目覚めの儀式
*を区切りに、視点が変わります。
*の前は里菜、その後が椎奈です。
異世界生活、2日目。
何となくそう呟いてみて、そのあまりのファンタジーじみた語感につい笑う。
現実逃避だというのは、分かってる。そんな事をしてもどうしようも無いってのも、よーく分かってる。
……それでも逃げたい時って、あるよね。
椎奈の不満は、一晩経ってもちっとも和らいでいないらしい。それどころか、更に悪化したように見える。
相も変わらずサーシャさんに対する態度は攻撃的だし、夕べの言い合いが尾を引いているのか、旭先輩とも事務的な事しか口をきかない。旭先輩も無駄話をするタイプじゃないから、ちっとも喋らない。
気まずい空気の中、私と詩緒里が断続的に会話を交わすという、実に胃に悪い朝食をとった。
朝食後、サーシャさんが丁寧な口調で私達に話しかけてくる。
……「私達」の中に、無意識に椎奈が外されていても、責められないだろう。あれだけあからさまに威嚇されて、平気な筈が無い。
「これから目覚めの儀式が行われますので、ご案内致します」
「目覚めの儀式?」
今度はどんなネタだと聞き返す。私の内心には気付かず(当たり前だ)、サーシャさんは丁寧に答えてくれた。
「勇者様に宿った力を覚醒させる儀式です。当代一の神官によって行われます」
「覚醒は、勇者に宿った力に限定されるのか?」
旭先輩が尋ねる。サーシャさんは質問の意図を理解した上で、分かりやすい答えを返してくれた。
「その通りです。ですから、この儀式を執り行う事で、4人の内の誰が勇者の素質をお持ちなのかが明らかになります」
誰が勇者か……。詩緒里と顔を見合わせて、視線で会話する。
(誰だと思う?)
(私達にそういう役が果たせるとは思えないよね)
(うん。でも、旭先輩は……)
(魔王、だね。でも、椎奈は……)
(昨日の様子を見ている限り、どう見ても悪役だね)
(……いないね)
(うん、いない)
「……あの、コウダ様、カンド様? どうかなさいましたか?」
サーシャさんに話しかけられて、会話の途中で黙り込んだ形になっていた事に気付いた。
「あっ、いえ、すみません。えっと、その儀式はどこで行われるんですか?」
「昨日と同じ、祈り場です。ご案内致してもよろしいでしょうか?」
サーシャさんの言葉に頷き、私と詩緒里は立ち上がった。続いて旭先輩と椎奈も立ち上がり、サーシャさんに続く。昨日の事もあって、椎奈は付いて来ないのではと心配していたけれど、どうやら杞憂だったみたいだ。
こっそり胸を撫で下ろして、私は椎奈の後ろに付いて部屋を出た。
******
サーシャに連れられ祈り場に付くと、神官の服を纏った小さな少女が待っていた。手には、身の丈よりも大きな杖。
王もまた杖を持っていた事を思い出し、この国の魔術師は杖が必携かと不思議に思った。折を見て調べよう。
「初めまして、勇者様。神官のエリー=アドラスと申します」
「あ、初めまして。古宇田里菜です」
少女の自己紹介に、古宇田が真っ先に応じた。昨日といい今日といい、彼女に警戒心というものは存在しないのだろうか。
――まあ、知らなければ無理も無い、か。
漂う魔力を視て、彼女が私達をこの世界に拉致した張本人だと確信した。尤も、昨日の時点で見当を付けてはいたのだが。
古宇田や神門は魔力が視えないから、アドラスがただの子供に見えているのだろう。
「神門詩緒里です」
「旭梗平だ」
神門、旭が古宇田に続く。事情を知る旭が名乗るのを見て、仕方無く名乗る事にした。
「椎奈」
私の雑な自己紹介を聞いて、アドラスは首を傾げる。
「コウダ・リナ様、カンド・シオリ様、アサヒ・キョウヘイ様ですね。シイナ様、ファミリーネームをお教え願いますか?」
「椎奈がファミリーネームだ。私達の国では、まずファミリーネーム、その後にファーストネーム。この国に会わせるのならば、順番は逆になるな」
「そうですか。それで、シイナ様のファーストネームは?」
