苛立ち
「さて、後は良いか?」
雷を収め、何事もなかったかのように、椎奈がそう言った。里菜が小さく片手を上げた。
「椎奈、今朝どうやって、神霊と話をしたの? 北山に行った時?」
「そうだ」
椎奈が頷く。
「北山で何をしたの?」
「古宇田が知る必要は無い」
きっぱりと言い切った椎奈に、里菜が面食らった顔をする。直ぐに、むっとした表情に変わった。
「……ちょっと酷くない?」
椎奈はそれを無視して、旭先輩に向き直る。
「旭、璃晶の効果を外に持ち込めないか。武器を常に持ち歩くわけにはいかないが、神霊がいつでも動けるようにしておきたい」
「少し魔法陣を組み替えれば可能だろう。後で試しておく」
「頼む」
頷くと、椎奈は踵を返した。そのまま部屋を出て行こうとする椎奈を、里菜が引き留める。
「ねえ、北山で何をしていたの?」
椎奈が足を止めた。振り返った椎奈の顔を見て、私は思わず息を呑んだ。
椎奈は、明らかに苛ついていた。今まで椎奈が、私たちに対してむき出しの感情をぶつけた事はほとんどない。私たちが契約を結んだ後、無茶だって怒ったし、訓練の時に叱られた事なんて、数え切れない。でもそれは、あくまでも本気じゃなかった。椎奈が叱ったり怒ったりするのは、私たちの心配をしてくれているから。
だけど、今の椎奈は、明らかに、里菜に怒っていた。
「何故、私の行動を、いちいち古宇田に報告しなければならないんだ?」
それだけ言って、椎奈は出て行った。
閉じられたドアを見て、里菜がぽつりと呟いた。
「……何でそんな事……私は、椎奈のことを心配しただけなのに」
その頼りない声に、かける言葉が見つからなかった。イストも黙っている。イラは、泣きそうな里菜におろおろしながら、それでもかける言葉が見つからないみたいだった。
その時、溜息が響いた。冷静な声が響く。
「椎奈は基本、単独行動を好む」
全員の視線が、声の主——旭先輩に集まる。怯むことなく、旭先輩は続けた。
「隠密を基本とする術師が他者に行動を干渉されると、思わぬ結果を呼ぶ。複雑な作業を常に行う術師は、周囲を意識しない状況を作るのが常識だ」
「……普段の生活で、干渉とか気にする必要なんて、ありますか?」
固い声で里菜が聞き返す。いつもより食い下がる里菜に、旭先輩は動じない。
「術師としての考え方が染みついた椎奈は、単独行動を好む。過剰に他者に関わりを持たれることに慣れていない。古宇田は違うかも知れないが、そういう人間もいる」
「でも——」
納得のいかない様子の里菜が何か言おうとしたところで、旭先輩が言葉を重ねた。
「ならば、言い方を変えよう。古宇田の言動は、見方を変えれば相手を詮索しているように見える。この城の人間が常に行っている事と同じだ」
里菜が目を見開いた。反論しようと口を開く里菜を制して、旭先輩は続ける。
「そういうつもりではなかったにせよ、そう受け取る人間もいるという事だ。他人の目を警戒して行動する人間にとっては、古宇田の行動は不愉快にさせるか、警戒心を煽るものでしかない」
淡々と諭すような旭先輩の言葉に、私はすっと納得した。里菜も同じだったみたいで、黙って俯いた。
『……先程の質問ですが、姫様』
重くなる空気を振り払うように、イラが声を上げた。そのどこかいたずらっぽい響きに、里菜が顔を上げる。
『何故私が、姫様とお呼びするか、でしたね』
「神霊」
何かに気付いた旭先輩が咎めるような声を出すけれど、イラは取り合わない。
『神霊たちの噂です。この世界を救おうとする巫女様が、人間で言うところの英雄のように勇ましく、愛らしい少女たちを守るために、この世界の脅威を取り除こうとしていると。まるで、お伽噺の騎士と姫のようだと』
里菜が私の方を向いた。きっと私も、同じような顔をしているだろう。
椎奈、だんだん、男の子として見られる事が増えてきているみたい。
「……椎奈は、英雄と扱われるのをよしとしない」
無表情で言う旭先輩に、イストが言い返した。
