誓約と懸念と
「他に質問はあるか?」
何故か機嫌の悪そうな顔をしている旭に問いかける。そんな表情自体、旭には珍しい。何が気に入らないのかは分からないが。
旭は頷き、サーシャに目を向けた。
「サーシャは何故、ここにいる。情報を聞き出すだけなら、いくらでも方法があるだろう」
「旭先輩、物騒な事言わないで下さい」
強張った顔で、それでも古宇田が旭に食ってかかる。今までに無い態度に、旭が眉を僅かに上げた。
「俺は単に、椎奈がサーシャを生かしている理由が分からないだけだ」
「その件について話そうとしていたんだ、さっきは」
古宇田が何か言う前に旭に答え、サーシャを真っ直ぐ見据える。サーシャの表情が強張った。
「事情は理解した。だが、貴様の魔術で旭が死にかけたのには変わり無い。聞いていたのかは知らないが、術師は呪いをかけた相手は必ず殺す。どのような事情があろうとも、だ。……魔術師として、覚悟はあるのだろうな」
サーシャが目を伏せ、頷く。
「たとえどんな理由があっても、私がアサヒ様を呪った事には変わりがありません。シイナ様の判断に、異論はありません。命で贖えというのならば、甘んじて受け入れます」
「駄目だって!」
古宇田が叫んだ。悲痛な表情で、私とサーシャの間に立ちはだかる。
「椎奈、椎奈がサーシャさんを殺すって言うなら、私、椎奈と戦うからね」
譲らないという気構えだけは立派な古宇田を睨み返した。
「言った筈だ、余計な情けは身を滅ぼす元だと。そいつが私たちに2度と害を及ばさないという保証がどこにある。大体、こいつは王に仕える身。こちらの味方にはなり得ない」
「だからって、殺す? サーシャさんがやろうとしてやった事じゃないのに? じゃあ椎奈は、サーシャさんと同じ目に遭って殺されるとして、はいそうですかって死ねるの?」
「当たり前だ。自分も同じ目に遭う覚悟もなく、人殺しなどしない」
自分がいつ殺されても文句を言えないモノである事など、本来はサーシャを責める権利など無い事など、人に言われるまでもない。
それでも、私は。旭を、古宇田たちを守る為なら、分不相応な事でもやる。
古宇田は私の返事に泣きそうな顔をして、強く首を振った。
「おかしいよ、そんなの。サーシャさんは悪くないのに」
「……コウダ様。私は構いません。元々は、私の力不足が悪いのですから」
サーシャが口を挟む。魔術師として、当然の言葉だ。これが言えるようでなければ、己の力をもって人を守ろうとする資格はない。
だが、あくまでも前の世界の価値観を捨てられない古宇田は、なおも食い下がる。
「力が無かったら駄目なの? 力が無いなら、殺されても仕方が無いの? だったら、私は今殺されても文句言っちゃ駄目って事? ふざけないでよ!」
頭痛を覚えて、眉間を押さえた。思わず漏らした溜息に、全員の視線が集まる。
魔術師2人の問いは、それならば何故今も生かしているのか。古宇田と神門の問いは、神官たちの練習場で聞いた。その2つの問いの答えを、口にする。
「……どうも事情が掴めなかった。あのまま殺すよりも情報を得る方が良いと考え、1つ賭に出る事にした」
「……あの、矢?」
神門の呟きに、旭は何が起こったのかは理解したらしい。小さく頷いて、それでも納得のいかない表情でこちらを見つめている。
「そうだ。言ったと思うが、巫女の矢は、悪しきモノを浄化する矢。本来、心が闇に傾いていない人間には通用しない。だからこその、賭けだ。
もしサーシャが単に魔物に取り憑かれているだけならば、矢は魔物だけを滅する。だが、もしサーシャが魔物に魂を売り、協力しているならば、矢は魔物の気に汚されたサーシャごと殺す。前者なら、話を聞く事で情報が得られる。後者なら、聞くだけ無駄だ。あの矢を使って、どちらなのか試した」
