本心
部屋に戻ったら、何だか落ち着いた。自分で言った、旭先輩と一緒に居られて嬉しいって言葉に自己嫌悪していたけど、自然と肩の力が抜けたのだ。
何となく魔力を感じたから、これ、魔術かな。
里菜を見ると、里菜も同じような表情で私の方を向く所だった。2人でクスッと笑う。
「椎奈、じゃなさそうだね。サーシャさん、かな?」
「多分」
椎奈の霊力とは、ちょっと感じが違うし、椎奈がこういう魔術を使う姿は、想像つかない。
「お戻りですか」
いきなり後ろから声をかけられた。びっくりして振り返ると、サーシャさんが微笑んで立っている。
「うん、ちょうど今。椎奈と旭先輩は?」
「シイナ様は、おそらくご自分のお部屋でしょう。アサヒ様は……おそらく、まだ戻っていないかと」
里菜の問いかけに答えていたサーシャさんの顔が、途中で一瞬曇った。
……旭先輩、まだ戻ってないんだ。
椎奈に詰め寄った時も、椎奈がいろいろ説明してくれた時も、旭先輩は、普段では考えられない位、冷静さを失っていた。旭先輩にかけられた魔術の話や、私達が足手纏いだって言われた時なんて、息を止めていた。椎奈は無反応だったけれど、私はその反応に本当に驚いた。驚いて、椎奈の言葉へのショックを、一瞬忘れた位。
声を震わせていた旭先輩の様子を考えると、しばらくは戻ってこないと思う。
「……コウダ様、カンド様、何か召し上がりますか? 簡単なものなら、用意できますが」
優しい声でそう聞かれて、お昼を食べていない事を思い出した。思い出すと急にお腹が空くのは、何でかな。
「詩織里、食べない?」
里菜も同感だったらしくって、食べたい! って全身で語りながら、私に聞いてきた。ちょっと笑いながら、頷く。
「それでは、用意して……」
言葉を途中で止めたサーシャさんを不思議に思ってサーシャさんを見上げると、サーシャさんの視線は、奥に釘付けだった。視線を辿るって、どきりとする。
真っ黒な綺麗な目に静かな光をたたえて、椎奈は私達をじっと見つめていた。
里菜が1歩前に出て、椎奈を真っ直ぐ見つめる。そして、はっきりと言った。
「椎奈、私達、ちゃんと待ってるから。椎奈が帰ってくるまでに、椎奈よりも強くなってるから、覚悟しててね。絶対、勝ってやる」
椎奈がすっと目を細める。しばらく黙って里菜を見つめた後、ふっと息を吐き出した。
「……勝てるものなら、勝ってみろ」
堂々と言い放って、椎奈はすっと視線を外し、私に視線を移す。
「私も、椎奈より風を操れるようになっておくね」
精一杯の気持ちでそう言うと、椎奈は肩をすくめた。
「ミキストリに聞くと良い。魔術はともかく、風そのものを操るのは彼らの領域だ。私に教えられる頃はない」
「分かった。ありがとう」
どこまでも先生な椎奈にお礼を言った後、私はありったけの思いを込めて、告げる。その言葉は、里菜とぴったり重なった。
「「だから椎奈、怪我しないで、必ず帰ってきてね」」
椎奈が目を見開く。しばらく私達をまじまじと見つめたかと思うと、ふっと顔を背けて、歩き出した。そのまま何も言わずに、部屋を出て行く。
ドアが目の前で閉まるのを見て、どちらからともなく、里菜と顔を見合わせた。
「……何か、地雷踏んだ?」
里菜の呟きに、私も首を傾げる。なんか、椎奈が変だった。
驚いた、というのは分かる。けれど、表情が険しくなるのでもなく、呆れたものになるのでもなく、ただただ私達を見つめていた、あの、表情は。
——危うい均衡が、ふらりと揺れたような。
「……コウダ様、カンド様。軽食を用意して参りますね」
私達の会話を黙って聞いていたサーシャさんに声をかけられて、はっと我に返った。2人して頷く。
何かを知っていそうなサーシャさんは、にっこり笑って部屋を出て行った。
******
部屋を出てしばらく歩いて、ようやく歩調を緩める事に思い至った。いつも通りの速度に戻し、ゆっくりと息を吐き出す。
——何なんだ、一体。
古宇田の挑戦的な言葉も、神門の意欲的な言葉も、その切り替えの早さに多少驚きはしたが、悪い事ではないので適当に答えた。
だが、その後の、言葉は。
『怪我しないで、必ず帰ってきてね』
何を考えているんだと聞きかけた言葉は、2人の真剣な目に、言うに言えなくなった。
私などの心配をする位なら、自分の心配をして欲しい。化け物の生死などどうでも良いのだ。大事なのは、彼らが、災いに巻き込まれない事。
……それ、なのに。
「正解だったな。運が良い」
小さく呟きを漏らした。直ぐに、運などという言葉を使う自分に笑いが込み上げそうになる。
足を止めた。気付けば、滅多に人の近寄らない場所に足を踏み入れていた。辺りに人はいない。幸いだった。
壁にもたれ、深く、息を吐き出す。押し隠し続ける感情が顔に出ている気がして、咄嗟に手で覆った。
これほど長く、ひとつ屋根の下で他人と過ごした事など、随分久しぶりだった。これほど誰かと言葉を交わし、共に日々を過ごす事など、なかった。
だからこそ、怖い。誰かに近づき過ぎた代償は、嫌という程知っている。同じ間違いをこれ以上繰り返したいとは、思わない。繰り返したくないと、心から願っている。
だが、今のままでは、何が起こってもおかしくない。それほどに、3人との距離が近い状況が続いていた。
「……私に、彼らを守る力は、無い…………」
ぽつりと、呟きが漏れた。いつか夢の中で出会った術師——魔法士、だったか——の言葉を思い出す。
『何かを守るなんて、出来るわけがない』
一分の迷いも無く言い切られたその言葉に、ああ、そうかもしれないと、口では反論しながらもそう思った。
他人を不幸に導くだけの化け物が誰かを守ろうとする事自体、間違いなのかもしれない。却って、危険に巻き込むだけなのかもしれない。
ずっと目を逸らし続けていた考えだ。そんな訳ない、きっと守ってみせると、自分に言い聞かせて。
——そうしなければ、何時か、折れてしまいそうで、ひたすら自分を騙し続けていた。
今それに気づけたのは、幸いだろう。今ならまだ、間に合う。……間に合って、欲しい。
総合闘技大会は、仮にスーリィア国の圧力や魔王の手がなくても、私1人で参加するつもりだった。王が急に闘技大会を場内で開くと知って、似たようなものが国外であるのではと推測した。
王からの打診があれば、初めは拒絶して、4人全員が行く羽目にならないよう先手を打ってから、適当な理由——旭にかけられた魔術含む——をあげて、1人で行くつもりでいた。——3人と、距離を置く為に。
私に、旭に、依存し始めている古宇田と神門の頭から、私の存在を薄れさせるために。あの2人を……旭に、任せたい。そんな思惑を持って、この件を受けた。
サーシャにも言わなかった、何よりの理由だ。
「——どうか、彼らを、お守り下さい……」
何に祈って良いのかさえ分からないまま、私は心から祈りを捧げた。