術師の本領
お待たせしました。
以前旭が言っていた、「刀を握って本領を発揮した椎奈」です。
「さてメレリ、もう良いか? 次に移ろう」
そう言う椎奈を、俺は意外な気持ちで見下ろした。
よく勘違いされるが、椎奈は戦闘がさほど好きではない。強者との戦いは、自身の向上のために積極的に行うし、敵との戦闘には一切の情けを見せない。
しかし、それ以外では戦闘を好んで行いはしない。寧ろ、他者を傷付ける事を恐れ、自分の力を見せびらかす気も無い椎奈は、極力戦いを避ける。
今回の優勝者は確かに見事な剣の使い手だが、椎奈の相手は務まらないだろう。更に、既に椎奈は、護衛の人間を選び終えている。この戦いは、椎奈にとって時間の無駄遣いでしかないはずだ。
それとも——俺の、椎奈を見る目が間違っていたのか。
内心釈然としない思いを抱えるも、既に俺の出番は終わっている。いつまでもここにいては、椎奈達の邪魔だ。ひとまず闘技場を後にし、観覧席へと戻る。
「旭先輩、お疲れ様です」
「お疲れ様です!」
神門と古宇田のねぎらいの言葉も、上の空で頷く。席に着いた後も、椎奈のあの笑顔の意味を考え続けていた。
「……アサヒ様、どうかなさいましたか?」
サーシャの問いかけに、椎奈に視線を固定したまま答える。
「あれほど積極的に戦いに臨むとは思わなかった」
言い終わってから主語が抜けている事に気付いたが、サーシャには通じたようだ。何故か、小さな含み笑いを漏らしている。
視線を向けると、サーシャは意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「おそらく、直ぐに分かるかと」
勿体を付ける彼女から、再び椎奈に視線を戻す。丁度、相手の人間が降りてきたところだった。
「初めまして、シイナ様。私、バーナード=ダン=ブロウと申します。近衛騎士団長の職を拝命しております」
そう名乗ったブロウは、周りの騎士達とは明らかに格が違った。鍛え上げられた体が、纏う空気が、彼を歴戦の戦士だと告げてくる。
「貴方の戦いは随分と慣れた雰囲気があったが、ここ数十年戦争は無かったはずでは?」
そう問いながら握手に応じる椎奈は、彼と並ぶと余計に華奢な印象が強調される。どう見ても、今から彼と戦うためにそこにいるようには思えないだろう。
「ええ。ですが、魔物の討伐には数多く参加しております」
「成程、それで視野が広いのか」
椎奈が指しているのはおそらく、彼の随分とスタンスの広い、1対多を想定した構えの事だ。騎士としてただ1対1の戦いだけを学んでいれば、あのような構えを取るはずがない。
「魔物の討伐は、とかく数多くを相手にする事を強いられますから」
ブロウはそう答え、己の武器を傍らから取り上げた。幅広の長剣。重量は相当なものだろう。身体強化魔術でも用いない限り、俺にはとても扱いきれない。
「さて、世間話もほどほどにして、始めましょうか」
「そうだな」
椎奈は頷き、手に持っていた刀を腰に差し、抜き放った。一瞬輝いた事から、強度を上げるために霊力を注いだと知る。
「噂は本当だったのですね。その神刀をお使いとは」
その様子を見ていたブロウが、感嘆に似た声を上げた。彼は、椎奈があの刀を扱う事に異論は無いようだ。
「師匠の教えには逆らう形となるが、やはり私はこれが好きだな」
肩をすくめ、椎奈は歩き出した。ブロウも足を踏み出し、両者戦いの準備を始める。
「……でも椎奈、大丈夫かな。あんな剣相手じゃ、刀が直ぐ折れちゃいそう」
古宇田の不安げな声に、視線を向けた。神門も同意見らしく、頷く。
「ブロウさんの魔術も、かなりの使い手だったもんね。術だけだと、厳しいかな」
2人の意見は、一般的には妥当なものだ。体格差を考えれば、椎奈の刀では受け止めきれない、それが常識だ。
だが。
2人に、いつか告げた言葉を繰り返す。
「椎奈を常識の枠内で捉えるな」
その言葉に目を見張った2人は、椎奈に視線を戻した。
既に2人は向かい合い、審判の合図を待つばかり。ブロウは上段に、椎奈は中段に構えている。
刀を構える椎奈の腕は、微動だにしない。背筋が伸び、美麗な印象を与える立ち姿。
