早撃ち
「続きまして、アサヒ様とメレリ様による御前試合を行います」
その宣言と共に、旭が立ち上がった。静かな足取りで階段を下りていく様子からは、気負いは全く感じられない。
「旭」
その後ろ姿に、声をかけた。振り返った旭に、強い視線を向ける。
「全力でいけ」
「闘技場が壊れない程度にな」
表情を変えず、いつか私と交わした冗談を返してきた。軽く肩をすくめる。
「それも面白そうだがな」
「駄目だよ椎奈。……あの、旭先輩、頑張って下さいね」
私の言葉を律儀に咎めて、神門が緊張気味に応援の言葉を告げる。旭は視線を向け、小さく頷いた。
「私も応援してまーす」
小さく手を上げたのは、古宇田。神門に合わせた、というところだろうか。旭に対して苦手意識を持っているらしい神門の緊張が解ける。
古宇田にも小さく頷き返し、旭は前を向き直り、闘技場へと降り立った。
それを待ち構えていたメレリが、内心を伺わせない笑顔で声をかける。
「お久しぶりですな、アサヒ殿。少し見ぬ間に、随分とお変わりのようで」
含みのある言葉に、旭はただ頷いた。メレリの目がすっと細められる。
「さて、王の御前試合において無粋な事とは存じますが、少しばかり提案がございましてな」
旭の視線が王を向く。王は頷き、メレリを促した。
「申してみよ」
「は。この老いぼれ、既に先程の戦いにおいて、随分消耗してしまいました。今からお若いアサヒ殿と戦っても、王のお目に適うものにはならない事は必須。なれば、互いの技術をご覧に入れる事を最優先にしたく」
「つまり?」
王が先を促すと、メレリはもったいぶるように旭に視線を向け、ゆっくりと言葉を発した。
「私もアサヒ殿も、共に理魔術の使い手。ともなれば、その速度が何よりの実力となりましょう。早撃ちを致しませぬか、アサヒ殿」
「早撃ち、か」
思わず、小さな呟きを漏らす。それが聞こえたわけではないだろうが、メレリの言葉が続く。
「魔術のレベルは、中級にしましょう。審判の方にコインを弾いて頂き、それが地に着いてから魔術を構築し始める。早く魔術を構築し終えれば、ぶつかり合った時、確実にその魔術を破壊しますからな。審判もしやすい。どうですかな?」
旭へ投げ掛けられた問いかけは、しかし、再び旭が王に目を向けた事で、王へのものに変わる。王は考える間をおかず、直ぐに頷いた。
「私はそれで構わない。メレリの早撃ちは何度見ても見事なものだからな。アサヒ様はそれで宜しいか?」
「構わない」
ようやく旭が是を示し、今回の御前試合の方針が決まった。
「旭の霊力量はメレリも知っているし、既に王の耳にも入っているはず。体力差を考えても、力押しで旭が勝てる確率が明らかに高い。ならば、未だ未熟と思われる技術力で勝負しよう、という訳か」
メレリの自信ありげな様子、以前私達の目の前に、言葉だけを投げ掛けた後、転移で姿を現したその技術を考えれば、その作戦は一見正しく見える。
——だが。
「……気の毒に」
心にもない事を呟いてみる。正確には、私ごときの情報秘匿に踊らされ、今まで目立つ事のなかった旭を侮った、彼らの頭脳を気の毒に思っている、と言うべきか。
古宇田、神門、サーシャの視線を一身に受けながら、もう1度呟いた。
「速さで旭と張り合おうだなんて、私でも考えないのに」
その時、部屋が急速に静まった。審判がコインを片手に乗せ、前に進み出る。2人は10メートル以上の距離を置き、それぞれの構えを取った。
メレリは、己の杖を目の前に掲げ、旭は、ただ右手を前に突き出す。初めて私が旭の魔術を見た時と、何ら変わりない構え。
「……アサヒ殿、杖は良いのですか?」
「使った事がない」
旭の返答に驚き、メレリは私に視線を向けた。信じられないと言わんばかりの目に、無感動な視線を返す。
ただでさえ少ない口数を更に減らし、集中力を極限まで高めている旭に対し、そんな真似をしているようでは、底が知れている。
「いきます」
確認の言葉に両者が頷いた事を確認して、審判はコインを弾いた。
特有の金属音を鳴り響かせながら、コインは宙に浮き、一瞬静止し、そして降下を開始した。
会場中の視線を集める旭とメレリは、ひたすらそのコインに意識を集中させている。
やがて、コインが地面に触れた、刹那。
2人の周りに、魔力と霊力が湧き上がった。
メレリは自ら提案しただけあって、かなり高度な早撃ちを見せつけた。魔法陣も速度向上に特化したものに工夫されており、詠唱も結術もない。一瞬、と表現するに相応しい速度で魔術を構築し、旭へと放つ。
魔道師の頂点に立つに相応しい、洗練された技術。
——だが、足りない。
一拍後、メレリから僅か3メートルほど前方で、魔術が衝突した。
メレリの作り上げた中級魔法陣は易々と破られ、その余波をも巻き込んで、メレリへと襲いかかる。
目を見張るメレリの目の前に、審判によって結界が張られる。が、魔術はその結界に当たる前に静止し、消えた。
会場に、古宇田達の魔術実演の時以上の沈黙が降り積もる。質量さえ感じられそうな静寂の中、旭は淡々と掲げていた手を下げる。
「……アサヒ殿。今の魔術は、何ですかな?」
ようやく沈黙を破ったメレリに、旭は冷静に己の魔術を解説する。
「中級攻撃魔術。衝突の瞬間に霊力の多寡が原因で競り負けないように、純然たる衝撃に特化させた。開始位置は俺の手の先、終了位置はメレリより2メートル手前、おおよそ結界を張る位置に設定。魔法陣の構想を練る時間は指定されていなかったから、コインを弾いた時に魔法陣の形状を決定、コインが落ちると同時に発動させた」
その答えに、思わず笑い出しそうになった。
速度向上すらしていない、攻撃のための魔術。座標位置まで指定した、複雑な魔法陣。
それを、たかだか10秒にも満たない間に形を決定し、速さだけに拘ったメレリの魔術が児戯に見えるような速度で構築した。
本当に、この男は。
どこまで私を——挑発すれば気が済むのだろうか。
自然と口元が緩むのを感じながら、私は立ち上がり、地を蹴って席を飛び降りた。術を使い気流を調節して、旭の隣に降り立つ。
見下ろしてくる旭に、小さく笑みを浮かべてみせる。僅かに目を見張った旭には何も言わず、メレリに視線を向けた。
「さてメレリ、もう良いか? 次に移ろう」
こんな感覚、初めてだ。
上級と等しい難度の魔術を、魅せられて。
身の内が騒いで——抑えられない。
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