腹案
夜が更け、古宇田達がもう眠りについたであろう時間を見計らって、部屋に足を向けた。
部屋に辿り着く前に、サーシャが近くを歩いている事に気が付き、ある事を思い付いて、そちらへ向かう。
サーシャは私に気付くと、驚いたような、反応に迷うような表情を見せた。先程の私の態度から、どう接して良いか困惑しているようだ。構わず声をかける。
「3人は眠ったのか?」
「……はい、おそらく」
サーシャの答えにほっとしている自分がいた。今日はもう、これ以上誰かと話をしたくは無かった。
サーシャが、躊躇いを見せつつ口を開きかけた。余計な事を言い出す前に、さっさと目的を果たすことにする。
「聞きたい事がある。この辺りに滝はあるか?」
「滝?」
面食らった表情を無視して、頷く。
「出来れば、源流に近い位置にある滝だ。魔物が近寄れないような場所ならば、尚良い。まあ、それほど都合良く、聖域があるとも思えないが……近いもので良い、知らないか」
サーシャはしばし記憶を探るように視線を彷徨わせた後、何かを思い付いたように、こちらに焦点を合わせた。
「城の北側に位置する山に、仰るような場所があると聞きます。人も動物も立ち寄らず、魔物は近付くことも出来ない滝が、山の上腹に。噂では、水の精霊達が、精気を養う場所だとか。そこから流れ出る水は邪気が混ざっていないため、下流の方で神官達が汲み上げ、儀式に使うこともあるそうです」
希望通りの場所だった。アドラスが使っていた魔術が清純な水気を帯びていた為もしかするととは思っていたが、まさかそのものがあるとは思わなかった。
「場所は分かるか」
「……ある程度ならば。正確な場所は、神官に聞いても分からないと思います」
「構わない」
大体の場所が分かれば、後は気配で見つけ出すことが出来る。
「……差し出がましい事とは思いますが、そちらにどのような御用事が?」
サーシャの顔に浮かぶのは、詮索では無く、純粋な好奇心だった。魔術師がそのような場所に足を踏み入れようとする目的を知りたがっているのが、ありありと分かった。
別に隠すようなことでも無いし、魔術師として当然の好奇心だと思うのだが、知らないならば、教えない。別に情報漏洩を気にしているわけではなく、単に知る必要が無い事だからだ。
黙って首を振る。サーシャが露骨に落胆した表情を浮かべたので、一言だけ添えてやる。
「旅の準備だ」
途端、サーシャに浮かんだ曖昧な表情に、悪手だったと気付いた。
先程からのサーシャの様子からして、旭が未だに納得していないのは明らかだ。いい加減私の意図を理解していると思うのだが、心の整理が付いていない、という事だろうか。
「地図はあるのか」
強引に話題を戻す。サーシャは表情の冴えぬまま、頷いた。
「おそらく、図書館に。明日、お持ちいたしましょうか?」
「いや、直ぐに欲しい。案内してくれ」
今から探すとなると、眠る時間がなくなるかもしれないが、2週間後に出るのなら、出来るだけ早いほうが良い。
「……畏まりました。では、参りましょう」
首肯してみせて、図書館へと向かった。
朝日が昇る、半刻前。サーシャにもらった地図を携え、私は城を抜け出した。
この城の使用人としての役割を持つサーシャは別として、3人の中で1番早く起きるのは旭で、日の出後2時間程して起き出す。私が城を抜け出した事に気付かれないためには、それまでに戻らなければならない。彼らは既に私が早く起きる事を知っているから、城の中にさえいれば、何をしていたのか邪推される事もないだろう。尋ねられれば、調べ物をしていたとでも言えば良い。……旭だけは、嘘を見破るかもしれないが。
