迷いと不安
「ねえ、詩織里はどう思う?」
「呪いの事、だよね」
「うん……」
旭先輩の呪いの件が片付いた、その夜。私と里菜は、私の部屋のベッドに一緒に潜り込んでいた。
今までにも何度か人恋しくなって一緒に寝ていたんだけど、今日はもっと切実に、里菜と話したかった。
椎奈の一面、きっと意図的に私たちに見せなかった一面を、目の当たりにして。何だか、いろいろ分からなくなって、不安になって、1人で寝られる気がしなかった。
里菜もそれは同じだったみたいで、私より一足早く寝る準備を済ませた里菜が、私の部屋を訪れた。それで、今日は私の部屋で一緒に寝ることにした。
「椎奈の言ってる事、……きっと正しいよ。呪いをかけた方が悪いし、やったらやり返されてもおかしくない、と思う。……でも、里菜は嫌だよね」
里菜がはっきりと頷いた。
「向こうが悪いからって、何をしても良いわけじゃないもん。あんな、眉1つ動かさずにすることじゃない。何より、どうして操られていたと分かっていて、殺そうとしたの? 何も悪くないのに」
怒りと悲しみの混ざった言葉に、どう返すべきか迷った。里菜の事情は、私もよく分かっているから。
それでも椎奈のやった事も理解出来るから、そっと言葉を紡ぐ。
「……里菜、呪い返しは仕方ないよ。どっちかしか救えないなら、椎奈は絶対旭先輩を選ぶ。それは当たり前だもん。……旭先輩が攻撃されて怒るのも、当たり前」
「……うん」
「それに、サーシャさんが敵か味方か分からない状況で容赦なんてしないよ、椎奈は」
「……そう、だね」
椎奈は、容赦がない。それは、この世界に来て直ぐに分かった事だ。それに、行動基準が凄くはっきりしていると思う。
「……椎奈は、旭先輩や私たちを守る為なら、何でもする。きっと、それが犯罪でも。……でも、そんな事、誰も喜ばないのに」
里菜が悲しそうに言った。私は、気づいた事を言った。
「でもね里菜、きっと椎奈は、本当は皆を助けたいんじゃないかな」
「え……? でも……」
「だって椎奈、今までいろいろ言いながら、本当に誰かを傷つけた事、ないよ。それに、最初にこの世界に来た時に、言ってたよね? 里奈の言っている事は正しいけど、それを守るだけの力が椎奈には無いって。もし椎奈がサーシャさんを確実に助けられる力を持っていたら、初めから助けていたと思う。ずっと方法を考えて、無いと思ったから、ああしたんじゃないかな」
考え考え思い付きを言葉にすると、里菜は小さく頷く。それでも納得のいかない表情で言った。
「でも、だったら初めから、あの矢を使えばよかったんじゃないの?」
「そうしたら、旭先輩の呪いが解けなかったのかも。それに、あの矢、賭けって言ってたよ」
椎奈の言っていた、悪意の無い人間なんて、そんなにいないと思う。誰もが弱いから、悪いものの囁きとかって、つい受け入れてしまう。
あの矢はきっと、サーシャさんが本当にいい人だから、サーシャさんを助けてくれたんだろう。
「そっか……うん、そうだね。椎奈、優しいもんね」
里奈が納得したように頷いた。私も里奈も知っている。椎奈は言葉は冷たいけど、すごく私たちに気を使ってくれている事を。
けれど里奈は、すぐに顔を曇らせた。
「……ねえ詩緒里、今更だけど、私、不安になってきた……私、これからちゃんと、戦えるのかな……」
黙って話の続きを待った。きっと里奈も、私と同じ事を考えてる、そう思って。
「今回だって、魔物の仕業って分かってて、椎奈が攻撃したのは魔物だって分かってるけど、それでも、……後味悪いよ。生き物殺すのって、……嫌だね」
私は何もしていないけど、と笑う里奈に、首を振ってみせた。
「私も、……ちょっと辛かった。これからこういう事がいっぱいあると思うと、怖い。……それに、ちょっと椎奈や旭先輩みたいだけど、……正義って、何だろうね」
「うう、詩緒里……それ、考えないようにしてたのに……」
