小手調べ
剣術の訓練後、私は王妃が寄越した服を身に纏い、サーシャと共に王妃の部屋へと歩を進めていた。
先程出て行く時の古宇田と神門は、予想通り、かなり驚いていた。ドレス姿を期待して休憩の時間を削って待っていたのだろうから、ある意味では落胆しているのかもしれない。最近部屋に籠もる事の多い旭は、今日も部屋にいるらしく、姿が見えなかった。
「……シイナ様、予想以上にお似合いですね」
沈黙を破ったサーシャの言葉に、肩をすくめて答える。
「どうも最近、女として見られる事が少ないな」
今着ているのは、正装用の騎士服。略式だが、王妃が用意させるだけあってものはいい。
基本スカートなど制服以外では着ない私に、この服装はさほど違和感は無い。実際、来てみても、見た目にさほど妙な印象は無かった。だが、あまりにも違和感が無いのも問題だ。
後宮に来るまでの道すがら、女性の視線を集めていたのは気付いていた。
「いえ、シイナ様は美しい女性だと思いますが……」
苦しげな擁護は無視して、私は足を止めた。目の前にあるのは、薔薇の彫刻が施された扉。
さて、華美な花弁に隠された棘は、どれだけ私を傷付ける事か。
サーシャに頷いて、入室を求めた。
室内は、随分と様々な調度品が空間を占めていた。どれもが、この世界では最高級の品質だと一目で分かる。
全く、城内の様子といいこの部屋といい、本当に魔王の侵略に困り果てているのかと問いただしたくなる。
「失礼いたします。王妃様、シイナ様をお連れいたしました」
「ありがとう。ああ、貴方は退出してくれて結構よ」
奥から聞こえてきた穏やかな声に、サーシャは躊躇を見せたが、結局諦めたように頷いた。
「かしこまりました。では、失礼いたします」
一瞬私に視線をやって、サーシャは部屋を出て行った。元々味方とは思っていないが、これで形式上も孤立無援となる。
覚悟の上なので、動じずに声の方に向き直る。同時に、王妃が姿を見せた。
王の見かけから推定していたよりも、遙かに若々しい王妃だった。あのソフィアを合わせ、3名の王子、王女を産んだとは思いがたい。
ずば抜けた容姿を持ち合わせているわけではないが、深い光を帯びた緑の瞳、思慮深げに引き結ばれた口元が、不思議と魅力的な女性だ。
「初めまして、この国へとやってきた勇者様。私は、エルド国王妃、アイネアス=クレア=エルドです」
落ち着いた声の裏にある響きに、内心溜息をついた。楽しそうな表情を浮かべた王妃に、慇懃に頭を下げてみせる。
「お初にお目にかかります。椎奈と申します」
私の返答に、王妃が不満げな表情を浮かべたが、無視した。わざわざ反発して、期待を叶えてやる義理は無い。
「良く来て下さりました。どうぞおかけになって」
「失礼します」
一礼して、王妃の前のソファに腰掛ける。直ぐに侍女が茶を出してきた。
動作に不自然が無いよう注意しながら、魔術を発動。茶に薬物、魔術の類いが存在しない事を確認してから、一口。
余剰霊力を限りなく無くし、隠蔽の魔法陣を意識して組み込んだため、誰にも気付かれなかったようだ。室内の空気からそれを察する。
王妃も茶を口に運んでから、微笑みかけてきた。
「今日は招待を受けてくれてありがとう。訓練の邪魔をしてごめんなさいね」
心にも無い謝罪に、無感動に首を振る。社交辞令など、面倒以外の何物でも無い。第一、時間がもったいない。
「いえ。何か、私に告げたい事がおありなのでしょう」
本題に入るよう促すと、王妃は苦笑した。その表情さえ高貴さを失わないのは、流石他国の王女と言うべきか。
デルトと同様の規模を誇る国から降嫁した王妃は、ゆっくりと口を開く。
「招待状にも書いたけれど……貴女はもうすぐ、この国を離れるわ。貴女がとても大切にしているお友達を置いて、長い旅に出る」
