意思の交差
転移魔術で城壁の外に辿り着く。帰りは目的地が明確だったため、然程労せずして転移できた。
そのまま抜け出した場所から再び侵入しようとして、思わずその場で動きを止めた。城壁の内側から、よく知る霊力の波動を感じたからだ。
咄嗟に太陽の位置を確認する。どう見ても、彼がいつも活動を始める時間より早い。まさかとは思うが、転移魔術に気付いて起き出し、この場所を割り出したのだろうか。
一瞬躊躇したが、何時までも突っ立っているわけにもいかないし、わざわざ避ける理由も無いので、そのまま城壁を跳び越えた。
膝のばねを使って衝撃を消し、立ち上がる。足に痺れが無い事を確認してから、横を向いた。
視線の先には、城壁にもたれ、腕組みをして私を見つめている旭がいた。その目に浮かぶのは——苛立ち。
「……今日は早いな」
旭の様子に驚きながら、それでも無難に声をかけたが、旭の表情は変わらない。
「どこに行っていた」
平坦な口調には、はぐらかす事を許さない響きがあった。今更隠しても無駄なので、素直に答える。
「北山に」
「……禊か」
旭は僅かに目を細めて言った。清めの効果に気付いたようだ。黙って頷く。
「それだけか?」
「? ああ」
奇妙な問いに、それでも素直に答えると、旭はすっと眉をひそめた。
「日の出の時刻から、既に1時間半以上経つ。随分長い」
「……少し、神霊達と話をしていた。これからしばらく世話になるつもりだからな、それを許してもらえるよう、頼んでいた」
1時間半。神霊達と話をしていた時間を考えても、1時間を軽く超す時間、禊をしていた計算になる。これは流石に予想外だった。
「そうか」
だが、その辺りの事情までは旭には分からない。私の説明で納得したらしく、1つ頷いた。
旭の霊力が不意に高まる。魔術として具現化しかけたそれを、首を振って止めた。旭が眉間に皺を寄せる。
「椎奈。体を壊しては何もならない」
「これは修行だ。滝行は、その寒さに耐える事に意味がある」
「たとえ神霊達と話をしていたとはいえ、相当な時間禊をしていたのだろう。無理は禁物だ」
やはり、誤魔化し切れてはいなかった。寸の間、黙り込む。
禊は、「霊注ぎ」と書くと同時に、「身削ぎ」とも書く。読んで字の如く、器である人の体をぎりぎりまで追い込む事で、より多くの霊気を注ぎ込める。勿論、霊力も上がる。
だがそれは、禊をやり過ぎると、体を壊す原因になるという事も意味する。
「出立の前に椎奈が倒れてしまえば、昨日決めた事は全て無駄になる。俺はそれでも構わないが」
淡々と告げられたその言葉に、今度はこちらが眉をひそめた。
「旭、昨日私が述べた理由だが」
「分かっている」
サーシャにした説明を繰り返すべきかと思い、そう切り出した私の言葉を、旭は思いの外強い口調で遮った。
「本心から俺の実力を信じていないわけでは無いという事も、古宇田と神門の心理状態を気にしているという事も、理解している。……お前が、あの2人に害が及ぶ前に姿を消そうとしている事も、気付いている」
一瞬息を詰めた。それに気付かぬふりをして、旭は続けた。
「昨日俺達4人に説明した理由も、おそらくはサーシャに説明しただろう理由も、ほとんど口実のようなものだろう。……この城に不穏な動きがある今、椎奈はその口実を探していた。違うか」
「……口実を積極的に探そうとはしていなかったが、最近の城内の動きを利用できないかと考えていたのは、事実だ」
ここまで問い詰められれば、隠す理由はどこにも無い。
「旭は、少なくとも自分の身を守るだけの力がある。サーシャがこちらに付いた以上、呪いも危険性は低い。私の側にいても、ある程度は大丈夫だ」
これも私の希望的観測でしかないが、と心の中で付け加えた。
「だが、古宇田と神門は違う。当たり前だが、実力的に、下位の魔物くらいしか倒せない。今の心理状態を考えれば、それも難しい。そんな2人がこれ以上私に近付くのは、危険だ。最近少しずつ距離を置くようにしていたが、そもそも2人は、これほど私に関わって良い人間じゃない。あくまでクラスメートでなければならない」
旭の体が僅かに揺れる。その意味をあえて考えず、続ける。
「どのみち、依存されていては、この先困る。私がいなくても戦えるようでなければ、魔王討伐など出来ないだろう。1度、自分の力を自分で付ける経験が、そろそろ必要だ」
「……それは建前だ」
旭の反論に、迷わず頷く。
「そうだ。本音は、これ以上彼女達の側にいて、彼女達が不幸になるのを見たくない。私は——」
そこで1度言葉を句切り、旭の目を真っ直ぐ見つめた。
「——もう、私のせいで死ぬ人間を、見たくない」
しばらく、何も言わずに、互いに見つめ合った。
「……そろそろ戻ろう」
旭が反論しない事から、私の意見に対して異論はないと判断し、古宇田や神門が起き出す前にと、足を城の方向へ向けつつ、旭を促した。
旭は、何も言わずに私を見つめていた。その様子から、まだ話は終わっていないと察した。もう1度向き直る。
「——お前は、何も分かっていない」
常よりも低い声で紡がれたその言葉に、声に込められた怒りに、戸惑う事しか出来なかった。
