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術師の意図

今回、長めです。

初めてのサーシャ視点。

 アサヒ様がシイナ様の制止を振り切って部屋を出て行かれた後、室内の空気はとても居心地の悪いものになった。


「……皆様、そろそろ昼食の時間ですが、いかがなさいますか?」

「私はいらない。古宇田、神門、食べるのだろう?」


 シイナ様が即答なさる。彼女の問いかけにカンド様は頷きかけたけれど、その前にコウダ様がお答えになった。

「ううん、いらない。いらないよ。詩織里、行こう」

「……うん」

 カンド様は少し躊躇われた後で頷き、コウダ様と共に部屋を出て行かれた。ドアが閉まる音が、やけに部屋に反響する。



 コウダ様とカンド様の魔力が遠ざかってからしばらくして、シイナ様が深く溜息をつかれた。

「……全く」


 その、疲れ果てた様子に、声をかけずにはいられなかった。


「よろしいのですか、シイナ様」

「何がだ?」

 私に視線を向けないまま、シイナ様が直ぐに聞き返す。いつも通りの態度でいらっしゃるけれど、今はどこか、無理をなさっているように見えた。

「アサヒ様を追わなくて、よろしいのですか?」

「追うだけ無駄だろう。今追って話をしても、何にもならない。今の旭は、話を聞ける状態じゃない」


 淡々と、冷酷とも言える程に正確な判断をなさるシイナ様に、問う事を止められない。


「……何故、あのようなことを仰ったのですか?」

「ああでも言わなければ、意地でも着いてきただろう」


 迷いのない、即答。先程からシイナ様は、まるで私の心を読んでいらっしゃるかのように、答えに時間をおかれない。



 まるで——


「もう少し、言いようがあったのでは?」

「事実を告げたまでだ」


 ——自分の中で、何度も同じ問いを繰り返していらっしゃるかのように。



 押し黙った私の様子をどう受け取ったのか、シイナ様は一瞬だけ私の顔に視線を走らせなさった。

「どうやら誤解しているようだな。サーシャがそうという事は、あの3人もか。まあ、意図したことではあるが」

「え?」


 妙な事を仰るシイナ様に、思わず間の抜けた声を上げる。


「どういう事ですか?」

 シイナ様はようやく私に向き直って、私と目を合わせて下さった。


「……そうだな、旭も気付いていないのなら、サーシャに言っておいた方が良さそうだ」

 そこで1度言葉を句切ると、シイナ様は障壁の確認の為か、視線を宙に彷徨わせた。しばしの後、私に視線を戻される。



「どういう事も何も、サーシャ。貴様は本気で、旭が私の足手纏いになるとでも思っているのか?」



 ……先程のご発言を力一杯否定なさるそのお言葉に、思わず耳を疑った。


「……そうか、サーシャはまだ、旭の実力を直接見たことはないか」

 目を見開いた私の顔をご覧になって、シイナ様は今思い出したという風に頷かれる。シイナ様が私を極力遠ざけ、4人の実力を拝見出来なかったのだけど。


 内心で小さな異議申し立てをしていると、シイナ様は表情も変えぬまま、さらりと仰った。


「旭は、理魔術師だ。——記述魔法陣無し結術無し無詠唱で、多重展開が出来る、桁外れの実力を持った」


「…………は?」

 声がひっくり返る。耳が一時的に変調をきたしたらしい。

「旭は、理魔術師だ。——記述魔法陣無し結術無し無詠唱で、多重展開が出来る、桁外れの実力を持った」

「……1字1句違わず繰り返して下さってありがとうございます。ですがそれは、不可能なのでは?」


 理魔術を記述魔法陣無し、無詠唱で行える魔術師は確かにいる。この世界でも10指に収まるくらいしかいないが、そこまでは可能だ。威力の高い理魔術を精霊魔術とほぼ同じ時間で構築できる彼らは、実戦では最高峰の実力者と見なされる。

 けれどそれは、相当な演算を頭の中で行わなければならない。魔法陣と呪文に託した象徴や意味を全て自分の頭で再現するのだから、当然だ。1つの魔術を記述魔法陣無し無詠唱で行うだけでも凄い事で、2つ出来れば大魔術師、3つともなれば神の領域だ。