ブロウは、椎奈の構えから力量を勘付いたようだ。表情がすっと引き締まり、冷徹な戦士のそれになる。
2人の感覚が最大限に研ぎ澄まされた時、審判が鋭く宣言した。
「始め!」
その言葉が場内に響き渡ると同時に、2人が地を蹴った。一気に間合いを詰め、剣を振るう。
通常ならば体重の乗る上段からの方が優位なはずだが、椎奈の刀はあっさりとブロウの剣を弾いた。
ブロウの顔に緊張が走る。続けて切り上げる刀を髪一筋で避け、1度椎奈から距離を取った。
椎奈も深追いはしない。相手の距離を見極め、小さく口を動かす。
不可視の刃が、ブロウに襲いかかった。彼はそれを魔術で防ぎ、再度距離を詰める。
続いて始まった剣戟を、会場の誰もが息を詰めて見守っている。
「……凄い」
ぽつりと漏らされた感嘆が、おそらく全ての人間の感想だ。
食事も満足に取らず、不健康な程に細身の少女が、己の胴体と同程度の剣と互角にやり合うというのは、確かに異様な光景だろう。
その時、椎奈が相手に脇を見せた。すかさずブロウが切りつける。
「危な……え?」
思わずといった様子で声を上げた神門が、驚きに息を呑んだ。
椎奈は刀を握る右手を離し、左腕1本でそれを弾いた。そのまま間合いを計り、ブロウに斬りかかる。
「椎奈はあの刀を、片手で扱える。左でも、右でも。今まで気付かなかったか」
2人とも、椎奈に視線を釘付けにしたまま首を振った。椎奈の一挙手一投足を逃すまいとしている2人に習い、俺も椎奈の動きに集中する。
椎奈の戦い方は、相変わらずセンスに頼ったもの。ある種芸術とも言える、本能型。術の構築が第六感を基に為されているのだから、慣れていると言えばそれまでなのだろうが。
今も、剣の軌跡を先読みする事無く、空間を切る風の感覚を捉えて動いている。剣を避け、いなし、攻撃に転じるその動きは、先読みして頭で動く俺には真似の出来ないものだ。
椎奈の動きが、過去の強者が残した知識と、数え切れない程の経験によって身に付けられたものだと、理解していても。
そこにある差に、焦燥を感じずにはいられない。
その時、今までで1番大きな金属音が響き渡った。
椎奈とブロウの、鍔迫り合い。始めは互角に見えたものの、流石に椎奈が力負けしたようだ。椎奈の手から刀が飛んでいく。
そのまま襲いかかってくる剣を、椎奈は結界で防いだ。硬質な音と共に、剣が弾かれる。
その隙に距離を取った椎奈は、痺れたのか、軽く腕を振った。
「……意外でした。ここまで粘るとは思いもしなかった。それにしても、どうして拾わないのですか?」
肩で息をするブロウが、未だ結界に守られた椎奈に声をかけた。言葉以上に苦戦していた彼の体には、あちこちに紅い筋が浮かんでいる。刃引きされた刃は、しかし彼に鈍いダメージを蓄積させたようだ。
「拾いに行こうとすれば、刀を目標に魔術を発動させ、とどめを刺すつもりだったのだろう?」
答える椎奈は、ブロウに比べて余裕が見える。彼女は細身の体を上手く活かした動きで、彼の剣戟を全て避けていた。
「お見通しでしたか。貴方の剣術は見事なものでしたが、ここまでです」
そう言ったブロウは、結術して剣を掲げた。割と練度の高い魔術が構築される。座標設定は、椎奈の真下。
「その結界を解かない限り、貴方の攻撃は届かない。ですが、その結界を解けば、私の魔術が発動します。例え貴方がアサヒ殿のような速度を持っていても無理ですよ」
そう言って、彼は俺の方をちらりと見やった。この魔術は、俺に対する牽制でもあったらしい。あの程度、1秒もかからずに解除できるが。
それに。
椎奈を侮って貰っては困る。
俺はまだ、魔術のみですら、椎奈に敵わないのだ。
「……確かに、これで詰みだ」
椎奈はそう言って、ゆっくりと刀印を結んだ。
「——貴方が、だが」
次の瞬間、闘技場が青い光で包まれた。光は複雑な文様を編み込み、ブロウの周りを囲っている。
慌ててブロウが魔術を発動しようとしたが、魔術は青い光に覆われて、霧散した。
驚愕に目を見開くブロウを真っ直ぐ見据えて、椎奈が刀印で九字を切った。霊力が高まり、ブロウはがくりと膝を折る。
懸命に立ち上がろうとする彼を尻目に、椎奈は落ち着いた足取りで剣を拾うと、ブロウへと歩み寄った。
顔を上げた彼の目の前に切っ先を突きつけ、静かに宣言する。