「ご、ごめん」
「ううん、いいよ。大事なことだし」
私達は、この国の人達の命を守るために、魔王を倒す。この国の人達だけではなく、この世界の人ほとんど皆にとって、それは立派な正義だろう。だからこそ、「勇者」と呼ばれるのだから。
けど、魔物から見れば、自分たちの命を奪う悪者だ。向こうが侵略してきたのが悪い、という考えもあると思うけれど、住む場所を広くしたいと考えるのは、魔物だって同じ。人と魔物の争いという事であまり考えてこなかったけれど、要するに領土争いのようなもので、戦争と同じだ。戦争は避けるべきものだと教わってきたから、そう考えると戦う事に抵抗がある。
「……椎奈達は、その事はどう考えているのかな」
独り言を漏らすと、里菜が直ぐに答えた。
「旭先輩は分かんないけど、椎奈は割り切ってると思うよ。人を襲うものを倒す、って。……何か、魔物とか化け物とか、大嫌いみたいだし」
「……だね」
化け物とか魔物について話す時、椎奈はいつも苦々しい表情になる。すっごく嫌っているって、丸分かりだ。
「……嫌だなあ」
里菜が溜息と一緒に漏らす。目を向けると、里菜は暗い顔でシーツをいじっていた。
「椎奈には言えないけど、……魔物と命のやり合いって、怖い。怖いし、やっぱり正しい事だとは思えない」
同感だった。帰るつもりはない。今更投げ出すつもりもない。でも、やっぱり戦うのは怖い。
改めて思う。いつも妖と戦っていたという、椎奈や旭先輩の強さを。2人は、今になって怖がったりしないのだろう。
「私たち、どうすれば覚悟できるんだろうね……」
「うん……」
その後も里菜と一緒にあれこれ話し合ったけれど、結論は出ないまま、私たちは朝を迎えた。
そして。
「——今日の練習は休みだな」
椎奈の溜息混じりの声に、私はベッドの上で身を縮ませた。
「古宇田も神門も発熱、旭は病み上がり。練習する意味が無い」
「俺は平気だと言っている」
里菜の部屋に様子を見に行っていた旭先輩が私の部屋に戻って来て反論する。
「私と魔術戦をする気か? 流石にそれだけの霊力は回復していないだろう。それぞれ自習だ」
「剣の訓練は出来る」
「……あと1週間で向こうも闘技大会だ、合同練習は一時休みにして欲しいと伝言があった。旭が望むなら後で相手はするが」
「頼む」
「分かった。……それより神門。古宇田と2人揃って熱を出すとは、昨日何かあったのか?」
旭先輩に頷いた後で問われて、私はどう答えようかと狼狽えた。
風邪じゃない、と思う。けど、練習の疲れがそろそろ溜まってきていたのは確か。それに加えて、昨日はいろいろと心臓に悪くて、多分精神的に疲れていたんだと思う。それなのに夜が明けるまで里菜とあれこれ話し合っていたから、睡眠も満足にとっていない。
いろいろ考えたせいか、頭が痛いなあと思っていたら、熱。だから、多分——
「古宇田の答えは、「知恵熱」だった」
「……あれは3歳児くらいが出すものだと記憶するが」
旭先輩の言葉に椎奈は半眼で反論したけれど、私はそれが正解だと思う。里菜、はっきり言ったね……
「……まあ、疲労が蓄積する頃ではあるな、確かに。今日はゆっくり休め」
椎奈にねぎらいの言葉をかけられて、何だか情けない気持ちになった。
これではまるで——
「——シイナ様、そうしていらっしゃると、まるで面倒見のいいお姉さんみたいですね」
微笑ましいものを見る笑顔のサーシャさんの言葉は、私の感想とぴったり一致してしまっている。
「……姉、か。私は神門と年は同じだ」
表情も変えずにそういう椎奈に、サーシャさんは笑みを深くした。
「傍目の印象の問題ですよ。おふたりは私が看病いたしますので、シイナ様とアサヒ様はご自由になさって下さい」
「分かった」
椎奈より先に旭先輩がそう言って、椎奈を連れて部屋を出て行く。
「うー、情けないよお」
隣の部屋の里菜の声が、聞こえた気がした。