弱さ
「俺は反対だ」
俺は強い口調で言い切った。全員の驚いたような視線が集まる。思ったよりも大きい声を出してしまったらしい。
「椎奈の危険性が高すぎる」
「何故? ここに残る旭達だって、城に魔物が襲撃してくれば戦うことになる。危険性は変わりない」
「俺達は兵と共に戦うことになるが、椎奈は限られた数の護衛しかつかないだろう」
「忘れていないか、旭。大会には各国の勇者が集う。下手な1国の兵よりも余程強い人物が集まるんだぞ。むしろ、その点からいえば、旭達の方が危険だ」
先程から見え透いたはぐらかしばかりを口にする椎奈に、苛立ちが募る。意図せず、常よりも口調が強くなった。
「椎奈、俺が気付かないとでも思ったのか? もしスーリィア国が黒幕だとすると、狙うのは他国より、勇者だろう。この時期に勇者を集めたのは、戦いに疲弊した所を一掃するのが目的である可能性の方が高い」
古宇田、神門、サーシャが息を呑む。椎奈は、目を細めるのみ。
「……あり得ますね。いえ寧ろ、その方が自然でしょう。相手が自信があるのならば、尚更」
「自信はあるだろう。不意をつかれれば、いかなる強者とて無力。その上限界まで力を出し切って戦っていたならば、魔物に対して十分な実力を発揮できない。これ以上の機会はない」
サーシャと俺の言葉に、椎奈は冷静に頷いた。
「そうだな、その可能性はある。いや、それが主な目的で、他の城の兵力を手薄にするのは、上手くいったら儲け物、程度にしか考えていないかもしれないな」
無関係の事態を分析するような態度の椎奈に、自分を押さえきれなくなった。
「分かっているなら、何故受けた。椎奈が警戒していても、他の人間が足手纏いになる可能性もある。椎奈も巻き込まれるかもしれない。国に行くまでの魔物とて、軽視出来ない。強力な魔物が頭数揃えて襲ってくれば、いくら椎奈でも危険だ」
その言葉を聞いて、古宇田と神門の目の色が変わる。俺が指摘した事で、この件の危険性を再認識したらしい。
俺たちの視線を受け、椎奈は眉間に皺を寄せた。冷たい表情で俺たちを見返し、苛立ちを無理に抑えたような声で、俺たち3人に向かって言い放つ。
「まだ分からないのか? この件は、受けなければならない」
「……どうして?」
神門の問い返しに、椎奈が溜息をついた。
「……この件は、強く魔王と関わっている。私の推論を棚に上げたとしても、各国の勇者を集めるというのは、確かに国民の士気を上げる。それに協力しないというのは、魔王討伐の為の策に乗らないと言う事。見方を変えれば、魔王討伐に協力する気がないとも言えるんだ。これが何を意味するか、分からないか」
ようやく椎奈の言わんとしている事が分かり、息が止まりそうになる。
「——魔王討伐への協力意思がないと周りに見なされ、……旭にかけられた魔術が発動する」
驚愕に息を呑む音が、部屋に響いた。人数は、3人分。
俺はまだ、まともに呼吸が出来なかった。
「王子が私達に参加意志が無いと知ってしまったあの時、私が受けなければ、王はそう脅して、私達全員を強制的に参加させた筈だ。魔物と戦わせるつもりはないと言ってな。勇者の為に兵力を多く割く事は、今の情勢ならば反対は少ない。事実、戦わずに済む可能性も無視し得ない。もしそうなら、国の未来を背負うあの王は、自らの命をかけてでも私達を放り出しただろう」
先程の会談が蘇る。王の申し出に対して、俺は魔法陣を口実に断ろうとしていた。
あの魔術、あるいはそれに類する魔術をかけられる可能性は、最初に取引を持ちかけた時から頭にあった。
だが俺は、それを利用した。椎奈が1人で行動しないよう、ある種の楔にする為に。あの呪いがある以上、椎奈は俺と常に共に行動するしかないのだから。
事実、椎奈は俺を戦いから外せない。だからこそ椎奈は、今まで俺達の訓練にほぼ全ての力を割いていた。
それが、今。
「だから、私が行く事で、それを阻止した。今の私達の状況を考えれば、これが1番の選択だ」
こんな形で、椎奈を危険に晒す、原因になるとは。
