魔術の学習
碧瑠璃色の輝きと共に、氷の刃が私目掛けて飛んで来る。目の前に風の膜を作ってそれを防ぎながら、突風を叩き付けた。
「うわ!」
その声で里菜がバランスを崩したと分かって、そのまま上から大きな風の鎌を落とす。
再び碧瑠璃色の輝きが閃き、風の鎌が水に吹き飛ばされた。
そのまま襲いかかって来る水を鎌鼬で落としたとき、足下から氷の鎖が伸びてきて、足に絡みつく。
「あっ……」
竜巻を起こしてそれを吹き飛ばそうとしたけれど、その前に里菜の放った氷の手裏剣が目の前に迫っていた。思わず目を閉じる。
「―それまで」
椎奈の声が響いた。
手裏剣も鎖も消え、風も収まる。ほっとして息を吐いた。
「……神門、拘束された時はそれから逃れる事より、相手の追撃を防ぐ事が優先だ。元々それを狙って拘束するんだ、逃れる事に意識を逸らしたら相手の思うつぼだろう」
「……はい」
「古宇田は攻撃の時の防御が甘い。簡単に足下を掬われてどうする。もう少し魔力の流れに気を配れ」
「はーい」
「……まあ、使う魔術の種類は増えてきたがな。ようやく身に付いてきたか」
椎奈がそう言って、旭先輩を振り返る。
「旭、他に何か追加する事はあるか?」
「いや」
短く否定の言葉を発する旭先輩に頷いて、椎奈が結界を解除した。びしょ濡れだった部屋が、あっという間に元に戻る。
「さて、魔術書も運び込んである事だし、学習に移るぞ。いつものように、使いたいものがあったら練習する」
「……今日は、椎奈達は良いの?」
椎奈と旭先輩の魔術戦は、3日に1度行われている。毎日やったら霊力の消費が多すぎるからだそうだ。3日に1度でも辛そうだけど……
今日は魔術戦を行う日の筈だ。旭先輩も疑問に思っているらしく、椎奈に視線を向けている。
「ああ。今日は座学に重点を置く」
椎奈はあっさりと頷いて、魔術書を開く。
椎奈は「先生」。教わっている側が意見を言う事なんて出来ない。私達は素直に従った。
魔術の勉強も随分進んで、いろいろな事を知った。
魔術は、魔力によって、あるいは魔力を介して精霊などの力を借りて、世界の情報を書き換えるというものである事。
呪文や結術は書き換える情報をはっきりさせる、コンピュータのプログラムのようなものである事。
呪文を唱えずに魔術の名前だけを口にするのは「詠唱破棄」、何も言わずに魔術を発動するのは「無詠唱」と呼ばれ、どちらも高度な技術。魔術のレベルが上がるごとに難しくなり、無詠唱はどんなに優秀な魔術師でも中級魔術が限界である事。
特に理魔術は、全ての理論を理解し、完璧に覚えないと詠唱破棄さえ出来ない。更に無詠唱は、理論が常識となって初めて可能になる事。
理魔術、神霊魔術は精霊魔術でいう5系統全てを操る事になる為、相当な魔力が必要な事。
神霊魔術は魔力を更に練成し、世界に溶け込ませる必要がある事。
精霊魔術はともかく、理魔術、神霊魔術に結術、結印は不可欠で、特に神霊魔術はいくつもの印を組み合わせて初めて魔術を構築できる事。
……つまり、椎奈も旭先輩も、魔術理論を全て覆して粉々にしているという事を知ったのだった。
以下、2人の言い分。
「魔法陣、呪文、結術は、どれも魔術の完成形をイメージする為の呼び水だ。結果的にどうなるのかを理解出来ていれば、全体の完成図を思い浮かべるだけで魔術は発動する」
「術も似たようなものだな。組み合わされた結印、長い詠唱。どちらも世界への干渉を目的としていて、その順序を指し示すものだ。順序や方法を頭に入れてしまえば、刀印1つで事足りる」
