扱い
2章開始。
王都を出発して、3日。
馬車での旅は初めてだと仰っていたシイナ様は、しかしその不便さや苦痛を訴える事は無かった。
ずっと外の景色を見据え、時折ベラやステラが、この辺りについての事をとりとめも無く話すのを、相槌を打つ事無くお聞きのシイナ様。御者として前にいる私にはその姿は見えないが、それでも常に無口でいらっしゃるのは、やはり少し落ち着かない。
シイナ様に護衛として選ばれてから出発するまで、私達は他の勇者様方と話す機会があった。その時、やはり、シイナ様が強く浮いている印象を覚えた。
コウダ様やカンド様は、こちらの世界の、商人の娘のように思えた。暮らしに不自由する事なく、かといって貴族のように行儀作法を学んでいるわけではない。その割には随分学がおありのようだが、そこは世界の違いが成す業だろう。どこにでもいるごく普通の少女だ。
この2人と比べて、アサヒ殿やシイナ様は大人びているというか、どこか一線を画しておられる。アサヒ殿は魔術師として、ほぼ大成していらっしゃる為だろう。魔術師にはどこか浮き世離れした空気が漂うものだ。
が、シイナ様は、そういうものとははっきり空気が異なる。
——戦を知るもの特有の、臭い。
魔術師と言うよりは、戦士。騎士達にも少ない、生きるか死ぬかの本物の戦いを何度もくぐり抜けてきた者特有の隙の無さと、……荒んだものを持ち合わせておられる。
コウダ様によると、彼女達の世界には戦は無いらしい。それなのに何故、彼女は戦場に似つかわしい存在なのだろう。
そこまで考えて、私はそっと息を吐きだした。いくら疑問を持っても、その答えを知る事は、自分達には許されていない。
——闘技大会の、後。
シイナ様に呼び出された私達は、何の説明も無いまま、魔術練習場へと連れて行かれた。
魔法円の描かれた部屋に満ちた、嗅ぎ慣れない香りの意味に気付くよりも早く、床に陣が現れた。
神霊魔術師が、予め用意した香と、陣。それの意味は、流石に知っていた。
——誓いを強制的に為す、縛り。発動した今、それは止められない。
『王に仕える全ての人間は、王より、もし私に選ばれた場合、私を監視し、逐一行動を報告するようにと、命令が下されているはずだ』
進む事も退く事も叶わなくなった私達の耳朶を、冷静な声が打つ。
顔を上げる私達に、シイナ様は切りつけるような厳しさを持って告げた。
『選ぶが良い。王への忠誠に殉じるか。命を取り、私の指示に従うか』
『……何故それほどに、王へ反発なさるのですか』
そう答えたのは、ステラだった。青醒めた顔で、それでも気丈に問いかける。シイナ様は、僅かに眉を上げる。
『神霊魔術師が、己の行動を監視される事を是とすると思うか』
彼女達の強みは、隠密性。隠された魔術を途中で暴かれ、中断されれば、その返りは彼女達へと牙を剥くという。
『それで、指示とは』
これはもう、逆らえるものではない。そう判断したのか、ベラが淡々と問いかけた。特殊な背景を持つ彼女は、王への忠誠心は然程強くない。それ故、これ程に決断を下すのが早いのだろう。
その点、骨の髄まで騎士である私やステラにはこの選択は辛い。が、これが3人全てを対象にする魔術であり、私が反対すれば残り2人の命も失われるとなれば、逆らう事は出来ない。
ステラも同じ考えだろう。ややあって、頷く。
それを確認したシイナ様が、ゆっくりと「指示」を口にした。
シイナ様の事について、詮索してはならない。
護衛として見たものは、許可が無ければ、誰に対しても一切語ってはならない。
シイナ様の護衛として、勝手な行動は慎む。
強い魔物が現れた時は、無理な戦闘は避け、シイナ様に任せる。
シイナ様の取る行動に、口を出さない。
……その、あまりにも高慢で傲慢な要求に、思わず口を出したのは、ステラだったか。それでは護衛にならないと言った彼女に、シイナ様は冷めた目を据えた。
