魔術と陰謀
部屋を出た後、見回りの兵士を避けながら庭に出た。
異世界と言えど、月が出るのは変わらないらしい。細い三日月は、今にも消えてしまいそうでありながら、確かに夜空を照らしていた。
目に付いた岩に腰掛け、溜息をつく。
言い過ぎたという、自覚はある。心配してもらっておいて、随分酷い事を言った。
……けれど、あの言葉は。
『お前は悪くない』
『1人で背負い込むな』
その言葉を、再び誰かに言われる日が来るとは思わなかった。最後にその言葉を聞いたのは、遠い昔。
心の奥底に何重にも鍵をかけてしまった筈のその記憶が、私の心を揺さぶった。動揺を隠そうと、知らず知らずのうちに拒絶の言葉を吐いていた。旭を受け入れると決めたのは、自分自身だというのに。
それでも、旭に言った言葉に嘘は無い。旭には、自分の身を守る事だけに集中して欲しい。私に気を使って、自衛をおろそかにしてほしくなかった。
名前を捨てても尚、周りの者に降り掛かる災厄。私の側にいるという事は、他の者よりも遥かに危険だという事。それでも消えないまま側にいる事の難しさを、いい加減理解してほしい。
もう1度息を吐いて気持ちを切り替え、城壁に近づいていく。先程探査の術を放った際、城を守る結界に、少し気になる瑕疵が視えたのだ。
城壁の上の方、人の視線が丁度素通りする位置。そこに小さな刻印が刻み込まれていた。魔法陣というより、私が普段使う印に近い。この世界の魔術にもいろいろあるようだ。
刻印に軽く触れ、目を閉じる。案の定、それが結界を不安定にしている原因だ。
『……我、シイナ、ここに命ず。守るものに害をなすもの、力を失い、その源を我の前に示せ』
呟くと、刻印が赤く光り、溶けるように消え失せた。その代わり、目の前に五芒星が現れる。
五芒星は明滅を繰り返し、一瞬男の顔を映し出すと、すぐに消えた。
見知らぬ男だった。とりあえず記憶に止めておくが、それよりも重要な事がある。
「……逆探査の術を、防がれた?」
呟きが、夜の静寂に落ちた。
術が破られる事など、今まで無かった。本来逆探査の術は、相手の顔だけでなく、居場所までも探り出す。五芒星があれほど不安定で、一瞬顔を映し出しただけで消えてしまうなど、通常はあり得ない。
可能性としては、この術が遠い昔に組まれたか、術者が死んだか、あらかじめ探られないように防御の魔術を組んでいたか。五芒星の様子から言って、最後が正解である可能性が高い。
だが、それも滅多に無い事だった。この身に宿った力は、ほとんどの魔術師を凌駕する。防御の魔術等、容易く打破するのが常だった。
相手が自分以上の魔術師なのか、それとも。
「……この世界に来て、力が十分に使えていないのか、か」
どうやら、旭に言った言葉が現実になっているようだ。それでも、使えるだけましと考えるべきなのだろうが。
その時、不意に背後に気配を感じた。
さっと振り返ると、サーシャと名乗った魔術師がこちらに歩み寄って来ている。
「シイナ様。こんな夜遅くにどうなされたのですか? 明日は大切な目覚めの儀式。どうかご自愛下さい」
いつからそこにいたのか悟らせぬまま、サーシャは黄緑色の瞳を私に据え、静かに告げてきた。
「こちらの行動に詮索、干渉するなと約束した筈だが? 私が何をしていようと、私の勝手だ。それより、儀式と言ったな」
「はい。明日は、勇者様が召還時に得た力を目覚めさせる儀式を行います。今回は、4人の中のどなたが勇者様なのかを見分ける目的もございますが」
我ながらあまりな物言いだと思ったが、サーシャは気を悪くした様子も無く、律儀に答えを返してくる。
「4人全員が勇者の素質をもつ可能性は?」
「分かりません。過去、複数人が召還された事など、1度もありませんでした」
その言葉に、思わず笑いがこぼれた。訝しげな顔をしたサーシャに向かって、1歩踏み出す。
「戯言を。貴方程の力があれば、古宇田と神門が素質を持たない事に気付かない筈が無い。それに、前回も2人程召還されているのだろう? その時は一方のみが資質を示したはずだ」
サーシャが息を呑んだ。その顔に狼狽が浮かぶ。2歩、サーシャに詰め寄った。
「貴方達は、古宇田と神門を人質に取るつもりか。あの2人がいる限り、あの2人が戦いに臨む限り、私達が手を引くはずも無いと。……ああ、成る程。だからこその、目覚めの儀式か。この国における魔力の譲渡を行う事で、4人とも素質がある事にする為に」
瞳を覗き込むようにしてそう告げると、サーシャは絞り出すように呻く。
「どうして……」
「どうして分かったか、か? さあな。ともかく、お前をよこした奴らに言え。もしも明日そんな愚かな事をするようならば、その場で貴様らを皆殺しにする、と」
サーシャが顔を引きつらせたのは、私があえて見せた力のせいか、私の目が映し出しているに違いない、まぎれも無い殺意のせいか。
「そして胸に刻んでおけ、人の姿をした妖よ。私が貴様に慈悲を掛けると思うな。これ以上こちらに手を出すようならば、私は間違いなく貴様を消す」
サーシャの顔から表情が消えた。瞳の色が、俄に赤みを帯びる。無表情のまま、私に問い掛けてくる。
「いつから気が付いていたの?」
鼻で笑ってみせた。ようやく本性を晒したか。
「最初からだ。魔力と妖力の違いくらい分かる。よく似ているが、その性質は全く違うからな。妖力は、人間に仇なすもの。その陰の性質を視れば、相手が人か妖かなど、火を見るよりも明らかだ。
警告しておくが、私は本気だ。こちらにとって災いとなると判断すれば、すぐに貴様を抹消する。覚えておけ」
そう言って私は1歩下がり、背を向けて、悠然と立ち去ってみせた。誰よりも他者にとっての災いである自分が随分と偉そうな口を叩くものだと、自らを嘲りながら。