想い
旭が選んだ場所は、魔術の実験室だった。
「ここ?」
「そのようだ」
遁甲盤を見ながら、旭が肯定する。確かに、この場所なら何でも出来るだろう。
「何だか……見覚えがあるな」
「魔術師の研究室など、どこも同じだろう」
部屋を見回しながら呟くと、旭がそう返してきた。本人も、自宅の研究室に似ていると思っていたようだ。
他者の干渉を防ぐ為の防御魔法陣に、部屋を守る保護魔法陣。いくつかの魔術書と、数え切れない程沢山の道具。
こちらでの旭の私室をもっと魔術研究の用途だけに限定したような部屋で、元の世界での旭の研究室そっくりだ。
「それで、私は何を手伝えば良いんだ?」
早速取りかかった方が良いだろうと思い、部屋を見回すのもそこそこに尋ねる。2つの魔法陣を発動させながら、旭が答えた。
「魔法具の最終調整だ」
その言葉に、首を傾げる。
「それは、使用者に合わせてするものだろう?」
魔法具を購入しても、そのままでは使えない。それぞれの魔力の性質に合わせて微調整する必要がある。初心者は販売者に頼むが、慣れてくると大体皆自分で行うようになる。
滅多に魔法具を使わない旭とてそれくらいは出来るはずだし、私が手伝う事ではないと思うが。
「ああ。これはお前が使う」
けれど旭はそう言って、いつもの魔法陣からあるものを取り出し、私に手渡した。それはサーシャが持っていた物であり、旭が随分熱心にエルヴィンの説明を聞いていた物。
「銃?」
「椎奈には長距離用の武器が無い。これは距離を自由に設定出来るから、遠距離でも狙撃出来る。弓より遥かに早い」
旭の主張は分かるが、わざわざこれを使う理由が分からない。魔力弾くらい自分で作った方が早いし、それを遠くで作用させる術もある。霊力の節約をするなら、この間エルヴィンのところで買ったダガーで十分だ。
だが、旭の目には迷いがない。冗談を言っているはずもないから、とりあえず受け取る。
「魔力弾を撃つ銃か? 私はスローイングダガーを使うし、術もあるし、これを使う、意味、は…………」
言いながら銃を受け取りそれに視線を向けた私は、途中で気付いて言葉を失った。
艶消しも成されていない、銀色に鈍く輝く銃。近くでよく見ると、エルヴィンが作った物よりも精巧で細かな彫刻が全体に施されている。エルヴィン作の物が銃身の部分だけだったのを考えると、相当な手間がかかったはずだ。
艶消しをしないのは、おそらくこの彫刻を隠す為。だが、私が言葉を失ったのは、その彫刻の量ではない。
彫刻が描く線を丁寧に目で辿る。複雑に入り組むそれらは、しかし決して相互の働きを消す事はなく、1つ1つが意味を持ち、相互に働き合い、1つの意味を成していく。
それは、旭が常に使う、芸術的な——
「……魔法陣」
立体に刻まれ、銃の形にも考慮して描かれている以上、立体魔法陣と言うべきか。
しかも、組み込まれている魔法陣は、10。
「旭、これは……」
声が震える。見上げた先で、旭は静かに立っている。外界から隔離された部屋に、旭の声が静かに響く。
「術は行使者自身に負担を掛けるが、魔術は違う。魔術のデメリットはその複雑な理論と魔法陣を理解しなければならないという事、精霊魔術よりも発動速度が遅い事だ。威力と柔軟性、負担の少なさの割に普及率が低いのは、その為だ。
だが、これならそれを補える。先程も言った通り座標設定は意思1つで調節出来るようにしたから、長距離広範囲魔術を簡単に使える。これ程強力な魔法具も無いだろう」
そこで言葉を句切り、旭はやや眉を顰めた。
「……ただ、研究途中だ。それはまだ、魔術を一定以上学んだ人間にしか扱えない。そこに刻まれている魔法陣をそれと分かる程度の知識は必要だ」
「いや……十分だろう」
旭の探求心が満足しないのは分かるが、彼は自分が何を作ったのか理解しているのだろうか。
元の世界には、魔術の構築を補助する魔法具はあっても、それ単体で、つまり、魔力を注ぐだけで攻撃手段となる魔法具は無かった。
サーシャの使う銃も、エルヴィンの持っていた銃も、ただ魔力を射出させるだけの物。
魔術の世界には、単独の魔法陣を刻み、それの発動を補助する魔法具があると聞くから、おそらくそれを参考にしたのだろう。だが、この銃に刻まれている魔法陣の数は、10。それを意思1つで選択し、扱えるとなると、技術革新どころの騒ぎではない。
……引き金を引くだけで魔術が使える事が、一体どれだけのアドバンテージとなるか。少し考えただけでも凄まじい。
「今回の使用者は椎奈だ。椎奈はある程度なら魔術を使える。10の魔術を刻んでいても、椎奈ならば使いこなせるはずだ」
そう言われて、改めて魔法陣を確認する。9の魔術が攻撃魔術、1つが防御魔術だ。どれも扱った事があるから、大丈夫だろう。
何より、魔術の選び方が秀逸だ。近距離でも遠距離でも使えるし、種類が豊富。どこで何を使うべきか、これを見るだけでも大体分かる。
確かに、私でも使う事が出来る。……だけど。
「……良いのか? 私が使って」
こんな代物を、私が最初に使ってしまって良いのだろうか。折角作ったのならば、旭が使えば良いのに。
「椎奈に使って欲しい」
強い口調に驚く。瞬く先で、旭は真っ直ぐ私を見つめていた。
「この旅で、お前が危険に晒されても、俺には何も出来ない。だからせめて、これを持って行って欲しい。……役に立つかは、分からないが」
「…………」
視線が揺れる。約束を忘れたわけではないし、破るつもりもない。旭がそれを疑っているわけでも、ないのだろう。
だから、これはきっと——
『俺は、お前の力になりたい』
——旭自身の、願い。
「……この為に、ここ数日、ずっと籠もっていたのか…………?」
私が旅立つと決めてから、随分考え事が多かったのも、魔術に関わる事全てに強い関心を見せていたのも、私の戦い方に口を出したのも。睡眠を削って、誰にも明かさず、1人籠もっていたのも。
——私の武器を、作る為、だった……?
