まとめ買い。日本橋は天候に関係なくオタク共の巣だ。客引きの黒いメイドを数人で囲んで、カバみたいに口をあけて記念撮影している。異様に息を荒げた冴えない中年親父達はメイドに何度も頭を下げている。アホ丸出し。僕は向こうの世界に興味を持ったことはない。2次元と現実を混同した事も無い。2次元を商売に飯を食うのが僕の仕事なのだがな。

 ニューポートには阪急電車が乗り入れている。地下鉄で梅田に向かい、そこから30分。1度乗り換え、各駅停車で連絡橋を渡るルートだ。夕方以降客ゼロ。あの腐ったスラムは、元々あそこのオフィスビルで働くブルジョア共や、その家族のための住居として開発された。だが、神戸や大阪からもそう遠くなく、交通の便も最悪な上に企業間闘争でえらいことになっていたあんな場所に住もうなどと考える馬鹿は皆無で、その結果が今の糞溜まりだった。ガタガタに値落ちしたアパートに流れ着く最貧層。利権と欲望が生み出した、この世の矛盾の典型的モデル。お陰で、帰りの電車はいつも空いている。この日もその例に漏れる事無く、車内は閑散としていた。僕はショルダーバックの中のELディスプレイに折り目が付かないように注意しながら、少々埃臭い褪せた赤紫のベンチシートを独占している。窓を打つ雨の音。その向こう側には、黒く夜に染まる大阪湾と、ニューポートの青白くライトアップされた卒塔婆の群れ。その光にくり貫かれた足元の闇は、島を潤す腐葉土としてのスラムの表現系。いつの時代だって、世間を動かすのは一部の権力者か、力無き最貧層の思念の集合体だ。もっとも、いかに世間を動かすべきか、と言う判断を下すのは、もっぱら彼らを駆り立てるメディアに他ならないのだが。

 腕時計に目をやる。8時15分。あと2駅、10分後には僕はニューポートのプラットホームの上に降り立っている。人工島口と言う無人駅に停車している間、ケータイで気象情報を確認した。午後9時以降の降水確率は70パーセント。甲子園での阪神対中日の試合も雨天中止。家にいなくてよかった、と内心安心していると、ほとんど形式上に開いている右隣のドアからそいつが乗り込んできた。


 僕はケータイの画面を見ていたのだが、思わず見上げてしまった。人工島口から客が乗ってくることは珍しかった。この時間帯、島のオフィス街から帰宅するリーマンはいても、島に用事のあるやつなんてまずいない。となればスラムに遊びに行くチンピラなのだが、その客はそういう風には見えなかった。全身雨にぬれたそいつは黒いフード付きの合羽を羽織っていた。ぼたぼた落ちる水滴が、ラバーの床を濡らしている。顔は見えないが、合羽の下に見える膝下の細さから考えると、きっとこいつは女なのだろう。濃いグレーのニーソックス、底の薄いアディダスのスニーカー。そいつは左右を見回し、一瞬だけ僕の方を見ると、誰もいない空きに空いたシートの中から、わざわざ僕の一つ左の席に座った。


 こいつはやばい、と直感した。


 手荷物は何もなく、全身びしょ濡れ。車内なのにもかかわらずレインコートを脱ぎもせずに、存分に背もたれを濡らしている。出で立ちだけでも嫌な感じをぷんぷん臭わせているのだが、この日の僕は五感以外の何かが冴え渡っていた。否、冴え渡らせられた、と言った方がいいか。僕にも半分、刑事の血が流れている。こう言った予感、特に悪い予感はよく的中した。まあ、刑事の血にそんな予知能力があるならば、世の中平和でゴメンで済んで、警察はいらないのだろうが。

 僕は降りようかと思ったが、雨のホームで何十分も電車を待ち続けるのは面倒だった。今思えば降りておけばよかったのだが、迷っている間に車掌の笛の音が聞こえ、扉が閉まった。仕方ない、と僕は雨合羽の女を見た。動きなし。足元には小さな水溜りができている。圧縮空気の抜ける音がして赤紫の車体が動き出し、内心とてつもなく不安な僕が正面に視線を戻したとき、誰かが大きなくしゃみをしたかのような音と共に、車両前方、前の車両との境面にある窓ガラスが割れたのが見えた。