「……だから、椎奈が1人で行くの? 1人で行く理由にはならないよ」
「そうだよ。私達も一緒に行く」
「この国の防御は、シイナ様方が心配なさらずとも、私達が総力を挙げて望みます。シイナ様がご自分の身を危険に晒してまで、お1人で行かなくてもよろしいのでは?」
古宇田と神門の言葉、そして、サーシャの思わぬ援護射撃に、椎奈が目を伏せる。次に顔を上げた時、椎奈は先程よりも更に冷たい表情を浮かべていた。
そして、椎奈は——
「——ならば、言わせてもらおう。あの国に行く上で、今のお前達と共に行く方が、私1人で行くよりも、危険だ」
その言葉を、口にした。
今度こそ、息が止まる。瞬きすら出来ずに、椎奈の目を見た。椎奈はその目に何の感情も浮かべずに、淡々と続ける。
「たかだか2ヶ月の訓練。当然だが、未だ魔術も剣術も未熟だ。今のまま戦いの場に出た所で、自分の身を守る事すら難しいだろう。そんなお前達を守りながら、あの国の魔物を倒すのは、私でもきつい」
「……俺は」
「確かに旭は、以前の世界で私と共に妖と戦ってきた。だが、状況はあの頃とは違う。数も多く、力も相当なモノばかり。幸か不幸か、旭と共に戦う時、然程強力な妖はいなかった。今度は違う。一瞬の駆け引きが生死を左右する戦いを、毎度のように強いられる。そして、国に着いてからは、あるかどうかすら分からない陰謀を警戒しつつ、大会に出なければならない。今の旭には、荷が重い。戦いの経験のない古宇田や神門は、言うまでもなく無理だ」
辛うじて口にしようとした反論を聞こうとすらせず、椎奈が切り捨てる。反論する間すら、与える気はないらしい。
「それに、旭は魔術はかなり高いレベルに達していても、剣術はまだ甘い。戦いに出るくらいなら、剣の腕を磨くべきだ。隣国まで移動し、大会に出ている時間が惜しい」
容赦の無い言葉が、先程自身に抱いた苛立ちと共に、頭の中で反響する。
今まで椎奈と共にいて、自身の力不足は言われるまでもなく自覚していた。彼女に出会うまで接近戦を全て池上に任せていた自分を、心中で呪った程だ。
だが、魔術師として、対魔物戦において、力不足と見なされるとは思っていなかった。魔術師としてならば、椎奈に認められていると、そう思っていた。
——呪いの件で、自分の弱さを晒したと、いうのに。
「……巫山戯るな」
声が、震える。みっともないと分かっていても、悪いのは自分だと分かっていても、抑える事は出来なかった。
「椎奈、お前は、俺達を、邪魔だと言いたいのか」
椎奈がすっと眉をひそめる。その顔に動揺はなく、黙って続きを待っている。その冷静さに、どうしようもなく腹が立った。
「俺は、お前と約束した筈だ。それはお前にとって、それ程に軽いものだったのか。……こんな馬鹿げた話を受け容れなければならない程、俺は弱いのか」
自分でもみっともないと思う。事実、俺の弱さがこの事態を招いたというのに、椎奈を責める筋合いなどない。こんな無様な真似、それこそ自分の弱さを晒け出しているようなものだ。
それ以上の暴言を吐くぎりぎりのところで、自分を抑える。俯き、気付かれないように深く息を吸い、吐く。それでも、荒れ狂う感情は、事実を受け容れようとしない。
頭では理解している理屈は、心に否定される。あの時結んだ約束を、椎奈は守る気はないのだと。側にいたいと言いながら、結局は1人で走り続ける気でいるのだと。そうとしか、動揺した頭は答えを出してはくれなかった。
1つだけ確かなのは、これ以上ここにいて会話を続けても、何もならないということ。椎奈はもう、何を言われても、自分の決定を変える気はない。
——結局お前は、俺を受け容れる気など、ないのだろう。
辛うじて残っていた理性を掻き集めて、その言葉を押し止める。椎奈の視線を避け、俺は黙って部屋を出て行った。椎奈が俺を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、振り返る気は起こらなかった。