『この際だ、はっきり言う。お前達が私の護衛として、十分な仕事を為せるはずも無い。足手纏いにならないよう、全力で取り組め。戦場で散る命を救う程、私は高潔じゃない』
その言葉は、聞きようによっては、どこまでも冷たいものだ。——けれど。
『……つまり我々は、命を落とさない事で、シイナ様の邪魔をするなという事ですか』
確認すると、シイナ様は肩をすくめた。
『言うなれば、その通りだな。一応護衛なんだ、命を落とすなんて無様な真似はしてくれるなよ』
……その言葉に頷くしかなかった我々は、どこまでも道化だった。
「ボローニ」
回想にふけっていた私は、シイナ様の声で我に返る。
振り返ると、切りつけるような瞳が私を見据えていた。
「お前は、騎士だな」
「……はい」
「ならば、言っておく。今後私は、騎士としての矜恃を踏みにじる指示を、きっと下す。その時になっていちいち噛み付くなよ」
「…………かしこまり、ました」
心の揺れを気付かれたのだろうか。シイナ様の宣告は、心の奥底に叩き付けられた。
——あの契約を破った時、「私達の魔力が失われる」。
確かに、魔力を失えば、私とステラは騎士として、ベラは魔術師として積み上げてきた実力を、職を、名誉を失う。そんな対価を支払ってまで破る誓いではない。効果的な代償だった。
……だがそれは、神霊魔術師としては、破格の甘さだ。彼等は誓いを立てる時、ほとんどの場合その命を対価にする。
それに、あの「条件」は。
「…………」
殺気を感じ、顔を上げた。近付いてくるのは、3体の魔物。
「ベラ、ステラ」
名を呼ぶと、直ぐに彼女たちは察したらしい。さっと立ち上がり、私が止めた馬車からひらりと降りた。
シイナ様は、動かない。鋭い目で魔物を睨み付けているが、ベラとステラが落ち着いて戦闘態勢を取るのを、ただ黙って見ていた。
……この程度なら大丈夫、と、判断なさったのだろう。
魔物は、この世界には多い、1つ目の鬼だった。膂力が強く、人による対物攻撃はおおよそ通じない。魔法の使えない者には、少々荷の重い相手だ。
だが、ここにいるのは近衛騎士と宮廷魔術師。
耳障りな声を上げて飛びかかってきた1体を、ステラが火を纏わせた剣で切り裂く。その間、ベラは鋭く尖った氷で、残りの2体を倒していた。
鋭い音が、2度鳴り響く。たったそれだけで、その場に満ちていた魔物の気は浄化される。
「行くぞ」
手を叩く音で場を浄化なさったシイナ様の言葉で、ベラとステラが馬車に戻る。そのまま、何事も無かったかのように出発した。
この日までに、この様なやりとりは5回目だ。群れでの襲撃が無かった為、1度だけ私も加勢したが、基本は彼女達2人で事足りた。幸い今回護衛に任ぜられた3人は、全員魔物との戦いに慣れている。この程度なら、さしたる疲労も無く対処出来た。
……けれど、もし。私達に対処しきれない相手が来れば、シイナ様は迷わず馬車を降り、戦いに参加なさるだろう。
——「条件」。あれは決して、シイナ様の為だけに為されたものではない。情報を統制するのはシイナ様の望むところなのだろうが、それ以外は……
いざというとき「余計な真似をしない」、「行動に口を出さない」。つまり、シイナ様は我々という足手纏いを、自由に戦線から離脱させられるという事だ。そして、「死ぬな」という言葉。
……シイナ様が強制的に誓わせたそれは、ある意味我々を守る為だけのもの。情報統制も、シイナ様ではなく、他の御三方に害が及ばないようにするためのもの。
全てはあくまで、他者の為のものでしかなかった。
——そんな誓いをさせられた「護衛」の我々は、結局は、護衛としての役割を一切期待されてはいない。
そう思い知らされて以来、私達は未だに、シイナ様への接し方が分からないままだった。




