速さ
再び、時は流れます。
袈裟懸けに薙ぎ払った木製の薙刀を掻い潜って、人影が懐に飛び込んで来る。
慌てて1歩下がり、伸び上がるように下から切り上げて来る木刀——真っ直ぐで、日本にあるものより少し長い——を受け止める。
そのまま弾かれないように薙刀を握る手に力を込めるも、相手は既に間合いを開けていた。
息を継ぐ暇も無く、烈火のごとき斬撃が襲いかかる。刀の軌跡を目で確認する事も出来ず、勘だけで辛うじて受ける。けれど、そうは保ちそうにない。
そのリーチの長さを活かして勢い良く振り上げる事で1度刀を弾いて、薙刀の後ろ側——石突——で最速の突きを繰り出す。
刀が弾かれて体勢を崩しかけた相手には避けられない、と思ったのに、あっさりいなされて、薙刀は下に払い落とされる。
マズい、と思ったその時には、首筋に刀が添えられていた。
「うう、悔しいぃ……」
「攻撃の後に隙が出来ている。その後に直ぐ攻撃できるくらいの余裕を持てないような力の使い方をするな」
連戦連敗が悔しくて呻くと、刀を引いた相手——椎奈が淡々と告げて来る。
「分かってはいるけどさあ……」
「無理に攻撃をするな。少しは相手の動きを利用しろ」
「はーい」
それが出来れば苦労しないのに……という気持ちを込めて返事をするも、椎奈は気付く様子も無く、視線を闘技場の奥へと移した。
「……神門と旭も終わったようだな」
その言葉に私も視線を椎奈の向けている方向に向けると、詩緒里と旭先輩が言葉を交わしている所だった。
「次は古宇田と旭、神門と私でやるか」
そう言って椎奈はそれを伝えるべく、視線の方向に歩き出す。思わず声を上げた。
「まだやるの……?」
「何か問題があるのか?」
「いえ……」
心の中で盛大な溜息をついた。またぼこぼこにされるのか……
ここ2ヶ月の旭先輩の成長ぶりは、目を見張るものがあった。初めてこっちで椎奈との魔術戦を行った辺りから何か心境の変化があったらしく、練習の時の雰囲気が変わった。弱音1つ吐かずに黙々と取り組んでいたのが急成長の要因だろうとは思うけど、それだけでは説明がつかない程、上達が早い。
椎奈との魔術戦を初めて見た時にも思ったけど、旭先輩は教わった事を実戦で使えるようになるのがやたらと早い。技を習ったその日に行う模擬戦で、その技を使いこなしている。
今の旭先輩は、有段者クラスとも十分やり合える筈。魔術戦で椎奈の相手をしていただけあって速い攻撃にもついて来るし、訓練の成果か力もある。その上、戦術の立て方がものすごく高度。実力そのものは多分まだ私の方が上だけれど、駆け引きでぼろ負けする。
誰よ、旭先輩が運動音痴だなんて言ったの。池上先輩が目立ちすぎてただけじゃない。
「……シイナ様」
心の中で愚痴っていると、騎士さんの1人——アベル=リベラさんが、真剣な表情で椎奈に声を掛けた。
「何だ?」
椎奈が目だけを向けると、アベルさんは灰色の瞳に静かな闘志を燃やして、黒曜石の瞳を見据える。
「私と手合わせ願いたい」
「……そうだな……」
少し考え込む様子を見せる椎奈に、少し意外に思った。
訓練の始めの頃に全員と1度手合わせしたものの、その後椎奈が相手をしていたのは、アドルフさんみたいな本当に強い人ばっかりだった。それでも指導にしかならないんだから、騎士さん達は悲しそうな顔をしているけれど……
アベルさんは確かに強いけれど、椎奈が普段相手をしている人達の中には入っていない。そんなアベルさんの申し出なんて、椎奈は速攻で断ると思っていたのに。
不思議に思って椎奈を見ていると、1つ頷いた椎奈が、ゆっくりと口を開く。
「……よし、こうしよう。リベラ、私の代わりに、神門と手合わせしてくれ」
「……え?」
詩緒里が間の抜けた声を上げた。アベルさんも面食らったような顔をしている。
「そして、ヴァレニウス。古宇田の相手をしてくれないか」
「……畏まり、ました」
「へ?」
ヨーナ=ヴァレニウスさん。椎奈に相手こそしてもらえないけれど、相当な実力者。アベルさんよりもずっと強い。
とても私が相手になるような人じゃない、と思うんだけど……
「何をしている。早く準備しろ」
椎奈が私達を急かす。椎奈の雰囲気に気圧され、試合戦の内側に入った。詩緒里もややびくつきながらアベルさんと対峙する。
「ヘラー、ガウス、審判を頼む」
「……分かりました」
近衛騎士団第1隊のトップツーのアドルフさんとミュリエル=ガウスさんが、椎奈の依頼に何とも言えない顔で頷いた。ミュリエルさんが、少し迷った様子で口を開く。
「しかしシイナ様、よろしいのですか?」
「訓練を初めて、およそ2ヶ月。そろそろ良いだろう。ヘラー、拙いか?」
「……いえ、こちらとしても必要な事です」
……よく分からない会話だ。何が良いのか、さっぱり分からない。私、初心者にようやく毛が生えた程度なんですけど! そして、必要って、何!?
