表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/150

 結っていた髪をほどき、上から着ていた衣服を脱ぐ。神官達が清めの儀式で使うという衣服——肩から足首までを1枚の布で覆うもの——だけになった。本当は単衣があれば1番良いのだが、流石にこの世界には無かった。


 服が濡れないように隅に置き、滝の正面に歩み寄り、膝を折った。背筋を伸ばして正座し、1度目を閉じる。



 意識するのは、滝の音と、清浄な気に満ちたこの場の空気。滝の音を全身に響かせ、この場と己を一体にする。



 しばらくそうしている内に、場の空気に、常人には感じられない変化が生じた。無秩序に流れていた空気が規則性を持ち、場を守るように渦巻く。元々澄んでいた空気が更に澄み渡り、肌に冷たい程だ。


 ざあっと、辺りの空気が私を包み込み、巻き上がった。目を開け、空を仰いだ。予想通り、空の色は、太陽が昇り始めている事を示していた。

 魔物達の時が終わり、陽の気が世界を支配し始める時間帯。この時に身を清めるのが、1番効果的だ。



 静かに立ち上がり、足を滝壺に沈めた。そのまま、ゆっくりと滝に近付いていく。


 海とは違い常に下流へと流れ続ける水は、季節にかかわらず低い温度を維持している。徐々に深くなっていく滝壺に身を沈めていくと、一気に体温が奪われていった。


 滝壺の深さは、ちょうど腰まで浸かる程度。滝の目の前に辿り着いた私は、その場で1度目を閉じ、神咒を唱えた。場に満ちていた澄んだ空気が滝水に溶け込んだのを確認してから、目を開ける。


 目の前の滝は、先程よりも神聖な気配を湛え、私を待ち構えていた。この荒行を行おうとする者を試すように、轟音を響かせ、空気を震わせている。

 1度深呼吸してから、私は滝へと足を踏み入れた。


 途端、息が苦しくなる程の激流に呑み込まれた。体を押し返そうとしてくる水勢を押しのけて、滝の真ん中まで進み、体の向きを反転させた。


 目を閉じ、手を合わせ、無心に滝水を全身で受け止める。気を抜けば膝を折ってしまいそうな衝撃を受け続けながら、小さく祝詞を唱え始めた。

 不必要に息継ぎをしないように神へ捧げる言葉を紡ぎつつ、私は身の内に凝った気が流され、全身を巡る霊力が浄化されていくのを感じた。


 完全に身の穢れが清められるまで待って、私は次の段階に移った。

 心を完全に無にし、心身ともに空にする。体内に、この滝の水が注ぎ込まれていく様子を思い浮かべる。


 しばらくして、滝水に込められた霊気が、身の内に流れ込んでくるのを感じた。ひたすらに冷たいものが全身を撫で、蓄積されていく感覚に耐える。


 既に体は冷え切り、18℃を切る水に打たれているはずなのに、衝撃しか感じない。それでも繰り返し祝詞を唱え、自身の霊格を高めていく。



 術師が修行の一環として行う荒行。その中でも、この行——滝行は、特に辛いものとされている。

 術師の行う滝行の主な目的は、精神統一と、身体の鍛錬だ。幼い頃から、何度か行ってきた。


 だが——巫女の行う滝行は、同じ目的も確かにあれど、もう一つの特性を遙かに強く持つ。



 (みそぎ)



 身を清め、器たる体に精気を注ぎ込む事で、霊力を研ぎ澄ませていく。神を祀るものが、より神の近くに寄り添えるように、極限まで霊格を高める。

 「霊注ぎ」とも書かれるこの滝行と同じ目的を、術師達も確かに持つ。だがそれは、己の術師としての力を高めるためだ。神へ仕えるための儀式の一環である巫女の禊には、効果は遠く及ばない。