この言い方からして、「大切なもの」とは、旭と古宇田、神門の事だったようだ。予測していた中で1番ましである事に、少し安堵する。
「その間貴女は、お友達を守る事は出来ないの。不安かしら?」
「それほどは。彼らの事は、信頼しているので」
本心だった。旭の実力なら、城内の人間ごときに後れを取りようもないし、古宇田と神門も、覚悟が出来ていない事以外、実力はかなり付いてきている。
私が側にいなければ、災いももたらされない。寧ろ、離れる日を心待ちにしていた。
「それにしても、王妃様。一体私は、何から彼らを守っているのでしょうか。ここは王城。幾重もの強固な護りの中枢です。他のどこよりも、魔物に対して備えは出来ているでしょう」
心にも無い事を言って、軽く挑発してみる。こんな雑魚ばかりの王城、その気になれば落とす事など訳も無いだろう。冒険者が出入りするというギルドの方が、余程正確に現状を把握し、魔物に対しての対策を取っている。
暗に自分達が害をなしかねないと言っている事に気付いていなかったのか、それを伝えたかったのか。言下にそう問うと、王妃は表情をやや強張らせた。
だが直ぐに気を取り直し、憂うような表情を作って見せた。
「最近、魔王の勢力が大きくなっています。魔物が村1つ滅ぼす事が、珍しくない状況なのです。既に他国でも、多くの騎士団が派遣されていると聞きますわ。それも、精鋭の騎士団が。それでも被害はゼロではないそうです」
そこで1度、私の顔色を窺う王妃。義憤を期待しているのだろう。生憎と、私の胸の奥に凝っているのは、嫌悪だった。
私から期待した反応を得られなかった王妃は、些少の戸惑いと共に、それでも話を押し進める。
「我が国でも、騎士団の派遣は増えています。城の護りはどうやっても手薄になりますし、更に力を得るだろう魔物が、いつ護りを破るかは、時間の問題。備えが不十分なのです」
そこで言葉を句切り、挑むような視線を私に据えた。
「——最も、こんな話は、城壁の結界を易々と綻ばせる貴女には、釈迦に説法よね」
「そうですね」
1番言いたかったであろう苦情を、あっさりと流す。ここまで知り尽くしている情報の提示に付き合ったのだ、この程度は許されるだろう。
全く——王妃の情報網も、大したことはない。
城どころか町1つ滅ぼされる事が、この半月ほど続いている事も、それがスーリィア国周辺ばかりで起こっている事も、おそらく知らないのだろう。
大して大事に扱わなかった私の態度に、王妃は表情をやや険しくした。
「いくら勇者様とは言っても、許される事と許されない事があるのよ。城の結界を綻ばせて、どうなるか分からない貴女ではないでしょうに」
堪えきれずに溜息を漏らした。ここに旭がいなくて良かった。いたら、魔術の講義を1から始め出しかねない。
「王妃様。魔術に関して、一体どのような教育をお受けなのですか? 私が行った結界への干渉は、あくまでも一時的なもの。場内外を出入りする時のみ結界を綻ばせている以上、私が手引きさえしなければ、外部者が侵入する事はありえません」
おそらく王妃に魔術を教えた人間は、その霊力の消費量と精神の摩耗程度から、その方法をとる魔術師などいないと考え、教える必要などないと判断したのだろう。
稀少だろうと何だろうと、知識を偏らせるのはどう考えても間違っているのだが。
王妃は、私の反論に言葉を詰まらせていた。少し考え、再び私に視線を戻す。
「貴女を信頼して良いのかしら?」
「そちらの態度次第です」
こちらに手を出す気ならば、容赦なく敵対する。だが、そうでなければ、こちらから何かする事はない。
私たちは傭兵に近い。だからこそ、この姿勢は当然のもの、なのだが。
「……そう」
王妃には不満なものだったようだ。明らかに不快気な表情になっていた。