有用性
馬車に揺られて、7日。
ここまでの魔物との遭遇回数は、8回。どれも大した事は無く、メイヒューとホルン、ボローニが全て倒した。思った以上に魔物との戦いに慣れていた彼等は、安定した戦い方をする。
「無茶をせず、戦局を見極められる者」という基準で選んだが、思った以上の実力者だったのは、互いにとって幸運だったのだろう。……おかげでする事が無く、体が鈍りそうなのが少々不安だが。
馬車の揺れは、ある程度魔術で軽減している。それでも長時間の移動は体に疲労を蓄積させるから、時折休憩を挟み、体を軽く動かすようにしてきた。
野宿は、さして苦痛では無い。最初は野生の生き物の気配がある中眠るのに少し手間取ったが、既に慣れた。化け物とは気配が違うし、護衛の3人が交代制で見張りをしている。何かあれば彼等の動く気配で直ぐに分かると体が学んで以来、何ら不便は無い。
メイヒューやホルンが、とりとめもなく様々な話をするのは、おそらく間が持たないからなのだろう。そう分かっていても、元々他人と親しく話す事のない私には、どう応えてやる事も出来ないが。
それでも、面白い情報もあった。
この世界の植生、気候、暦。大部分が元の世界に似ていて、けれど少し古い。文明度の違いなのだろうが、その僅かな誤差が及ぼす魔術の知識の違いについて考えていると、長旅もさして長く感じなかった。少し、旭の気持ちが分かった気がする。
——旭。
彼は——彼や古宇田、神門は今、訓練中だろう。やる事を定め、出発する前には少し顔つきの変わった彼等がどのような成長を見せるのかは、分からないけれど。訓練に明け暮れる事で、余計な事は忘れて、強くなってくれればと思う。
……死なせたくない。
愚かしいほどに傲慢な思いを押しつけて、私は今ここにいる。きっと私を知るものは、今更何を、とも、お前如きがそんな事を言えたざまか、とも言うだろう。
それでも、これ以上の犠牲を生みたくはないから。旭という、本当に強い人間の元で、彼女達が覚悟を決め、己の命を守る力を手に入れてくれれば、と思う。
——きっと、上手くいく。
旭がいて、精霊や神霊の協力があって、……夢宮の加護があって。これ程に味方の多い少女達も、きっと珍しい。人徳、なのだろう。
……私さえいなければ、災いをもたらす身さえなければ、彼女達が危険に晒されようがない。
その時ふと、風の流れが変わった。顔を上げると、多くの人の気配。
「国境です。やはり大国なだけあって、商人達も多くここを通りますね。ここから先が、スーリィア国です」
私の注意が向いた事に気付いたらしいメイヒューが、そう説明した。顔を少し窓から出し、検問が行われているであろうその場所を、確認する。
メイヒューの言葉通り、かなりの人数が並んでいた。兵士も5,6人体制で対応しているが、それでも間に合っていない。進み具合から、今から30分は待たされそうだ。
並んでいるのは、主に大きな馬車。商人が品物を運搬する為の物だろう。確かに、あの中に不法な物が混入されていないか確認していれば、時間がかかるのは道理だ。
数人、冒険者らしき人も見かける。装備がしっかりしていて、基本数人で固まっており、どこか荒くれた空気を纏っているから、直ぐにそれと分かる。
貴族が乗るような馬車は、いない。王妃の提案を取り下げ、街に良くある馬車を用意させたのはやはり正解だった。もしそうしていたら、かなり目立ったに違いない。
……見世物ではないのだから、じろじろ見られるのはごめんだ。
それでも、門塀の人にボローニが二言三言話すだけで、検閲も無しに通された為、少なくない視線が集まってしまった事には変わりなかったが。
「特別扱いなど、望んでいないのだが……」
「それは仕方ありませんよ、シイナ様。王族に招かれた客人で、魔王を倒す勇者ともなれば、この程度の扱いはそれでも軽い方なのですから」
「…………」
ステラの主張の方が尤もなのだろうが、勇者と呼ばれても困惑するばかりの私としては、迷惑の一言に尽きてしまう。
ともあれ、さしたる問題も無く国境を越えられた事は良い事だ。そのまま道を進み、最寄りの街を目指す。
——さあ、ここからだ。
この国に入った以上、魔物の力は格段に跳ね上がる。これまでのようにはいかないはずだ。そのうち、3人だけでは対処しきれない事態もあるだろう。
その時は、直ぐに動かせて貰う。彼等に出来る事までやろうとは思えないが、出来ないのなら、出来る私がやるまでだ。
——護衛と言っても、私の手間を減らす程度にしか使うつもりはない。
国境を越えて、およそ2時間。それはやってきた。
「何故こんな所に、魔物の大群が……」
