自覚
部屋を出て行った後、どこをどう歩いたか良く覚えていない。気がついたら、前にソフィアちゃんと出会った庭に辿り着いていた。
ずっと詩織里と繋いでいた手を離して、手近な石に腰掛ける。俯いて、溜息をついた。
「……里菜、大丈夫?」
気遣ってくれる詩織里の声に顔を上げ、笑ってみせる。
「ん、平気。詩織里こそ、平気?」
「……何とか」
詩織里は曖昧な顔で笑って、私と同じように、近くの石に腰掛けた。
「……ユウ」
小さな声で呼ぶと、ユウは直ぐに現れてくれた。大型犬サイズのユウは、私を見上げて、心配そうな顔をしてくれる。
『どうした、リナ? 随分元気が無いが……』
「ちょっと、ね。詩織里とゆっくり話をしたいから、外に音が漏れないように出来る?」
『巫女はどうした?』
「……椎奈は、ちょっと」
言葉をぼかした私の様子から何かを察したのか、ユウはそれ以上何も聞かずに、低い声で何事か呟いた。椎奈が作るのとはまた違った結界が、私達の周りを覆う。
『……シオリ、リナ、どうしたのだ?』
ユウの気配を追ったのか、詩織里が呼んだのか、ミキも姿を現した。ちょっと迷ったけど、ユウとミキにも話しておく。
「……椎奈が、ね。1人で、隣の国に行って、総合闘技大会に出るんだって。……隣の国で何か起こりそうで、椎奈が危ないかもしれないのに、1人で」
それを王様や隣の国の王子様に言う時も、私達に理由を説明する時も、椎奈には迷いがなかった。私達なんて、居ても居なくても、変わらないみたいに。
「……居ても居なくても変わらないんじゃなくって、邪魔、だったね」
「……里菜」
詩織里が小さく名前を呼んだ。目を向けると、詩織里は泣きそうな顔をしている。
「椎奈は、邪魔とは、言ってないよ」
「でも、足手纏い、なんだよね」
詩織里が俯いた。滴が零れたのが見えたような気がして、ちょっと焦る。
「ごめん。だけど……」
「……ううん、本当のことだから」
詩織里が小さく首を振ったのを見て、ああ、同じ事を考えているんだなって思った。
『……巫女が、2人を足手纏いだと言ったのか?』
ユウが地を這うような声で尋ねてきた。宥めるようにして、そのふさふさな毛並みを撫でる。
「私達だけじゃないよ、旭先輩も。私達3人を連れて行った方が、1人で行くより危ないなんて、そんな事……」
言葉が詰まって、俯く。そのまま、途切れそうな声で言った。
「……言われなくても、分かってた、けど」
それ以上言葉が続けられなくて、腕に顔を埋める。
椎奈は、本当に強いと思う。でも、椎奈はずっと、自分は弱いって言ってた。そんな椎奈からすれば、私達なんて、本当に頼りなく見えるんだろう。
剣だって魔術だって、まだまだだ。椎奈に上達を認めてもらったって、自分が強くなったとは思えない。
……大体、椎奈を「先生」としか言えない時点で、椎奈の足手纏いなのは、確実だ。
この間、詩織里と話し合った事も、まだ答えは見つかってない。今魔物と戦えるかって聞かれたら、正直きつい。何かの命を奪う覚悟は、まだ出来ていない。そんな私達を、椎奈が、連れて行く訳がない。
——でも。
「それでも、椎奈が危ない目に遭っているって分かってて、お城で待ってなんて、いられないよ……」
『リナ……』
ユウがそっと身を擦り寄せてきた。ふさふさの感触に少し癒やされるけど、自分が情けなくって、まだ立ち直れない。
「……ユウ、私ね、ほっとしちゃってるの。戦わなくて済む、って。でも直ぐに、椎奈は戦うんだって思うと、落ち込む。こんな嫌な奴なんだな、って……」
「……それは私も、同じだよ」
詩織里の声に顔を上げると、詩織里は力無く笑っている。
「まだ戦えない、でも、椎奈を行かせたくないって。……でも、私が1番悲しいのは、……私達のせいで、旭先輩まで、ここに残らなきゃいけないって事」
頭を思いっきり叩かれたような気がした。
そうだ。椎奈が本当に、旭先輩を足手纏いだと思っている訳がない。だって、本当にそう思うなら、前の世界で、椎奈が旭先輩と一緒に魔物……じゃない、妖と戦うことをよしとする筈ないんだ。
「……そういえば、前に椎奈、旭先輩は自分より優秀な魔術師だって、言ってたね」
詩織里に言われて、思い出す。
あれは、旭先輩が居ない時だったと思う。椎奈は淡々と、旭には敵わないって言っていた。戦い慣れてるからまだ勝てるけど、あれだけの力があれば、近いうちに負けるかもしれないなって、独り言のように。
口調より、そのどこか悔しげな顔が、椎奈の内心を垣間見せていた。
「それが本当か、私達には分からないけど、少なくとも、騎士さん達より、この城で1番優秀だっていうエリーさんより、旭先輩の方が強いんだろうね」
「……だとしたら、椎奈に付くだろう護衛より、旭先輩の方が強いって、事、か」
だとすると、やっぱり、旭先輩が残るのは——
「——私達が安全で居られるように、っていうのが、椎奈の希望、なんだね」
私の結論に、詩織里が頷いた。
「旭先輩にかけられたのみたいな呪い、私達には対処できないし、魔物相手に身を守る事も出来ない。だから旭先輩は、残らなきゃいけない。……私たちが、弱いから。きっと……誰よりも側に居たいって、椎奈を行かせたくないって、思っているのに」
それに、と詩織里が自分を責めるように笑う。
「……旭先輩が残ってくれる事、どこか嬉しく思っている、私が居るんだ。それが嫌」
「それは——」
「ありがとう、里菜。でも、大丈夫」
仕方ないよ、って言おうとした私の言葉を遮って、詩織里がまた笑う。
「諦めてる、筈なんだけど。……好きなものは、好きだから。どうしても、側に居られると、嬉しい」
「……それは、悪い事じゃないよ」
うん、と頷いて、詩織里はそれ以上何も言わなかった。
『……シオリは、巫女に着いて行きたいのか』
ミキの問いに、詩織里はちょっと迷って、首を振る。——縦じゃなく、横に。
「椎奈の言った事、ちゃんと理解してるから。本当に行くしかなくて、椎奈に私達が付いていったら却って危ないって、頭では分かってるから……私は、残るよ」
言い切った詩織里が眩しくて、私は目を細めた。
「……そうだね、私も残るよ。残って、強くなる」
こうやって、椎奈を送り出さなくて済むように。旭先輩にまで、迷惑をかけないように。一生懸命訓練して、強くなろう。
『……やれやれ、我らが何か言う前に、結論は出たようだな』
ミキが苦笑混じりの声でそう言うので、ちょっと言い返す。
「聞いてもらいたかったんだよ。こうして聞いてもらって、詩織里とも話したから、気持ちが落ち着いたの」
「本当にね。ミキ、ユウ、ありがとう」
詩織里がお礼を言うと、ミキとユウは微笑んだ(ように見えた)。
『礼を言われることではない。私達は2人の味方だからな』
それだけ言って、ミキとユウはふっと消えた。同時に、音を遮っていた結界も消える。
「……戻ろう」
お昼も食べずに部屋を出てきた。心配されて探される前に、戻ろう。
「椎奈なら、探さなくても見つけ出しそうだけど」
詩織里の言葉に笑いながら頷いて、私達は、また手を繋いで、部屋に向かって歩き出した。