誤魔化されてくれないアドラスに、内心舌打ちした。
「無いと何か問題があるのか?」
決して友好的とは言えない態度に、アドラスは僅かに怯えたようなそぶりを見せる。
「あ、あの……儀式において、名前は大切なんです。名字だけでは十分な効果が出ないかもしれません」
「名前の呪を源にした魔術か?」
「……お詳しいですね。その通りです。儀式に使う魔術は、私の魔力と、名前の持つ力によって完成します」
アドラスの説明に、私の警戒心の水準が上昇した。
名前の呪を用いた術に、碌なものは無い。大抵は相手の精神に干渉するものであり、他者を操る、記憶を操作する等を目的とするものが少なくない。少なくとも、ただ力を覚醒させるだけで名前が必要になる筈がないのだ。
アドラスの表情を見れば、私の知識がどの程度なのか疑っていると分かる。やはりこの儀式は、単に能力を目覚めさせる事を目的にしていない。
「そうか。だが生憎、私に名は無い」
そう言うと、アドラスは驚いたように目を見張った。名を捨てて以来見慣れた光景だから、気にはならない。
アドラスから理由を問う声は上がらなかった。
「揃ったようだな。エリー=アドラス、始めてくれ」
王が、たくさんの護衛とともに祈り場に入ってきて、アドラスに声を掛けたからだ。
「……畏まりました」
アドラスがわずかな時間躊躇いを見せた後、諦めたように頷いた。
杖を構え、目を閉じ、意識を集中する。
――圧倒的な魔力がその体から放たれ、私達を取り囲んだ。
『我が名は、エリー=アドラス。大いなる神、ミハエルに奏す。
ここにあるは、リナ・コウダ、シオリ・カンド、キョウヘイ・アサヒ、シイナ。勇者の資質を問いし者。神よ、彼らの秘めたる力を解き放ち、彼の者達を導きたまえ』
アドラスが厳かな口調でそう告げると、召還の時と同じ白い光が、私の意識を飲み込んだ。
意識が戻ると、見知らぬ森の開けた所に1人立っていた。見回すも、他の3人はどこにも見当たらない。
背筋を冷たいものが滑り落ちた。
「旭、古宇田、神門。どこにいる」
声を張るも、返事は返って来ない。
焦燥に駆られて駆け出そうとしたその時、ぼんやりとした光が視界を掠めた。
はっとしてそちらを見やると、光は明滅を繰り返しながら、森の奥へと移動し始める。
誘われていると、直感した。
他者の術中に嵌まっている状況で誘いに応じるのは、無謀以外の何物でもない。そんな事は分かりきっていた。
だが、他に3人を捜す手掛かりが無いのも事実だ。
深呼吸を1つして、光を追って歩き出す。まるでそれを察知したかのように、光の移動する速度が増した。
始めはゆっくりと歩いていても間に合う速度だったものが、次第に早歩き、小走りと速度を上げさせられ、最後には全力疾走を余儀なくされる速度になる。
それなりに鍛えているので、走る事に然程苦痛は感じない。それよりも、周りの景色に、先程までは無かった強い既視感を感じる事の方が気になった。
いつ見たものかと記憶を探っているうちに、光が1点で止まった。数秒後に追いつき、呼吸を整える。
光は私が追いつくと同時に、形を変えた。一際輝き、発光が収まると、まるで最初からそこにあったかのように鎮座する、小さな祠がそこにあった。
祠は、白木造りのシンプルなものだ。その意匠は、私の既視感を更に掻き立てる。
閃いた、と思った瞬間に、不意に背後から声を掛けられた。
『――シイナの巫女よ』
その呼称に、凍り付く。
――まさか。
『久しく会っていなかったが、変わらぬようで何よりだ』
ゆっくりと振り返る。強張った体が軋むような錯覚を覚えつつ振り返った先には、この世のものではない美しさを持った、人の形をしたモノが、私を見つめていた。
燃えるように赤い髪は、腰に届く程長く。人にあらざる美しい顔の中で黄金色に輝く瞳は、見るものの心を奪う。
「天御中主、神――――」
呻くように呟くと、神は愉しげな笑みを浮かべた。