 何か、小さなものが僕の目の前をかすめ飛んでいった。


 突如として女が飛び起き、僕の頭を信じられない力で押し倒す。何が起こっているのかわからない僕は女の体を弾き飛ばそうとしたが、その腕を押さえつけられた。小手捻り。外向きにねじ回された右腕は次の瞬間には背中の中央に達し、気がつけば、僕はベンチシートの裏でうつ伏せに倒され、押さえつけられていた。

「このままにしていろ。」

女はそう言いつつ、僕の背中に膝を乗せたまま合羽の内側から何かを取り出す。頭を打ってくらむ視界の向こうには、合羽姿のまま短機関銃を構える女がいた。映画か何かの撮影か、とはその時何故か全く考えなかった。あからさま過ぎる銃撃戦。僕は自由の利く左腕で有機ELディスプレイの入った鞄を体の近くに引き寄せようとしたが、その鞄が目の前で砕け散った。鞄どころではない。床からは白い気体が上がり、何かが突き刺さったかのように大穴が開いている。突如、女が僕の体の上で引き金を引いた。軽い発砲音と共にその手の中のそいつは火を噴き、最初に破られたガラス窓の残りガラスを粉砕する。隣の車両に、なにやら覆面を被った男を数人確認した。テレビでよく見る、銀行強盗とかのアレだ。やはりベンチシートを盾にしているようだが、女は構わず掃射する。ガラスが砕ける音と共に、覆面の男達が何やら大声でわめくのが聞こえた。中国語。女は僕の隣に屈み、完全に身を隠す。と同時に、遠慮も何もない凄まじい反撃が始まった。

 拳銃は何度か見たことがあるし、一度だけ生きた人間を撃ったこともある。ヤクザの息のかかった店のガラスを叩き破ってチンピラに追い回されたとき、持ち出していた親父のSIGを全弾ぶっ放した。一発命中。チンピラはびびり上がって逃げていった。足をぶち抜かれた奴が泡を吹いて悶えていたのを覚えている。ゲームのようには行かないもんだと思ったことも。SIGは親父の机の中に元通り戻して、後は知らない。不問という事は、きっと親父が上手くやったんだろう。

 銃撃戦の騒音は鉄橋の上でも明らかだった。7両編成の4両目と5両目の間だから、運転席からも車掌室からも死角になる。僕は立ち上がって非常停止ボタンを押してやろうかと考えたが、弾丸が頭上すれすれを飛んでいったのでやめた。合羽女は男供の銃撃の間に半身乗り出し、応戦する。壁も床もシートも穴だらけ。時々跳弾が火花を上げている。男の数は4人だった。バナナ型のマガジンが見えたから少なくとも一人は有名なカラシニコフの類いに違いなかったが、他の連中は各々違う種類の銃を手にしている。嘘だろ。

 延々と続く銃撃戦の中、約1分の橋上の旅を終えようとしていたとき、女がまた合羽の内側から何かを取り出した。硝煙でよく見えない。合羽は、ピンッ、と何やら嫌な音を立ててそれから何かを引き抜くと、落ち着いた様子で空になった短機関銃のマガジンを交換した後、車両の前方に向かってそれをぶん投げた。

「伏せろ!!」

女が怒鳴った次の瞬間、爆音を衝撃、そして何よりこの世のものとは思えない風圧が僕の体を襲った。3メートルほど後ろのシートの間まで吹き飛ばされた僕はとっさに受け身を取ったが、背中を強打した。にわか柔道じゃ何の役にも立たない。煙、火花、鼻を突く硝煙の臭い。向こうで男供が騒いでいる。ようやく今になって異変を感じたようで、甲高い非常ベルの音とともに電車は急停車した。僕はとっさに立ち上がり、ドアロックを解除し、手動で扉を開けて外に降りる。付き合ってらんない。橋の出口までおおよそ50メートル。走って7秒。中国人や合羽女が気づく前に逃げるのが上策だった。だと思っていた。この時は。

「――お前。」

運に見放された僕は、靴を履き直している間に、あの合羽女に呼び止められてしまった。駆け出そうと一歩を踏み出すと同時に、女は得物を僕に向ける。そのまま車両から飛び降り、銃口を背中に突き付けながら、言った。

「逃げ道はそっちではない。ついて来い、楠下章。」

「――なぜ知ってるんだ?」

「話は後だ、早く行くぞ。」

合羽女はそう言って得物をぶっ放した。弾は窓辺の人影に命中し、僕の見間違いでなければ相手の頭を砕いていた。遠くから中国語。女が僕の手をつかんで走り出すのと、男供が応戦して撃ち出すのはほぼ同時だった。



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