強張った顔で呟くのは、ボローニ。3人の中で最も経験のある彼がここまで驚いているという事は、やはりこれは異常なのか。
馬車から降りつつ、ゆっくりと辺りを見渡す。1つ目の鬼、全身に針を生やした蛇、爪から毒を持つと思しき液を滴らせる熊。この世界での名前もあったが、とりあえず特徴だけを頭に叩き込んできたから、良く覚えていない。
個々の戦闘能力は、そこまで高いものではない。普通の人間には荷が重いだろうが、近衛騎士にまで上り詰めたここの3人なら、余程の事態でない限り対処出来る程度の力だ。
問題は、その数。
見渡す限り、と表現しても差し支えない程の数。馬車の3方を囲むように布陣し、ゆっくりと威圧するようにこちらへ近寄ってくる。
これ程多くいると、質量でものを言わせてくる事の厄介さは勿論、戦うスペースを十分に作れないという問題も出てくる。
ちらりと3人を見る。案の定、騎士の2人は強張った表情をしていた。普通なら、こういう群れを相手にする時、彼等は集団で出向いていたはずだ。これをこの人数で、というのは、流石に辛いか。
対して、ホルンだけはそれなりに落ち着いている。理魔術と精霊魔術を扱う彼女は、かつて傭兵だったらしい。それならば、この様な状況もありうる、と知っていたはずだ。対処出来るかどうかは、また別の話だが。
「……ボローニ。お前ならどうする」
とりあえず声を掛ける。はっと我に返ったボローニは、視線を魔物に当てたまま、静かに応えた。
「まずは、数を減らさない事にはどうにも。ベラに広範囲魔術である程度滅して貰って、我々が攻撃に映るべきでしょう」
「全体の4分の1……少なくとも、戦うスペースは確保出来るかと」
ホルンが続けて発言する。どうやら彼等も、この戦闘空間の狭さをうれいていたようだ。彼等の考えは、模範解答と言えるだろう。
……が。
「そうだな……それで、あれはどうするつもりだ?」
そう言って、視線を空に向ける。つられて上を見た彼等は、絶望の表情を浮かべた。
いつの間にか集まった、質の悪い事にやたらと大きい猛禽類がこちらに嘴を向けている。確か奴らは、氷を吐き出すのだったか。
「あれは……こんな人里に近い位置に生息するはずが」
「今夜も野宿かも知れないな」
思わずといった様子でこぼされたステラの言葉に、そう相槌を打つ。余り考えたくはないが、十分に可能性がある。
その考えは彼等にもあったのか、重い沈黙が降り積もった。
……この程度で動けなくなっては、生き残れない。
「では私は、上のあれを焼き払う。ホルン、お前は数を減らせ」
策が尽きたらしい彼等にそう告げた。驚いたように振り返ったホルンが、直ぐに頷き詠唱を始める。
理魔術。彼女の実力で大多数を減らす魔術を構築するには、もう少し時間がかかるだろう。案の定、その隙を突こうと鳥が一斉に降下を始める。
さて、どうするか。
少し考えたが、結局腰の銃を抜いた。こういう時でないと、威力の上限を確認出来ない。
——丁度良い機会だ、旭の技術の結晶を試させて貰おう。
「シイナ様、いくら貴方の魔力量が多いと言っても、魔力弾では——」
ボローニのもっともと言える言葉を無視し、火炎の魔術を選択、範囲を鳥の群全体に設定し、引き金を引いた。
調整の時の威力を考えれば、かなりの数を減らせるはずだ。後は術で何とかなるだろう。そう思っていたのだが——
——次の瞬間、空を業火が覆い、一瞬で鳥を燃やし尽くした。
「…………」
唖然とした空気がその場を占拠する。
ボローニもメイヒューも凍り付き、私を見据えた。魔物の前では許されない隙だが、無理もないだろう。ホルンが魔術を構築し続けているのは、賞賛されてしかるべきだ。
……というよりも、私も流石に驚いた。何しろ、まだ威力には余裕がありそうなのだ。旭は一体、私にこれで何をさせる気なのだろう。
『——奮えよ大気、集えよ水気、願うは全てを滅ぼす嵐!』
ややその場の状況を忘れかけた空気は、ホルンの魔術の完成を持って打ち破られた。
乱舞する氷の嵐によって4分の3まで減らされた軍勢に、ボローニとメイヒューが素早く斬りかかっていく。安定した戦い方を横目に、私も刀を抜き、近付いてきた魔物を切り捨てた。
2度に渡る大規模な理魔術に動揺でもしたのか、程なく魔物は一掃された。柏手を打ち、その場に満ちる瘴気を祓う。
全てが終わって、改めて視線が集まる。刀を収め、彼等の視線の集まる先である銃に視線を落とした。
旅を共にする以上、ある程度武器に関する情報は伝えるべきだ。護衛として、どのような武装をしているかは、スタンス決定の上で重要な要素となるのだから。それは、きちんと理解している。……が。
…………一体、どう説明したものか。