05話 仲むつまじいのもほどほどにしてください
グロウから開放された僕は、ふらふらと屋敷に帰ってきた。服も髪も羽も土まみれである。
「お帰りなさいませ、フィル様……おや」
フレドが片眉を上げる。僕は心配ないというように手を振った。
「騎士団に混じって訓練してたんだ。サーシャに見つからないうちに着替えを……」
「フィル様!?」
遅かったか。
屋敷の入り口正面にある階段をかけ降りて来たのは薄い水色の髪をした女性だ。目は茶色で、スレンダーな美人。紺色の長いスカートに白いエプロンという侍女の格好をしている。普通の侍女と違うのはヘッドドレスに二本の線が入っている事か。
「どうかなさったのですか!?かわいらしいお顔が泥だらけで……純白の羽が茶色くなっているではありませんか!お召し物も破けていますよ!」
うん、とりあえず落ち着こうか。
「訓練なさっていたそうですよ」
「ちょっ、フレド!」
それをサーシャに言ってはダメだ。知っているくせに、何でもない顔をしている。
「訓練?マクレン様はいらっしゃっておりませんし、リシアさんとの授業は終了したと聞きましたよ。まさか、またあの方ですか……?」
サーシャは笑顔だ。笑顔なのだが、物凄く怖い。真っ黒なオーラが漂っている気がする。
「あの、サーシャ……」
「フレド様、フィル様はお任せいたします。わたくしは所用ができましたわ」
「はい」
にっこりと返すフレド。黒くは見えないのだが、フレドもサーシャと同じような事を考えているのだろうか。それとも、他に何か?
「そう、忘れるところでした。フィル様」
出て行こうとしたサーシャは、振り返ってこちらを見る。
「本日の夕食は旦那様と奥様もご一緒なさるそうですわ」
「父上と母上が?」
僕は目を見開いた。珍しい。
「はい。奥様の体調がよろしいようで。後ほどお呼びに参ります」
一礼して立ち去るサーシャの背中を見ながら、前に二人と食事を取ったのはいつだろう、と考えた。
前にも言った通り、母上は少し体が弱い。元々もそうなのだが、この浮遊大陸は人間の体にあまり良くないらしい。常に大陸ごと動いていて、位置はさほど変わらないが上下の移動が激しいのだ。
一年のうち約三分の二が雲の上で、その間全く雨が降らない。おまけに空気が薄くて気温が低く、直射日光である。雨については全員が魔法を使えるから問題ないが、その他は翼人や魔人、竜人のように丈夫な体を持っていないと耐え難い。数ヶ月くらいならともかく、何年もいる母上には相当な負担だろう。
尤も、父上だって何も考えていないわけではない。屋敷内は常に人間が暮らしやすい温度に保ち、母上が行く場所の窓には適度に日光を反射する魔法をかけてある。空気はさすがにどうしようもないが、屋敷を出ない限り割りと平気なはずだ。母上と仲の良いサーシャによると、病弱な事と慣れない環境が原因だろうという話である。
まぁ、そんなわけで母上はあまり部屋から出られないため、食事も別々が多かった。
父上の方はというと、仕事が忙しいのが理由でやはり一緒に食べる事はない。補佐できる人がいればいいのだが、残念ながら体を動かすのが性に合っている人ばかりなのだ。
しかし……父上や母上と食事か。
嬉しいのは嬉しいのだが、少し複雑だったりする。
「フィル様、まだ時間がありますのでお召替えを」
フレドの声で我に返り、頷いた。
「ちゃんときれいにしておかないと訓練よりひどい目に合いそうだね。風呂の準備もしてもらえる?」
「かしこまりました」
フレドは若干苦笑している。まぁ、今からきれいにしたところで無駄のような気がしないでもないが……。
なぜよりによって今日なのかとため息をもらした。
◆◇◆
「フィル、怪我はありませんか!?」
広間に入ってすぐ、視界が真っ黒になって抱きしめられた。「失礼します」と言う間もない。
というか母上、もし怪我していたら抱きしめるのはあまりよろしくないと思いますよ。父上、実の息子をにらまないでください!
「大丈夫ですよ、母上。サーシャから聞いたのですか?」
心の声を一切もらさずに言う。サーシャは父上の幼馴染みであり、母上とも仲良くしているのでなんとなくこうなる事はわかっていた。
「はい。サーシャがボロボロで帰ってきたと」
「武道の訓練ですから、それぐらいしないとならないのですよ。怪我はありません。母上こそお体は大丈夫ですか?」
怪我を魔法で治した事は伏せておくべきだろう。うん。
「ここ数日は気分が良いのです。お医者様にも部屋から出る許可をいただきました」
母上が嬉しそうに言った。こうやって見ると、とても母親には見えない少女っぷりだ。もうすぐ三十歳なのに。
「マリー、フィル。いつまでも立ってないで座りなさい」
「あ、はい」
母上はようやく僕を離し、父上の隣の席に座った。僕も反対側の席へ向かう。
「お久しぶりです、父上」
「あぁ」
僕の言葉に、父上が短く返す。父上の愛想は母上にしか振りまかれないので気にしない。こういう人なのだ。
前世で病弱だった僕は、だんだん人が来なくなる寂しさを知っているので母上の見舞いにはこまめに通っている。だから、実は父上の方が顔を合わせる事が少なかった。屋敷にいない事も多いし。
「アガットと食べるのも三日ぶりくらいですよね」
母上がにこにこと話しかける。三日ぶりって、僕はどちらも数週間ぶりなのだけれど。
「そうだな」
「お仕事お疲れ様です。ユースティアの方へ行っておられたのですよね。ユースティアは街の中心に大きくて立派な木があると聞きました。とてもきれいな花が咲くのだと」
そういえば、ユースティアにあるティアの木の花は丁度今頃咲くはずだ。
「ティアの花はきれいだが……早くマリーに会いたくて見ている暇がなかった」
「まぁ」
出たよノロケ。思った事をそのまま言っているだけらしいが、二人きりの時に言ってほしい。母上も顔を赤くして、初々しい反応を返している。更に父上が「かわいい」と素で言い、ますます赤くなる始末。
どこの新婚夫婦だよ。
部屋の隅にいたはずのフレドがいつの間にかいなくなっている。仕事の可能性もあるが、十中八九逃げたんだろう。裏切り者!
給仕の侍女さんは無表情だ。これはにやけるのを我慢しているに違いない。我が家の指導では常に笑顔、という決まりなのだから。
しかし彼女はこの場を離れる事ができる。待機している執事一人と侍女二人は遠いのでほとんど聞こえてないだろう。
結局、僕一人で耐えなければならないのだ。目の前のピンク色の空気に。
一人ずつならいいんだけどなー、と思いながら食事に全神経を集中させる僕だった。
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