占い
出発前日。ようやくここまで来た。
神霊達に、これまで世話になった事の礼も言った。使用人達に、しばらく離れると挨拶もした。今日になってようやく出てきた旭に、これまで得た情報を引き継ぎ、気を付けて欲しい事も伝えた。
全ての準備を終え、後は明日を待つのみだ。
そんな私は今、図書館からの帰り道を歩いている。最後にいくつか確認して、スーリィア国での手札を確実にするつもりだったのだが、思った以上に時間がかかってしまった。
時刻は、もう昼の時間を過ぎた頃。中途半端に残った時間をどうしようか。
明日出発するのだから、流石に今日は訓練は避けておきたい。早朝に軽く体を動かしたし、これ以上は疲れを残してしまう。とはいえ、これ以上の調べ物を今する必要も無い。
……正直、暇だ。今まで暇を持て余した経験が無かったから、どうするべきか途方に暮れる。
とりあえず部屋に戻ってから考えようと踵を返した時、名を呼ばれた。
「椎奈」
「……旭」
曲がり角から姿を現した旭は、私に真っ直ぐ近付いてくる。その手に持つ物が目に入り、訝しく思った。
「遁甲盤……?」
中国に伝わる、術師用の式占の道具だ。
確かこの城には、術用の占具は無かったはずだ。そもそも、魔術師の旭が、何故そんなものを持っているのだろう。
私の疑問が伝わったらしく、旭はいつも通りの口調で答えた。
「サーシャに方位を表す魔道具を尋ねたら、これを持ってきた。どうやら彼女は、これを魔術用の占具だと思っていたらしい」
神霊魔術を使える人間は、少ない。それなりに詳しいサーシャなら分かるはずと思って頼んだが、それが裏目に出たか。
帰ってきたらもう少し徹底的に探してみるとして、それよりも。
「……それは、魔法具だろう」
魔術の補助具は魔法具で、それ自体で魔術を発動するのが魔道具だ。遁甲盤なんて、知らない人が見たらただの落書きされた板。どうしてそんなものを持ってきたのか。
「俺もそう思うが、彼女は魔法具や魔道具は専門外のようだ」
……魔術師は己の専門以外の知識が乏しいと聞いた事があったが、まさかここまで酷いとは。
「よく、使えたな」
「前に椎奈が使っていただろう」
確かにその通りだが、基本私は六壬式盤——陰陽師が式占で使う——を使用している。いや、どちらも式占の道具である事には変わりないし、複数ある流派のうちの2種でしかないのだが、大抵の術師はどれか1つを使う。私も遁甲盤は単純な方位確認にしか使えないし、方位だけを占う事なんて滅多に無いから、基本六壬式盤を使っている。旭の前でも、それは同じだったはず。
……本当に、細かいところまでよく覚えている。
「まあ、な。それで、それを使って何をしていたんだ?」
適当に相槌を打ち、話を戻す。そもそも、どうして旭がそれを使おうとしたのか。余計な事かも知れないが、術師としては気になるところだ。
「あらゆる魔術、制作は、方位に随分と拘る」
「……ああ」
答えに間が空いてしまったのは、仕様だ。それはあらゆる魔術、術において、基本的な事項である。
術だろうが魔術だろうが、それを設定するのにおいて、方位に拘る。世界に流れる魔力線から力を得る為だ。
「俺の部屋でも最低限守っていたが、やはり完成させる時は最も良い場所を探すべきだと思った」
「完成……?」
それはやはり、最近部屋に籠もって行っていた研究の成果だろう。今朝部屋から出てきていたから、既に完成したと思っていたのだが。
「ああ」
しかし世の中には例外があるものだ。珍しく旭は、未完成のまま半日以上放置していたらしい。場所に拘るにしても、午前中には終わらせていそうなものなのに。
正直かなり不思議だったが、まあ何か個人的な事情があるのだろう。詮索する気は無いので、大人しく引き下がる。
「そうか。で、見つかったのか?」
「今から向かうところだ」
その返事に頷いて、踵を返す。占術が上手くいかなかったなら手伝うところだが、終わっているなら必要無いだろう。
「椎奈も来てくれ」
だが、この言葉で再び体の向きを反転させる事になった。思わず聞き返す。
「私?」
旭ははっきりと頷いた。聞き違いでは無かったようだ。
今まで、旭の研究に付き合った事はない。専門が違うから、私が居ても何の役にも立たない。寧ろいちいち説明させて邪魔になるだろうからと、彼が研究を始めたら、終わるまで一切近付かないのが常だった。
どうも今日は、旭が普段とは異なる行動基準で動いている。だからどうというわけでもないが、何だか調子が狂う。
とはいえ、旭に頼まれて、断るはずもない。
直ぐに頷き、旭と並んで歩き出した。