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水田  作者: 増田朋美
1/2

前編

その一 


 懍は、毎朝犬の散歩でその道を通っていました。左右を水田に囲まれた美しい道でした。それゆえ自動車も少ないので、片足の不自由な彼でも楽に歩くことができました。懍は、さやさやと風になびく稲の音を、聞きながら歩くのが好きでした。その道は、大通りに通ずる交差点へ繋がっていました。その交差点に一番近い水田には、小さなばあさんが、昔ながらの鎌を持って、草刈をしていました。以前はこのばあさんに挨拶すらできなかった懍でしたが、今は犬の方が「わんわん」と話し掛けてしまうので、「ご精が出ますね。」とだけ話すようになりました。


「一生懸命毎日を大事に過ごしている人がいるんだな。」と、彼は言いました。


 懍が通った後、今度はみっつが、やはり犬を連れてやってきました。ばあさんに会うとすぐに、「おう、ばあちゃん、今年の米の出来映えはどよ。」と聴きました。ばあさんも巻けじと「上等、上等!」と、答えました。「じゃあ今年もでぶさんがいっぱいでるかな!」と、みっつは冗談をいいました。彼と仲良しの悠三も、このばあさんが野良仕事をしているのを、興味深そうに眺めていました。


 一方、増田家では深刻な問題が起こっていました。分家増田家の次女美菜子が、全く食事に手を触れなくなったのです。どういう経緯でそうなったのかは何もわかっていません。本家増田家に属する真矢は、「女の子ってなんて余計なことに終始するんだろう。」と、首をひねっておりました。




 ところが、あるときから、その水田が、草ぼうぼうになりました。それが段段ひどくなり、草が伸び放題になって、遂には稲の背丈を通り越してしまいました。水田はまるで海のようで、雑草は島のようでした。


 直人たちは、夏休みの恒例で、悠三の家に来ていました。


「今年の夏は問題が一杯だ。少しも楽しくなんか無いわ。美菜子ちゃんが、拒食症になって、真矢君の家は滅茶苦茶でしょう。」と、直人がいいました。


「飯を食わないなんて信じられない。よく平気だな。僕なんか、一食抜いても命取りだ。」とみっつが言いました。


「そうだよ。しかもそれは、懍ちゃんみたいに生まれつき小食という訳ではなくて、本人の意思でご飯を食べないって所に問題があるわけだ。」と、真矢。


「飯を馬鹿にしてるのやろか、つまり、飯を食うってことが、楽しいものじゃなくて、何か罪深いものになっちまったということやろ。絶対何か訳が無きゃ、そうはならんよ。」と、悠三が言いました。「君はどう思う、懍ちゃん。」


「悠三の言う通りじゃけ、何もいうことはなか。」と、懍は言いました。


「それを言っちゃ御仕舞いやん、そやからあかんのや。何とかして、解決せなあかん。」


「どうしてそう思うんじゃ。」


「だって、人が困ってるとき、放っとくやつがあるか。僕は、美菜子ちゃんには散々お世話になってもろたけん、その彼女がいま、困ってるんよ。助けなあかんとちゃう?」


「じゃあばって(しかし、)あんたと美菜子と、どう言う関係がある?なんも関係が無いのにいちいち手を出しよったら、かえって迷惑になると思う。そうじゃろ。」


「もう、二人とも、違う訛りで口げんかしないでもらえないかな!こっちは大阪で、もう一方は広島で。意味が全然とれないよ!」とみっつがとめました。


悠三と懍はそれぞれ再従兄弟にあたり、二人とも出身地が異なっていました。柚木家は全国津々浦々にある、大地主でした。金銭的に余裕のある家系でしたから、真正面に感情を表すことが許されていたのです。しかし、懍の家は没落し、悠三の家は繁栄していました。