 術師であり、更に曲がりなりにも巫女でもある私は、その両方を1度に為す事が出来る。——時間はかかるが。



 時間の概念も忘れて滝に打たれ続けていると、精霊達がふわりと寄ってきた。私の周りに集まり、促すように周囲を回る。どうやら、儀式の終了を教えてくれているらしい。

 周りの精霊達に感謝の意を伝え、今唱えている祝詞に意識を集中する。最後の節を殊更丁寧に紡いで、私は滝から出た。


 途端、吹き付ける風に全身が粟立つ。冷え切った体は、思った以上に強張っていた。転ばないよう慎重な足取りで滝壺を歩き、滝の全体が見える位置で立ち止まり、振り返った。


 禊の終わりを意味する神咒と、禊に力を貸してくれたこの地と神霊、精霊に感謝の詞を奏上してから、私は滝壺を出た。


 無意識に、大きく息を吐き出す。その息さえ震えている事に気付き、内心溜息をついた。



 禊を行うのは、基本、神に捧げる儀式の前。最近はあまり縁の無い話だった。とはいえ、一応巫女なので、定期的に汚れを祓うために行ってはいた。


 この世界に来て、初めての禊。少なくとも、2ヶ月以上の時が空いていた事になる。思った以上に穢れが身の内に溜まり、浄化に時間がかかってしまったようだ。


 それと——心の曇りもまた、祓いの対象になる。最近自分の心が制御不能になっている私を、この地に諫められた気がした。



 小さく頭を振って気持ちを切り替え、霊力を勢いよく、但し小規模に発散した。強い波動によって、全身の水気が吹き飛ぶ。

 髪にやや水気が残っているし、全身は冷えたまま。精霊魔術で火気でも呼び出せばいい話だが、それでは修行にならない。自然に渇き、暖まるのに任せる事にした。


 隅の方に置いておいた衣服を取り上げ、再び身に纏う。着終わって振り返ると、ほとんどの神霊、精霊達がこちらに意識を向けている事に驚いた。

 そんなに禊は珍しいかと尋ねてみると、そんなに長い間行う禊など初めてだ、と返ってきた。神の血を引くものでさえ、これほど長い時間行ったりしないと。


 面食らって空を仰ぐと、何時しか太陽は完全に昇りきり、早朝から朝へと切り替わろうとしていた。おおよその感覚で、1時間くらい行っていたのだろう。

 この地の気が澄んでいるためか、滝の水は不思議と心地良かった。知らないうちに夢中になっていたようだ。わざわざ精霊達が止めに来たのには、きちんと理由があったのだ。


 改めて彼らに礼を言って、これからしばらく通って良いか尋ねてみた。神霊達がその理由を知りたがったので、簡単に現状を説明する。



 禊を思い至った理由は、3つ。1つは、近いうちに強力な魔物と衝突する可能性がある事。1つは、スーリィア国の中枢に魔物が潜んでいるのならば、国が少なからず穢されている可能性がある事。1つは、今の自分を振り切る事だ。


 術の効力は、術師の霊力に大きく左右される。この霊力とは、量よりも質がものを言う。量が少なくとも質が良ければ強い魔物を浄化できるし、逆に量が多くても質が悪ければ雑鬼すらも祓えない。そして、霊力は保有者の状態に強く影響を受ける。体調が悪かったり、身が穢れていたりすると、質は低下する。更に——心の強さも、霊力の質に関係する。


 ここで身を清める事で、例え彼の国が瘴気に満ちていても、ある程度までは影響を受けずに済む。強い魔物と戦う事になっても、実力を最大限まで引き出せる。きちんと実力を出せば、余程の相手でない限り、1人でも十分倒せる自信があった。


 更に、術師として滝行で心を鍛える事で、さらなる向上を図りたかった。

 今の私に力が無くとも、より上を目指す事は出来る。ひたすら魔術の研究を続け、出会ってから驚くべき上達を見せた旭のように、私だってまだまだ強くなれるはずだ。上を目指す事をやめれば、力は落ちていく。これ以上、彼らの足を引っ張るのは嫌だった。



 一通り理由を説明すると、神霊達は、それだけかと聞いてきた。別に隠すつもりは無かったが、こうまで心を見透かされるとは。

 内心感嘆しつつ、もう一つの理由を、簡潔に述べた。



 ——災いの源たるこの身を清める事で、彼らに降りかかる災厄を、少しでも減らしたい。



 災いという言葉に、神霊達は酷く驚いたようだ。神と契約しているのにか、と聞かれ、胸元のクロスに視線を落とす。



 この契約は、気休めだ。この世界では、自分の力を使えるようにするための契約。元の世界では、名前と共に過去を封じ、——ただ近くにいるだけで災いをもたらさないようにするための、契約。


 この契約は、あくまで、縁の薄いクラスメイト、教師、バイト先の人間など、私に心を寄せず、距離の遠い人間にしか効果は無い。最近私に依存しつつある古宇田や神門に効くかは怪しい。旭は考えるまでも無く、対象外だ。

 一応夢宮の手で加護を受けているが、それでも予断を許さない状況だ。


 天御中主神がこんな私と契約を交わす事を是としたのは、その定めの深さに、世界の神として、無辜の民を巻き込まないために下した決断だ。



 黙り込んだ私に、神霊達は構わないと言った。説明は要らないし、大体の理由は理解した。だから、明日からも来て構わないと。


 驚いた。何よりも穢れ無い気を好む神霊、精霊達が、この身を災いと知って、受け容れるとは思わなかった。


 驚きに言葉を失う私に、私の霊力には穢れが無いから心地良いのだと、彼らは追加説明をした。


 穢れ無き霊力。それは前にも言われた。人を救えない術師である私は、化け物を倒す事には長けている。攻撃術が得意なのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

 曰く、化け物を倒す事に特化したため、妖気を浄化する性質が強まっているとか。邪気を浴びても霊力が侵される事が無いのは、そのためらしい。


 それでも釈然としない私を、神霊が急かした。そろそろ戻らなければならないだろうと。確かに、いい加減戻らないと、誰かが抜け出した事に気付きそうだ。


 ひとまず疑問を先送りにして、神霊、精霊達に改めて感謝の意を送った。注意して見てみると、確かに彼らは、霊力を浴びて喜び、力を増しているようにも見えた。



 何だか却って考え事が増してしまったような気になりながら、私は聖域を後にした。

ちなみに、椎奈達が異世界に飛ばされたのは秋。異世界も秋。

その2ヶ月後って、つまりその、冬です。


さーむーいー!と、書きながら絶叫してしまいました。

椎奈の頑丈さには感服です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