そこで一旦言葉を切り、サーシャに向き直った。
「貴様の罪を許すつもりは無い。どんな事情があろうと、貴様のせいで旭は死にかけた。それは変わらない事実だ」
サーシャが黙って頷く。古宇田も神門も、雰囲気に飲まれて口が利けないようだ。旭も、何も言わない。
「——選択権を、与えよう。選べ。このまま死をもって罪を償うか、生きて罪を背負い続け、我々に仕えるか」
サーシャが不意を突かれたように目を見開く。私の言葉を、繰り返した。
「生きて……?」
短く頷く。目は、サーシャの瞳から逸らさない。
「王直属のスパイという立場を、我々の監視役という立場を捨て、知りうる限りの情報を我々に流し、我々に協力するか。我々の目となり耳となり、手足となるか。
言っておくが、表向きは立場は変わらない。だが、王には私たちがいいと言った情報のみを伝えろ。監視は許さない」
私達にはこの世界の知識が不足している。書物だけでは限界があるのだ。だから使用人たちにいろいろ聞いてきたが、この城の中に暮らす者より、サーシャのように外に出て仕事をする者の方が詳しい。使えると判断した。だからこその、選択肢。
「選べ。我々の傀儡として生きるか、ここで死ぬか。 死ぬと選択すれば、この場で殺す。周りの妨害が邪魔ならば、移動しよう。生きるというのならば、この場で誓約をしてもらう。無論、魔術師としてだ」
もう一度言葉を区切る。言葉に言霊を籠め、偽るを許さぬ問いを投げかける。
「——さて、どうする」
重い沈黙が部屋を占拠した。古宇田も神門も、旭でさえも、何も言わずに私達を見つめている。
サーシャと私は、瞬きさえせずに見つめ合っている。サーシャは私の意図を探るように、私はサーシャの思考を読み取ろうと。
永遠とも思える時間の、後に。
「——この命、皆様のために」
言霊に意思を込め、サーシャが跪いた。
「生きて、我々に協力するか」
「はい」
確認の問いかけに、躊躇いのない是の返答。言霊に偽りは、無い。
軽く息を吐き出し、旭に向き直った。
「旭。最終決定権は旭にある。どうする」
「俺は構わない」
旭に頷いて、サーシャに視線を戻す。
「魔術師としての誓約、破れば死を意味する。分かっているな」
「存じ上げております」
迷いのない瞳から僅かに視線を逸らし、誓約の魔法陣を発動した。
床に浮かんだ魔法陣に、サーシャが正確に魔力を流していく。小さく口の中で詠唱しているが、それでもかなり熟練の業だ。やはり、相当優秀な魔術師らしい。
これほどの魔術師でも太刀打ちできない魔物。思った以上に厄介な相手を敵にしてしまったようだ。
やや苛立ちを覚えながら、魔力が流し込まれた魔法陣に霊力を流し、魔術を完成させる。
魔法陣は一瞬強く輝き、消えた。
サーシャが立ち上がる。私たち4人に向かって頭を下げた。
「……改めて自己紹介いたします。サーシャ=レイア=グスノフ、皆様にご協力させていただきます。よろしくお願いいたします」
古宇田と神門がそれに答え、何事か言葉を交わす中、私は誰にも聞かれないように、そっと息を吐き出す。
本当は、殺す気でいた。旭の言う通り、たとえ殺したところで、残留思念から記憶を読み情報を得る事位出来る。魔物から情報を得たいのならば、その方が効率が良いくらいだ。
あのまま呪いで魔物ごと殺せるならばよし、魔物が滅びないのならば、呪い返しで弱った相手を滅する。そう決めていた。
——だが、返された呪いに侵されるサーシャを見る古宇田と神門の顔を見て、予定を変更せざるを得なかった。
彼女達は、元々一般人だ。殺生とはほぼ無縁の生活を送ってきた。ただの命のやりとりでさえ経験した事も無い2人に、情け容赦ない命がけの術師の世界、その中でも最も過酷と言える呪い返しを、受け容れる準備は無かった。