「俺は、お前と約束したはずだ。決して、お前の前から消えたりしないと。そして、お前は俺と約束した。側にいる、と」
「それは——」
「今回のお前の決断は、その約束を反故にする行為だ。約束を反故にした以上、約束が反故にされる可能性がある事を、お前は理解していない」
「旭!」
場所も時間も忘れて、私は怒鳴った。旭は僅かに眉を上げるだけ。
「冗談でも、そんな事を言うな!」
「冗談ではない。事実を述べただけだ」
「ふざけるな! 私が決めたのは、一時的にここを離れ、隣国に向かう事。旭との約束は、四六時中側にいる事か!? 違うだろう、そもそも元の世界でもそんなに長い時間側にいたか? 昼と下校路、私のバイトが休みの時に、時折会う程度だっただろう。たかだか1,2ヶ月会えないだけで、何故約束を反故にする事になるんだ!?」
旭の目に、鋭い光が宿った。
「……それは、本気で言っているのか?」
「勿論だ」
激しい口調で肯定すると、旭の目が更に険しくなった。
「連絡も取れず、無事も確認できない。何時お前に危機が及んでも分からず、分かっても俺には何も出来ない。昨日言ったように、この旅の危険性は高い。それでも、そう思うのか?」
「元の世界で、どれだけ連絡を取っていた。無事なんて、どのみち出会うまで分からないだろう。旭が、私の身の危険にまで動く必要なんてない。自分の身を守る事を最優先してくれと、何度も言った」
旭が深い溜息をついた。彼は、私の目を真っ直ぐ見つめて、はっきりと言った。
「——俺にとって1番大切なのは、お前だ」
「……!」
曇りのない、それこそ澄み切った言霊に、言葉を失い、立ち尽くした。
「お前の側にいる事のリスクを知ってお前を求めているのだから、危険な目に遭うのは覚悟の上だ。覚悟を決めた以上、自分の身を守る事は当然の事。その上で俺は、お前の側にいて、力になりたい」
「……旭。私、は」
確かに、側にいたいと言った。今でも、心からそう願っている。
だが、そんな言葉を。
「旭に力になって欲しい、なんて」
期待していたわけでは、ない。
化け物を、構ったり、しないで。ただ側に、いて欲しい。
「お前の意思は関係ない。これは俺の望みであり、願いだ。今の俺にとって何よりも優先される、俺の意思だ」
だから、と、旭はなおも続ける。
「俺にとって、古宇田と神門がどうなろうと、然程重要ではない」
「……旭…………」
呻くように名を呼ぶも、旭は自身の言葉を撤回しない。
「古宇田が、神門が、戦う事に躊躇していようと、俺には何の影響もない。お前との約束を果たし、俺の意志を貫く事が最優先事項だ。彼女達のために残る義理など、俺は感じない。彼女達を守る事よりも、俺は、お前の側にいたい」
そこで旭は1度言葉を切り、ふっと息を吐いた。
「……完全に切り捨てる気は無い。彼女達を巻き込めば、椎奈は自分を責めるだろう。お前が傷付くのを見たくないから、今まで協力してきた。
だが、もし椎奈が、自分の身を危険に晒してまで、彼女達を守りたいというのならば。俺は、その意思に逆らう。彼女達を切り捨ててでも、お前を救う。彼女達が無事でも、お前に何かあったのでは、何の意味もない」
まるで私の心を見透かしたような言葉に、どう答えて良いか分からなかった。
私は、3人を守るためなら、自分の身を犠牲にしても構わないと思っている。だがそれは、旭の意思と反していて。彼は、私のために、2人を切り捨てる覚悟まで出来ていた。
「椎奈。俺は、普通の人間とは違う。思考が、心の動きが、常識から大きくかけ離れている。お前はその事を、その原因さえも、誰よりもよく知っているはずだ。俺にとって、一般的な理論や倫理など、どうでも良い。だからこそ、唯一の意思を貫くするために、非常識と非難されようと非情と誹られようと手段を選ばないし、実行を躊躇う事もない。それを理解した上で、お前は今回、行動を決定したか。お前は、俺が、お前の願いに無条件に従う事を、前提にしてはいないか」
追い打ちをかけるその言葉に、衝撃が自身を襲うのを感じた。
旭の言う通りだった。旭の性格の事はともかくとして、私は、旭が私の意志に従ってくれる事を前提にして、全てを決めていた。
旭の性格上、基本的に、私のする事に過剰に干渉してくる事は有り得ない。今まで私の行動に黙って付いてきてくれている感の強かった旭に対し、知らず知らずのうちに、旭は、自分の意見に反対する事はないだろうと、無責任な考えを持っていた。
——実際の彼は、誰よりも強く意思を持ち、何があろうと、何をしてでも、意思を貫き通す人間だという事を、何時しか失念していた。
何という、独りよがりな考え。
何という、傲慢な思い込み。
人が私に従うなどと言った、愚かしい高慢さ。
何時から私は、こんなふざけた事を考えるようになっていたのだろうか。これでは、この国の王と、何も変わらない。
自分の視野が狭窄していた事に気付き、自分が有り得ない程旭を軽視していた事に気付き、打ちのめされて、俯いた。
「…………ごめん、なさい」
謝罪の言葉を絞り出すのが、やっとだった。
その言葉に、旭が僅かに反応した気配が伝わってきたが、返答は無い。彼の顔を見る勇気、いや、その権利さえ無い気がして、俯き続けた。
影の位置が動く程の時間が経った、後に。