 「話を戻しましょう。あたし達は美菜子ちゃんに対してどう付き合ったらいいかを話し合いに来たんでしょ、今日は。」と、直人が言いました。


「そうやった。で、真矢君、美菜子ちゃんは、ほんとに何にもたべんのか。」と、悠三。


「うん。特に、肉とご飯を食べないんだ。」


「はあ。贅沢なこった。にくも飯も作るのはすごく大変だよ。ほら、大藪のおばあちゃんだってそうだ。いつもいつも草刈して。ああしないと、めしはできないよ。」


と、みっつがあきれた顔でいいました。


「大藪のおばあちゃんいなくなっちゃったよ。」と、一番のちび介ノブがいいました。ノブはまだ幼すぎて、他の人達の話はとても理解できませんから、今まで黙っていたのですが、「大藪のおばあちゃん」の名前が出たので、ぱっと口に出したのです。


「いなくなったって?」と、悠三が繰り返しました。


「いつごろから。」と、真矢がききました。


「とにかくいないの。田んぼは草ぼうぼう。」


「とすると、二週間、いやっもっと前からか?あそこへ出ていないと言うことやな。そのへんに、あの道を通った人いる?」と、悠三が言いました。


「そのときはまだいらっしゃったよ。」と、懍が言いました。


「どんなようすやった?」


「べつにかわったことはなか。あぜ道に腰をおろして、何か考えとったよ。僕が通りかかったら、『やあ懍ちゃんおはようさん』て仰って。それから、『このごろ田んぼをやるのは大変になってきたよ。』と、仰っていた。」


「それでなんともおもわなかったんか。」


「ああ。いつもと変わらん毎日じゃと思って。」

「馬鹿者!」と、悠三は怒って言いました。「その言葉から何にも気づかなかったんかい。鈍いなあ。それはきっと宣言文だったんやで。もう駄目だって言う意味の。それでなんの言葉も掛けてこなかったんか。」

「悠三、そう興奮したらいけん。そんな事言ってどうするんよ、なんの効き目もありはしないんじゃ。僕だって少しは、もう終わってしまうんだ、とは感じたよ。でも、口にだしたって仕方ないんじゃ。僕らが関与することないんよ。」

「ほんとに、にぶいんやねえ!僕時々わからんときあるんや。懍ちゃんみたいな人って、頭では考えるくせに、絶対実行せんのや。人のうわさばっかりして、実際にはその通りにせんのや!懍ちゃんってだめなやつやね!一々変なものをお絵かきして、過去のこと消そう消そうとしてるから、そうなるんとちゃう?」

「ゆっぴ、これは懍ちゃんのほうが正しいと思うよ。確かにかわいそうとは思うけど、いざ何かしようと思ったら、既に持っていたいろんな物を捨てなきゃいけないんだよ。皆そうなるのは嫌だから、何にもしないんだよ。ゆっぴは、それでも全部捨てられる?」

「ああ、その覚悟もあるね!」

「真矢君、放っておけばいいんじゃ。悠三はまだ無知なんじゃ。まだ硬い殻の外に出たことなか、一度出れば判るようになる。」と、懍が言いました。

「ねえねえ、それよりも美奈子ちゃんどうするの?なんだか、話がずれてしまったわ。元に戻さなきゃ。」

「そうやね。どうしたらいいんやろ。」こうやってすぐ切り替えができることも悠三の特技でした。

「美菜子ちゃんがもし誰かに悩みを聞いてもらいたがったら聴いてあげて、それ以外はあんまり干渉しない方が良いね。懍ちゃんの話にもあったけど、かえって迷惑かもしれないから。」とみっつが言いました。これで決着がつき、後は美菜子がこんなことをして来た場合どうするかということを話し合って総会は終わりました。みな、それぞれの家に帰りました。しかし、直人は家に帰る途中、ずっと考えていました。彼女は、悠三と懍の喧嘩が強烈に頭に残っていました。

「私に、捨てなきゃいけないものってあるかしら。」と、彼女は言いました。「何も無いわ。私が何一つ持ってないんだから。あの人達は、根本的に他の人と関わりたくないんじゃないかしら。懍ちゃんなんか特に。あの人は今までろくな人と付き合ってないんだから。ほんとに駄目な人ね。ゆっぴの言うとおりだわ。あの人は世の中は悪いものって勝手に決め付けて、それを押し込んでいるだけじゃないの!でも、私はそうはしないわ。絶対に!」




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