『魔王を倒そうとしているんだ、この世界の存在にとっては英雄だよ。何より、神霊を今朝だけで信頼させてしまうあの器は普通じゃない。あの場にいた神霊たちは、彼女を高く評価しているよ』
「椎奈は神霊魔術師であり、神に仕える巫女だ」
『神霊魔術師だろうと巫女だろうと、私たちが素直に従うと思わないでよね。きちんと形式を守って頼まれれば力を貸してあげるけれど、力を認めて本当の意味で従うのは、限られた相手だけよ。少なくとも、貴方には従わない』
イラの言葉に、旭先輩が溜息をついた。それを見たイストが続きを引き取る。
『でもまあ、貴方も巫女様の仲間みたいだし、実力ある魔術師みたいだし、名前を呼ぶことくらいは許してあげるよ。普通の魔術師よりは、神霊魔術を強く使えるよ』
……仲間というか、彼氏だ。後で教えておかなきゃ。
「感謝する」
冷静にお礼を言う旭先輩を見て、改めて神霊って言うのが偉い存在なんだな、と知った。
ふと思い出して、聞いてみる。
「椎奈が言っていた璃晶って、神霊たちが眠る場所なの?」
『そうですよ姫様。精霊は魔術を施された晶華に眠り、神霊は璃晶に眠ります。晶華には、神霊を受け容れるだけの力はありません』
イストの答えで、大体知りたいことは分かった。お礼を言ってから、里菜を振り返る。
「里菜、お庭に行かない? この時間なら、もしかしたらソフィアちゃんに会えるかもよ」
前に、椎奈とソフィアちゃんが話していたのも、ちょうど今くらいの時間だった。あの子と話せば、里菜も気が晴れるかな、そう思って提案した。
けれど。
「王族の人間と関わるな」
予想外にも、旭先輩に反対された。顔を上げると、苛立ちの混じった目が私を見つめていた。どきりとする反面、体が強張る。
「……行動に干渉されたら嫌なのは、私たちも同じです」
里菜が言い返すと、旭先輩がぴしゃりと言った。
「いい加減に現実を把握しろ。2週間後、椎奈はこの城を離れる。城の使用人を味方に付け、周囲を牽制していた存在が消えれば、俺たちを懐柔しようとする動きも大きくなる。今まで何も無かったのは、この城の人間が善人だからとでも思っていたのか? もしそうなら、その甘えた考えを改めろ。今までどれだけ椎奈が影で動いてきたと思っている。椎奈は監視しようとした人間を脅すなどして、常に周りを牽制し続けていた。俺はその手の工作が苦手だ。今後は出来る限りの警戒はするが、限度がある。この状況でお前たちが王族と接触でもすれば、向こうの思う壺だ」
今までに無い、旭先輩の糾弾。椎奈によく似ていて、でも、もっと容赦の無い言葉。そして。
——椎奈の無言の戦いを見守り続けてきた旭先輩の苛立ちが、胸に突き刺さった。
やっと分かった。椎奈が何も言わないのは、干渉されたくないからというのもあるけれど、私たちが、訓練だけに意識が割けるよう、言わないでおいてくれていたんだ。
そして気付く。椎奈がいない時には、旭先輩がほぼいつでも側にいてくれていたことに。私たちが椎奈とも旭先輩とも一緒にいなかったことなんて、数えるくらいしかない。
旭先輩は何も言わずに、椎奈の行動を支え続けていたんだ。
「……ごめんなさい」
素直に謝罪の言葉が出てきた。旭先輩が溜息をついて、手を差し出す。
「武器を渡せ」
素直に手渡すと、旭先輩が柄に埋め込まれた璃晶を観察し始めた。しばらくして、顔を上げる。
「古宇田もだ」
今まで黙っていた里菜が、やっぱり黙って旭先輩に薙刀を手渡した。受け取った旭先輩は、さっきと同じように璃晶を観察する。
『璃晶を見ただけで、神霊の波動を解析できるかしら?』
「問題無い」
挑発的なイラの言葉に直ぐに答えて、旭先輩は右手を掲げた。現れた魔法陣に、私たちの武器を仕舞う。
イラもイストも、さっきみたいに姿を消すことはなかった。
『……へえ、やるね。理魔術でしょ、それ?』
感心したようなイストの言葉に軽く1礼して、旭先輩は踵を返した。
「もう少しで、サーシャが昼食を持ってくるはずだ」
それだけ言って、旭先輩は自分の部屋に姿を消した。
俯いている里菜を慰めるほど、私にも余裕が無くて、昨日部屋に持ち帰っていた魔術書を開いた。