「ああ」
旭は、当然のように肯定した。込み上げるものを、ぐっと堪える。
「……分かった、使わせてもらう」
そう答えると、旭は頷き返し、すっと片手を上げた。再び金色の魔法陣によって、大きな物が複数配置される。
「魔術加工によって強度を上げた的だ。機能試験は既にしている。後は微調整だが……」
「ああ、頼む」
流石にこんな物を調整する事は出来ない。旭に頼み、銃を構える。
銃口の向きは、余り関係無さそうだ。慣れれば、本当に引き金を引くだけで魔術を使えるだろう。
使用する魔法陣を意識しながら、銃に魔力を流し込む。少し息を吸って、引き金を引いた。
魔力が射出され、魔術となる。
選んだ攻撃魔術によって、的は大破した。
「…………」
「動作に問題は無さそうだな」
魔力が変換される流れの良さと速さ、何よりも威力に呆気に取られている一方で、旭は驚きも焦りもない口調で感想を述べた。どうやら、この威力は旭の意図する物だったようだ。
……これは間違いなく魔物用だ。人に向けたらまず死ぬ。
使い方には注意しなければと心に戒め、旭に1度銃を返す。受け取った旭が霊力を流し、銃の魔法陣を微調整していく。
よく考えれば、この魔法陣、私の霊力に合わせて設計されている。動作確認後に、1度調整しているのだろう。
術師に扱える魔法陣をこれ程精緻に作っている時点で、「誰でも使える」の条件にかなり近い位置にいる筈だ。
それに、1度も私に試させる事無く、これだけ精確に調整するとなると、相当高い技術を持っていなければ出来ない。
——本当に、旭は。
「これでもう1度試してみてくれ。……どうした?」
調整が終わったのだろう、向き直った旭は、私の顔を見てふと怪訝な顔をした。
……今、どんな顔をしているのだろう。
「何でもない」
首を振ってみせて、旭から銃を受け取る。もう1度試したそれは、先程よりも霊力への抵抗が少なく、魔術の構築速度も上がっていた。
旭の顔を見上げる。満足そうに頷くのを見て、これが彼の期待していた状態だと確認した。
頷きを返し、そのまま旭の魔術でしまおうとした時、先手を取るように旭が魔法陣を宙に描く。現れたのは、太めのベルト。
「ホルスター?」
「刀も差せるようにしてある。重いか?」
形状から予測すると、是が返ってきた。問いには、首を横に振る。
「これはそんなに重くない。元々刀の重さには慣れているし、大丈夫だ」
そう言って、私は手を伸ばした。ホルスターを受け取ろうとしたその手は、しかし旭の手が握る。
「? 旭、」
どうしたと言う前に、急にその腕を引かれてバランスを崩す。ふっと、視界が暗闇に閉ざされた。
頬に触れる、記憶よりも硬く熱い体が、少し早いリズムを、直接伝えてくる。
「……無事、戻ってこい」
その言葉に、私は息を詰めた。
いつも迷いの無い旭の声が、揺らいで。
私を見送る事を最後まで反対していた彼の、今まで自分に出来る事をする事で抑えてきた感情が、肌を介して直に伝わってくる。
「椎奈が強い事も、俺の助けなど要らない事も、分かっている」
……そんな、事はない。
これまで私が、どれだけお前に助けられた。
私に出来た事、出来る事、なんて。
「だが……必ず、ここに帰って来てくれ」
言霊さえ響くその言葉に、私は静かに目を閉じた。
1人の人間を己の業に巻き込んだ罪は、いつでも償う覚悟は出来ている。
「……ああ」
だけど、どうか。
「約束だ。私は、必ず、ここに帰って来る。何があっても、必ず」
どうか、旭と共に在る事だけは、許して欲しい。