以下、魔術書の言い分。
「魔術は過去の魔術師達が連綿と受け継いできた英知の結晶であり、膨大な理論背景、知識を元に長い年月をかけて作り上げられたものである。魔術はそれ自体が巨大な情報体であり、1人の人間がそれを常識とする事は事実上不可能である」
これを里菜と2人で読んで下した結論。
……椎奈達の「当たり前」を信じてはいけない。
そうは言っても、私達も結術無しで魔術が使える。これはユウやミキのおかげだそうだ。
更に、まだ中級魔術の1部分くらいまでしか練習していないけれど、ほぼ全てを無詠唱で出来る。
私達はイメージを持つ事を優先したから、理論が無くても魔術が使える、と椎奈が教えてくれた。
そこまで考えて指導してくれていた2人に、心から感謝した。
「あ、私これ試すー」
不意に里菜が声を上げた。椎奈が里菜の指す魔術書のページに目を通す。
「……初日に部屋を氷付けにした魔術の応用だ。直ぐに出来るだろう。無詠唱でいけ」
「やってみまーす」
頷いた里菜が魔法円の中央に立った。目を閉じると、碧瑠璃色の光が魔法円の上を走る。
氷の壁が里菜の前に立ち上がり、円柱を作った。そのまま一気に円の半径が小さくなって、氷が粉砕する。
「成功?」
「ああ」
椎奈の首肯を見て、里菜がガッツポーズをした。
「神門は何かあるか?」
「うん。……えっと、これ」
そう言って、移動魔術を指し示す。前にミキが使っていたものだ。
「……術に移動魔術は無いから、あまりよく分からないが……旭、分かるか?」
椎奈に呼ばれて顔を上げた旭先輩が、魔術書を一瞥して、頷く。
「移動先をきちんと意識していれば、問題ない」
「分かりました」
頷いて、里菜と入れ替わりに魔法円の中心に立った。深呼吸をしてから、円の外側の一点を見つめて、風を起こす。
橙色の閃光と強い風に思わず目を閉じて、次に目を開けた時には、さっきまで見つめていた場所に立っていた。
「凄ーい、詩緒里! 良いなあ!」
里菜の言葉に笑顔を向ける。移動に魔法を使うというのは、1つの憧れだもんね。
「……ん? 詩緒里、腕どうしたの?」
里菜が私の右腕の切り傷に目をやった。一瞬口ごもる。
「古宇田の魔術で少し切ったようだな」
「え、ごめん……」
椎奈の説明に、里菜が焦った顔をした。首を横に振る。
「お互い様だよ。この先、私が怪我をさせる事もあると思うし。いちいち気にしてたら、練習にならないよ」
「……そっか。じゃあもう謝らない」
里菜はそう頷いた後、私に近付いてきて、右腕を取った。切り傷に右手を翳す。瑠璃色の光が傷を覆い、何かが流れ込むような感触がした。
光が消え、里菜が手を離した。にっこりと笑っている。
腕を見ると、切り傷は跡形も無く消えていた。
「治癒魔術、覚えたんだ。一昨日……だったかな? 自分で試して上手くいったから、詩緒里にも試したんだけど……成功して良かった」
「ありがとう。里菜、凄い」
水属性の魔術が治癒魔術に向いているのは知っていたけれど、ここまで完璧に治すのは、かなり高度な魔術の筈だ。
「……治癒魔術も中級魔術だな。大したものだ」
椎奈の賞賛に、ちょっと違和感を覚えて声の方に目を向ける。
椎奈の顔には、何の感情も浮かんでいなかった。無表情のまま、じっと私の腕と里菜を見つめている。
「……椎奈、そろそろ戻らないか。夕食の時間だ」
旭先輩の言葉に、椎奈が視線を外し、片付けに取りかかる。何となく動き辛かった私達はほっとして、片付けに参加すべく駆け寄った。