評価
俺が行動を起こすよりも早く、椎奈が1歩踏み出した。冷静な声が響く。
「……王には、姿を見せるなと伝えてあったのだがな。貴様も今まで決して近付こうとしなかった」
アーロンが黙って頷いた。1歩前に出かけ、椎奈の視線に気付き、止まる。
「それで、何用だ?」
短い問いかけに、アーロンさんは静かに言った。
「——以前お目にかかった時の侮辱の言葉を、謝罪いたします」
その謝罪に、古宇田と神門が素直な驚きを見せた。以前は無かった、感情を廃した姿勢に驚いたのだろう。
だが、アーロンはそもそも騎士だ。騎士には戦いの技術だけではなく、崇高な精神を求められると聞く。本来、彼が身につけていたものだろう。
椎奈は無反応。それもそうだろう。今重要なのは、謝罪の有無でも、彼の態度でもない。彼の行動の、目的だ。
「……何故、今更それを、わざわざここまで言いに来た」
椎奈の追求に、アーロンの纏う気配が変わる。咄嗟に身構えた。椎奈の咎める視線が向けられるが、無視する。
——アーロンは今、明らかに敵愾心を向けてきている。
「根拠のない侮辱の言葉を不用意に口にしたことは、謝罪いたします。ですが、私の意見は変わらない。貴方とそこの彼が、人の枠を超えた魔力を持っているのは、警戒すべき事です」
室内の空気が、一気に緊迫した。古宇田と神門が、彼の挑発に反発している。魔力の波動を見ると、いつ魔術を発動してもおかしくない。俺としても止める気はないから、まさに一触即発の状況だ。
そんな中、椎奈は溜息をついた。
「……アーロン。魔術に関して、座学はどの程度学んだ?」
アーロンの表情が歪む。椎奈に侮られたと思ったのか、敵意を隠しもせずに答えた。
「魔術行使に当たって、座学無しで出来るはずもないでしょう。魔術の行使に必要な理論は、全て学んでいます」
その返答で、椎奈が何を訴えたいのか分かった。
「ならば知らないか。理魔術、神霊魔術を行使する者の魔力は、精霊魔術を行使する者の魔力と種類が異なる。これは人間の体と馴染みが良いため、魔力よりも多く有することが出来る」
椎奈の言葉は、必ずしも正確ではない。精霊魔術よりも魔力を練る必要のある理魔術、神霊魔術の行使者は、その分純粋な魔力を体内に有する。不純物がない分だけ、その最大容量が多く見えるのだ。
だが、いちいち細かい事まで教えてやる義務もない。そこまで言わずとも先程の説明で十分だという、椎奈の判断だ。
狙い通り、アーロンが怯む。畳み掛けるように、椎奈が追求した。
「それで、これからこの世界の為に命をかける私たちに、貴様が警戒していると告げて、どうするつもりだ?」
アーロンは1度言葉を詰まらせた後、きっぱりと告げた。
「貴方達が本当に、この世界のために動くとは限らない。そう思い、監視している者がいると、忠告するためです」
その答えに、内心呆れた。椎奈も同感らしく、肩をすくめている。
「……そんな事を、今更言われてもな。ここに来た当時から、王の手下が常に私たちを見張っている。逆らえば彼らが動くことくらい、承知の上だ」
椎奈が常に挑発的な行動を取っていたのは、どこまで相手が許すのか、線引きを明らかにするためでもある。それが大方分かったからこそ、今回御前試合を受けた。まさに今更、だ。
「……今日の試合、おふたりは王の御前で試合をなさるそうですね」
椎奈の言葉を無かった事にしたアーロンが、話題を変える。
「ああ」
椎奈が頷くと、彼は嘲るような表情を見せた。
「貴方は、さぞかし見事な戦いを見せてくれることでしょう。訓練でも、あの時の魔術でも、貴方は群を抜いていた。この国のトップと戦っても、遜色ないでしょう」
アーロンの視線は、椎奈ではなく、俺に向いていた。それに気付き、続く言葉が容易に推測された。
「ですが、中途半端な魔術でかかれば、大怪我しますよ。今日優勝するような者は、貴方達の脅威を正確に理解しています。手加減はしないでしょう。力不足に同情するほど、彼らはお人好しではない」
彼の発言を、意外に思った。
まさか、以前こいつを叩きのめした俺を口撃の的にするとは、予想しなかった。
あの時は俺も頭に血が上り、初級魔術しか使わなかった。そこから、火力にものをいわせただけと、アドルフの緻密な結界を打ち破った椎奈とは格が違うと、そう判断したらしい。
本当に、意外だ。
「まさかあの状況で、俺たちの実力を計っていたとは、な」