「私の勝ちだ」
ブロウは、黙って頷いた。
椎奈が剣を引くと同時に、周りの光も消える。その場で一礼し、椎奈は踵を返した。
「お待ち下さい」
だが、ブロウに声をかけられて振り返る。
「何だ?」
「……先程の魔術は、一体何なのですか?」
何かを恐れるような声音に、無意識に眉が寄った。椎奈の術は須く古から継がれた技術であり、理に適ったもの。恐怖を抱くのは筋違いだ。
だが、己を化け物と言い切る椎奈は、俺が感じた不快感を感じなかったらしい。いつも通りの口調で答える。
「領域を占領する魔術だ。定めた空間内では、私がその理を定める。貴方の魔術を無効化するのも、身体の自由を奪うのも思いのまま」
「……いつの間に? 結術や詠唱を行った様子は、拝見しておりませんが」
唖然とした表情のブロウは、それでも魔術を使う人間として納得がいかなかったのか、食い下がった。神霊魔術ではあり得ない、とでも思っているのだろう。その思い込みこそが、発展を食い止めているのだが。
だが確かに、椎奈の術の構築理論は想像を絶するものだ。これを見るのは2度目だが、やはり戦慄を抑えられない。
「神霊魔術が、複数の結印を使って世界に干渉する事で発動するのは、知っているか?」
ブロウの首肯を見て、椎奈がやや意外そうな顔をした。純粋な精霊魔術の使い手が知っているとは思わなかった、表情がそう語っている。
「干渉の経緯を理解すれば省略出来るが、同時に、少しずつ発動させていくという事が可能、という特徴もある。他の魔術には、無い発想だろう」
そこで言葉を止め、俺に視線を送ってきた。軽く頷き、続きを促す。椎奈は視線を戻し、相手の脳に染みこませるように、ゆっくりと語った。
「少しずつ、形成されていく魔術。段階毎に利用する魔力は微弱。それは、隠密性という、神霊魔術師本来の強みを活かすための、最大の布石」
その瞬間、大きな音が会場に響いた。音源に視線を向けると、青ざめた表情の魔道師達。流石に専門家、意味に気付いたようだ。
椎奈はしかし、そちらに目を向けない。質問をした張本人に真っ直ぐ視線を当てて、答えを口にする。
「神刀、とも呼ばれるこの刀。振るうだけで、魔術的な意味を持つ。貴方との打ち合いで、魔術の構築条件を満たす時に霊力を流し、魔術を作り上げた」
ブロウの表情が、強張った。ゆっくりと、否定してもらえる事を祈るような口調で聞く。
「……貴女が剣を手放したのも、その1つですか」
「正解だ。手を離すタイミング、角度を調整すれば、狙った軌跡を描くからな。あれで、全ての準備が整った」
計算尽くで刀を手放したというのもよく分からないが、これは、理詰めで魔術を扱う理魔術師でさえ驚くべき理論だ。
刀の軌跡、自分達の位置関係、足の運び、体勢。全てに術的な意味を見いだし、適宜霊力を込めていく。
それは——魔法陣を立体にしたもの、と例えるべきなのだろう。
二次元で現しうる全ての描線に意味を見いだすのが通常の魔法陣ならば、更にそれを三次元にする事で、空間とのバランスなどを利用して、更に多くの意味を込める事が出来る。立体魔法陣は理論上、数十人が数日間かけて作る魔術を、一人で実行する事が可能だ。
だが、1つ読み違えれば、とんでもない事故を引き起こす。意図せぬ何気ない1本の線が、意図せぬ魔術を引き起こすのは、二次元でも同じ。膨大な知識と、並外れた集中力を必要とする、筈だ。
それを椎奈は、刀を合わせている最中に、相手に気付かれないように作り上げた。
勿論、この術だけを目的にしていたわけではないだろう。戦局に合わせ、術を使うタイミングを失わないため、いくつかの候補を念頭に置いていたはずだ。たまたまあの時、その術が作れた、そういう事だろう。
見ようによっては確かに人智を越えた、術師の業。椎奈は、連綿と磨かれたそれを、更に極めようとしている。
「目に見える形だけが、魔術を作り上げるのではない。そもそも魔術自体、目に見える理論ではないだろう。今までの常識に囚われれば、足下を掬われるぞ」
経験と、知識と、天性の勘。その全てを備えた少女は、凛と声を張った。その視線は俺を向いている。
未だ前を走る彼女の言葉に、俺はある覚悟を決めた。