未だ底の知れない旭の能力をやや懸念しつつも、別に旭になら気付かれても構わないと思っている自分に舌打ちし、地図を確認する。山を目視し、地図の示しているおおよその位置を予測し、転移魔術を発動した。
空間が歪むような感覚に一瞬襲われた後、風景は常緑樹の緑鮮やかな森林に変化していた。木々の種類は、元居た国のそれとほぼ変わらない。気候があまり変わらないから、然程驚く事でも無いが。
微弱な霊力を放ち位置を確認すると、ほぼ狙い通りの位置に転移できた事が分かった。
術に転移魔術は無い。これは、旭に借りた魔術書から抜粋し、術師でも使えるように少し構造をいじったものだ。かなり感覚に頼るものだが、私にはこの方が性に合う。寧ろ旭は、こんなものを全て1から理論で組み立てるなんて面倒な事、よくすると思う。
頭の片隅で旭の演算能力に呆れを憶えつつ、目を閉じて感覚を解放した。
探すのは、清浄な波動。妖気や邪気、瘴気を否定する、かといって霊力でも、魔力でさえもない、純粋な気。ほぼ神気に近く、それよりも無邪気な波動を放つ、精霊の——そして、その上位の存在である、神霊の気だ。
一部の術師は、この神霊の力を借りて術を行使する。夢宮のように神の力を借りられる人間など、通常は皆無に等しいから、人よりも強力な気を持つ妖を祓うために、妖よりも上位の存在である神霊の力を借りるのだ。一応その類いの術も学んだ私は、神霊、そして精霊を探し出し、感覚を同調させる事は容易に出来る。この技術は、住む場所を変えるたびに、滝を探す折に役立っている。
然程手間取らず、精霊達が集まり、彼らを見守るように存在する神霊達によって守られた一角を割り出した。ゆっくりとその場に向かう。
神霊達の警戒を煽らないよう注意しながら、こちらの目的をそっと告げ、彼らの安息の場を使わせてもらえるよう、丁寧に頼む。拒絶しようとすればいつでも出来るよう、努めてゆっくりとその場に近付いていく。
神霊達は初めこそこちらを疑う姿勢を見せたものの、礼儀作法を守ったこちらの態度に、今度は興味を見せた。どうやら、今までにここに近付こうとした人間はいないようだ。
こちらにこの行は無いのだろうかとやや意外に思ったが、あれは水源豊かな国だからこそ普及したのかもしれない。そう考えれば、旭があまり詳しくなかったのも頷ける。
神霊達の気配が、私を迎え入れる姿勢を見せた。ひとまず安堵し、丁寧に礼を述べて、その場に足を踏み入れる。途端、轟音が鼓膜を震わせた。
目に飛び込むのは、白い霧に守られるようにして豊かな水源を放出する、荘厳な瀑布。滝を支える岩肌は、所々が長い時をかけて水流に削られ、飛沫に濡れてやや光沢を放っている。荒削りな部分と調和を取り、自然が生み出す奇跡を私に見せつけた。
底まで見える滝壺に落ちる水量は、神霊達の指示を受け、水と樹の精霊達によって調節されている。雨の時は放出を抑制し、晴れが続けば促進する。目に見えない自然の調和は、彼らによって手を加えられている。
妙に人間に協力的な彼らに疑問を憶え、尋ねてみると、この国の神官は常に彼らに敬意を払い、祀り、この山に魔物が集まるのを結界によって防いでいるらしい。代々、斎主を務める人間——今代はエリー=アドラス——は、定期的に、魔術に則って浄化された魔力を下流から送り込み、神霊、精霊達に感謝の意を示すそうだ。そのため、彼らはこの国の人間に割と好意を持ち、彼らを守護している。
人に好感を持つ珍しい神霊、精霊達——通常、精霊は人間に住処を奪われたり、穢されたりして、嫌ったり、そこまではいかなくとも警戒心が強かったりする事が多い——の加護を受ける滝の水量は、今、私の目的を理解した彼らによって、多すぎず少なすぎない、絶妙な量に調整されていた。
心から感謝の気持ちを霊力に乗せて伝え、私は準備に取りかかった。