 それを、必要不可欠と言われている結術まで無しで、その上多重展開など、絶対にあり得ない。


「旭が出来るのだから可能なのだろう。旭は私などより余程優れた魔術師だ。魔術戦で私が勝つのは、ひとえに戦闘経験の違い」

「……神霊魔術師のシイナ様が、勝たれるのですか?」


 これもあり得ない話だ。神霊魔術は主に神を祀り邪を祓う魔術。発動には定められた手順が存在し、それを飛ばす事は出来ない。相当な時間がかかるため、実戦向きではないというのが常識だ。エリー=アドラスのように、その手順を可能な限り同時並行で行い、精霊魔術を丁寧に詠唱した時と同じ時間で行える者は数人いるが、それでは先程聞いたアサヒ様の魔術に張り合えるとは思えない。


「貴様はその目で、私の魔術を見たはずだが?」


 呆れた目で睨まれて、慌てて記憶を探る。操られていた期間の記憶は曖昧で、意識して思い出さなければ思い出せない。

 そうして記憶を探ってみると、あり得ない事に、シイナ様も無詠唱で魔術を行っていらっしゃった。


「私の世界では、そういう技術があった。私はそれを教わっただけだ。理論だけで成し遂げた旭とは違う。旭は、そのセンス、才能、技術、全てにおいて私に勝っている」


 絶句する私に、シイナ様が淡々と仰る。その表情は、僅かに悔しそうだ。


「……だから、旭が私の足手纏いになる事は無い。戦闘経験不足だから多少は苦労するだろうが、私もいるから問題無い」

「……では、何故」


 ならば尚更、アサヒ様をここに残す理由が分からない。あれほどシイナ様の身を心配なさっているアサヒ様のお気持ちが、お分かりにならないシイナ様ではないはずだ。

 シイナ様のお答えには、迷いがなかった。



「理由は2つ。1つは、旭が焦っていることだ」



 その事は、私もここ数日で感じていた。誓約を結んだあの日から、アサヒ様は妙に力が入っていると、剣術の訓練でも魔術の訓練——まだ座学のみしか拝見していないけれど——でも感じた。


「魔術について焦っているのは、先日の呪いの1件だ。隙を突かれた事を恥じているらしい。剣術に関しては、先程私が指摘した事を旭も理解しているからだ」

 何故か不機嫌そうなシイナ様を怪訝に思い、反論する。

「……それは当然なのでは? 原因の一端となった私が申す事ではございませんが、少しでも早くシイナ様に追いつきたいと願うのは、当たり前の事では」

 予想に反して、シイナ様は深い溜息をつかれた。

「……お前は馬鹿か」

 まるで頭痛を堪えるような仕草と共に仰った言葉に、流石に言い返す。

「何故そうなるのですか」


 魔術師として、馬鹿呼ばわりされる事はなかった。シイナ様やアサヒ様と比べれば確かに弱いが、この城で隊長を務められる程度には優秀だ。このレベルの魔術師になるには一定以上の知性と知能を求められるから、間違っても馬鹿ではない。


 けれどシイナ様は、前言を撤回なさる事なく、苛々した口調で仰った。



「サーシャ、考えてみろ。私は魔術を学び始めて9年になる。同期間、剣術を含め、様々な武術を学んできた。対して旭は、魔術を学んで5年。今回の呪いに関わる神霊魔術について知識を得始めたのは、この世界に来る2ヶ月前から。更に言えば、剣術は一切学んでいなかった。そんな旭に、そう易々と差を埋められてたまるか」



「…………」

 返す言葉もないとは、この事だ。


「……シイナ様。アサヒ様は、こちらにいらっしゃってから剣術を学ばれたのですか?」

「ああ」

「……それまでは一切何も?」

「多少、異なる剣術に触れることはあったらしいが、実用には程遠いと聞く」

「…………アサヒ様は、何者ですか」

 さらりと答えられてしまっては、心の声を抑えられなかった。シイナ様が肩を小さくすくめる。

「私にもよく分からないが、旭は理屈を理解すれば、それを実行出来る。やる気を失う話ではあるがな」


 激しく同感だった。何年もかけて身につけてきた魔術の数々が脳裏に浮かぶ。あれを練習無しに出来るとは。今までの努力は何だったのだと言いたくなる。


「まあ、旭の非常識さは今更として。ここまで来れば、サーシャも分かるだろう。旭が、剣術を学び始めて僅か2ヶ月の旭が、あれだけの実力を付けただけでも異常だ。魔術は論じるまでもない。あれ以上の伸びを期待しようという方がどうかしている。そんな事、普段の旭なら誰かに言われるまでもない。それを理解してその上で焦っているのか、それに気づけない程焦っているのかは分からないが……ともかく、酷く焦りすぎだ。今の旭を連れて行くのは、いささか怖い」