椎奈の気が逸れた瞬間に答える。アーロンの表情に、侮ったものがよぎった。
「あの程度の魔術では、ね。素質はあるのに、惜しい方だ」
「俺の魔術を扱う技術が、不足していると?」
「否定なさるのですか?」
今や優越感すら漂わせる彼に、思うままに答えた。
「少なくともそちらよりはましだ。力のある者にへつらう事で、さも自分の力であるかのように振る舞う。「集団」に保護される弱者の習性だが、成る程、それが精神的余裕をもたらすなら、悪くは無いかもしれない」
アーロンの顔が紅潮する。挑発と受け取ったようだ。
不意に、古宇田と神門が心話を交わしているのを感じた。内容を探りはしないが、要は感情に収まりがついたという事だろう。この場で彼を攻撃する事は無さそうだ。
状況の改善と受け取ったのは、しかし間違いだった。
「……何とでも。今日の午後、貴方は間違いなく恥を晒す。せいぜいあまり酷い怪我をされないように。おまけだとしても、貴方も勇者なのですから」
瞬時に、室内の気温が下がった。
反射的に、自分の周りに結界を張る。古宇田と神門も、同様に結界を張ったようだ。2人とも、魔術発動の速度が、近頃早くなってきている。
成長の兆しを、しかし2人の「先生」が構う様子は、ない。
「——愚か者。誰に向かって、おまけなどと言っている」
怒りを隠しもしない声に、アーロンの顔が青ざめた。俺は、今日1番の驚きと共に、無意識に水属性の精霊魔術を行使している椎奈を見やった。
このような安っぽい挑発に、椎奈が乗るとは思わなかった。そもそも、俺たちの実力を隠すと決めたのは、椎奈自身だ。出来るだけ警戒されないようにと大人しくしていた以上、侮られても無理はないのだが——
「貴様のような、剣術も魔術も満足に扱えず、他者の力も計れない奴ばかりなのか、この国の騎士は」
そう批判する椎奈の声に、苛立ちが混ざる。俺の発言には直ぐに言い返していたアーロンも、椎奈には何も反論しない。
「力の差も弁えずに、知った口を利くな。恥を知れ」
椎奈の言葉に、俺は逆に、肩の力が抜けた。
椎奈が、魔術師としての俺を認めているのは、分かっているつもりでいた。闘技大会への出場を決めた時の言葉は、あくまで口実だと、理解していたはずだった。
——それでも。こうして椎奈が、俺が侮られたからと怒っているのを見て、ようやく。その判断が誤りでなかったと、確信できた。
……全く。俺は、他者の評価など、どうでも良いはずだったのだが。
「椎奈、もういい」
今にも結印しそうな椎奈を止めた。精霊魔術を終了させて振り返る椎奈と、明らかに安堵したアーロンに、告げる。
「直ぐに分かる事だ。俺の実力も、この国の現状も」
「何を……!」
怒りを露わにするアーロンに、これ以上付き合う必要は無いだろう。
「貴様は帰れ。目障りだ」
そう言って、霊力を軽く解放する。俺を侮っていようと、この霊力量の脅威を理解している彼は、唇を噛んだ。
「せいぜい楽しみにしていますよ」
そう捨て台詞を残して、彼は退室した。
閉じた扉を睨む椎奈に、再び声をかける。
「椎奈」
「……すまない」
重ねるように告げられた謝罪は、奥歯を食いしばってでもいるのか、こもって聞こえた。背を向けたままの椎奈に、静かに告げる。
「上手く立ち回れていたという事だ。あの程度、気にするほどではない。……感謝している」
椎奈の今までの立ち回りは、俺には真似できず。椎奈の怒りは、嬉しいと感じた。
だからこそ告げた感謝に、椎奈は感情を鎮めた。振り返り、常の冷静さをもって俺に応える。
「……今日の御前試合、楽しみにしている」
「ああ」
その艶やかな髪に手を伸ばしたい衝動を覚え、しかし実行に移す前に、気配に気付いた。視線を向けると同時に、サーシャが入ってくる。
「昼食の時間です……どうかなさったのですか?」
室内の空気に異常を察した彼女に、何故か古宇田と神門が近寄った。
「ううん、何でも無いです。お腹空いた!」
「ありがとうございます、サーシャさん」
妙に彼女に懐く2人を尻目に、俺は椎奈が部屋に戻るのを見送った。
おまけ;里菜と詩緒里の心話の内容。
(あれ、別に挑発したわけじゃないよね、きっと)
(うん、旭先輩らしい考え方だもん)
(……火に油注いでるけど。旭先輩って、ある意味椎奈より怖いもの知らずだよね)
(椎奈は意図して喧嘩売るけど、旭先輩は無意識だもんね)
苦労し慣れた2人の現実逃避。