本当は、そのくらいの覚悟が、魔王討伐には必要だ。使用人たちに聞いたこれまでの魔王の所行を考慮すると、それは疑う余地が無い。だから、今回の件を利用して、理解させるつもりでいた。
……だが、あのまま呪い返しを最後まで見せていれば、2人は今頃壊れていただろう。あの時点で既に、限界寸前という顔をしていた。
この選択が吉と出るか凶と出るか、まだ分からない。取り憑かれた人間から魔物を引き剥がしても、残った瘴気がその人間を狂わせ、魔物化させる事もある。巫女の矢は全ての瘴気を浄化するものではあるが、災いの源たる私の矢だ。完全に浄化出来たか怪しい。下手をすれば、この余計な情が全員の身を滅ぼす元となる。もしそうなったら、私のせいだ。
「椎奈」
思考がやや負の方向へ傾きかけていた私に、旭が不意に声をかけてきた。声の方に目を向けると、思ったよりも近くに立って、見下ろしている。
「大丈夫なのか」
旭も同じ事を懸念していたようだ。目を合わせ続ける事が出来ず、旭の胸元に下がるクロスに視線を向けて答えた。
「……分からない。本来は、殺すべきだ。こんな判断、術師としては最低。……あの2人を連れて行ったのは、失敗だった」
2人を旭と共に、部屋に残しておくべきだったのかもしれない。あの魔物をおとりに私を連れ出し、残りの3人を仲間が襲う可能性を考えて別行動を控えたが、そのせいで余計な事を考えてしまった。
術師を目指す者、誰もが通る道。それを、この世界から戻ればただの一般人として暮らしていく2人に強要するのは、彼女達を私の住む世界に引きずり込む所行。
いくら自分が災いをもたらす化け物とはいえ、自覚的にそんな事をしたくは無い。そんな、状況を弁えない事を。
「いや。俺は、椎奈の判断は正しかったと思う。サーシャは、原書を自由に持ち出せるだけの、実力を認められた魔術師だ。それをこちらの手の内に入れられたのは大きい。誓約上、裏切りは無いだろう」
旭の冷静な声が、不思議だった。魔術師である彼なら、私の判断がどれだけ甘いものか、批判してくるに違いないと思っていたのに。
だが、旭はそれ以上、自分の意見を述べなかった。
「俺が心配したのは、お前の体調だ。呪い返しに加えて浄化の矢を放ったとすると、かなり霊力を消費したのだろう。大丈夫なのか」
予想外の問いかけに、呆然と旭を見上げる。
「椎奈?」
旭に重ねて問われ、我を取り戻した。慌てて首を振る。
「あの程度で体調を崩す程虚弱じゃない。……呪いを受けた旭が心配する事ではない」
「俺はもう大丈夫だ。椎奈に助けられたからな。……あまり、無茶をしてくれるな」
言い聞かせるような言葉に反論しようと口を開いたが、込み上げてきた感情が言葉を奪った。何も言わずに口を閉じ、顔を背ける。
その時、古宇田たちが目に入った。3人とも、気まずそうな顔でこちらを窺っている。
「何だ?」
何か言いたげなので尋ねると、サーシャが答えた。
「そろそろ夕食をお運びしようかと考えていたのですが……」
「椎奈達が、声をかけられる雰囲気じゃ無かったんだよ」
古宇田のよく分からない言葉に、首を傾げる。
「問われれば答えた。何に遠慮をしていたんだ?」
「……うん、まあいいや。で、食べる? 2人とも」
唇を尖らせた古宇田が投げかけてきた問いに、旭を振り仰いだ。
「旭、食べられるのか? 体力を回復するためにも、食べた方が良いだろうが……」
「もらおう」
旭が短く頷いたので、3人に目を戻し、頷く。
「じゃあサーシャさん、お願いします。お腹減ったから、なるべく早くね」
「はい」
サーシャが古宇田に微笑んで、部屋を出て行った。
早くと言っても、少しは時間がかかるだろう。そう思って、1度部屋へ戻った。