 ようやくシイナ様の仰る事が理解出来て、頷く。

 適度な焦りは上達に繋がるけれど、過度の焦りは身を滅ぼす元。身の丈に合わない事に挑戦しようとしたり、普段は考えられないような判断ミスをしたりする。魔物とやり合う時には、それは致命的だ。


「だから、1度ゆっくり鍛える時間を取るべきだ。少し冷静になってもらわないと、これからが困る」

「納得いたしました。それで、もう1つは……?」


 シイナ様が押し黙りなさった。しばし逡巡をお見せになった後、シイナ様はゆっくりと口をお開きになる。



「サーシャ、貴様なら気付いているだろう。古宇田と神門が、迷っている事に」



 それだけで、シイナ様の仰りたい事が、全て理解出来てしまった。


「元々私は、あの2人が本当に魔物と戦えるかどうか疑っていた。今まで争い事や魔術とは無縁の生活を送ってきた2人に、急に戦闘を求める方が酷だ。だからひとまず身を守る力を付ける事を優先したのだが、……あの2人、覚悟がまるでなっていない。今のまま戦いの場に出しても何も出来ないのは、火を見るよりも明らかだ」


 はっきりと頷くことは気が引けたけれども、同意見だ。私に取り憑いていた魔物の件で、お2人は、シイナ様の判断を、頭では理解出来ても、心が受け容れられない様子でいらっしゃったのだから。


「特に古宇田だ。古宇田は、命の奪い合いを極端に忌避する。……私たちの元居た世界ではそれが当たり前だったが、状況がそれを許さない。それ位、帰らないと決めたのだから、分かっていると思っていたのだがな。……だから、帰れと言ったのに」


 シイナ様が溜息混じりに仰った最後の言葉に、小さく驚く。シイナ様は、コウダ様とカンド様を、当初は帰すおつもりだったのだ。

 ……帰す方法をご存じなのかと、少し、戦慄した。


 シイナ様は、私のそんな心情を余所に、お続けになる。

「迷いは魔術にまで出ている。最近の訓練、攻撃魔術を妙に避ける上、戦いでの動きもどこかぎこちない。おそらく、今回行かなくて済む事を、心の奥ではほっとしているに違いない」

 そこでシイナ様は、再び私の目を真っ直ぐ見据える。強く、澄んだ光がその目に宿っていた。

「サーシャ。私がいない間に、あの3人を連れて魔物の討伐に行って欲しい。……少し、学ばせなければならない」

「……はい」

 反対する理由はない。今のままでは、コウダ様とカンド様は戦えない。



「……こんな事が出来るのは、旭がいるからだ。旭が残って、古宇田と神門を守り、魔術の指導をしてくれるだろうからこそ、この選択肢を私は取った。……それくらい、普段の旭なら、分かる筈なのに」


 そう呟いて、シイナ様は俯く。その横顔や先程のお言葉からは、苛立ちだけでなく、どこか寂しげな雰囲気を感じた。


「大丈夫ですよ、シイナ様」

 根拠もないけれど、咄嗟に言葉が口をついて出た。シイナ様が顔をお上げになる。

「アサヒ様は、少し混乱なさっているだけでしょう。それにご自分でお気づきだからこそ、おひとりになられたのです。アサヒ様が、シイナ様と同じ結論に達せないとは思えません」

「根拠もない推論だな」

「ええ。ですが、シイナ様もそうお思いになるでしょう?」


 微笑んでみせると、シイナ様は小さく溜息をつかれて、首を横に振る。その横顔には、先程までの疲れた様子が消えていた。


「2週間後に出るのなら、いろいろ必要な物が出てくるな。そのうち、城下町に買い出しにでも行くことになるだろう。……訓練は、一時的に止まるな」

「そうですね。良い息抜きになるのではありませんか」

「鈍りそうだ」


 素っ気なくそう仰って、シイナ様は自室に戻られた。1人取り残された私は、お節介だと分かっていて、部屋を丁寧に掃除し、少し魔術をかけた。

 皆様が、無意識下で安心できる魔術。……母親が、悪い夢を見た子供にかけるものと、よく似ている。



「大丈夫ですよ」



 もう1度呟いて、私はお部屋を後にした。


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