心の中で叫ぶも、言っても聞く耳を持ってもらえない事はこの2ヶ月で学んでいるので、溜息を飲み込んで構える。
「「始め!」」
アドルフさんとミュリエルさんの声が重なり、私は地を蹴った。
細身の西洋剣が鋭く突き出されるのを薙刀の柄で弾く。
直ぐに下がって薙刀を払うと、ヨーナさんは飛び退いて退ける。そのまま間合いを詰めようとするのを再び薙刀を払って防ぎ、連続で突きを繰り出した。
ヨーナさんが紙一重で避けるのを見ながら、私は心の中で首を傾げていた。
――遅い。
ヨーナさんの動きが遅い。調子悪いの? て聞きたい位。戦術の組み立て方は洗練されているのだけれど、1つ1つが遅いせいでバレバレ。正直、さっきから違和感が勝ってやりづらい。
「くっ!」
ヨーナさんが薙刀を掴もうとするので、振り上げて阻止する。その機会を逃さず西洋剣をもう1度突き出して来るのを、体を半身にする事で避ける。
同時に薙刀を袈裟懸けに振り降ろして――
「——それまで!」
アドルフさんの静止の声がかかって、手を止めた。ヨーナさんが悔しそうに唇を噛み締める。
「勝者、コウダ様」
その声に、自分が勝ったとようやく理解した。
「それまで。勝者、カンド様」
隣からそんな声が聞こえて来たから目を向けると、詩緒里が何だか戸惑い顔でアベルさんと自分の刀を交互に見やっていた。
「……コウダ様。素晴らしい上達ぶりですね。脱帽致しました」
ヨーナさんがそう言って、手を差し出して来る。咄嗟にその手を握り返した。
「はあ……ありがとうございます」
相手が心の底から感嘆の眼差しで見つめて来ている状況で、「体調悪かったんですか?」とはまさか聞けない。椎奈じゃあるまいし。
「……まだ振った後に隙がある。振り幅を考えろ」
不意に背後から件の椎奈の声が聞こえて、飛び上がった。振り返ると、無表情の椎奈と目が合う。
「振り幅?」
「自分の制御できる範囲内で振り上げろ。直ぐに引き戻せないような振り方をするな」
「分かった。……ねえ、椎奈。ヨーナさんが調子が悪いの、気付いてたの?」
「……いや、ヴァレニウスは別に体調不良でも不調でもない」
「え?」
思わぬ言葉に面食らった。だって……
「……古宇田。まさかとは思うが、気付いていないのか。何故旭が始めて僅か2ヶ月で、あれだけの速さを身につけているのかを」
「ごめんなさい……」
怒られた訳ではないけれど、思わず謝った。椎奈が溜息を漏らす。
「旭は常に、加速魔術を使っている。いろいろ組み合わせを試しながらな」
「……は?」
口がぽかんと開くのを感じた。椎奈は構わず説明を続ける。
「加速魔術にもいろいろある。移動の速度を速めるもの、身体能力そのものを上げるもの、風に押させて勢いを増させるもの。旭はそれらを駆使して、本来の自身の能力以上の速度を得ているんだ。普通はそんな事をすれば体を壊すが、保護魔術も並列起動している」
……旭先輩……。道理でやたらと速いと思った。
でも確か加速魔術って、専門の訓練が必要とか、適正が無いと出来ないとか、魔術書には書いてあったんだけどなあ。
「古宇田も神門も、今まで私か旭、ヘラー、ガウスとしかやっていないだろう。今となっては他の奴らでは、遅く感じるのも当然。目が慣れてしまっているからな」
「……だから、妙に遅く感じたんだ……」
いつの間にか私の隣に来て一緒に説明を聞いていた詩緒里が、言葉を漏らした。椎奈が頷く。
「そうだ。そろそろ勝っても良いだろうと思ってやらせてみたが、……力不足だったな、彼らでは。動きを見極められるだけでは勝てないから、もう少し拮抗した戦いになると思ったのだが。2人とも、上達したな。未だ直す所はあるが、随分様になって来た」
思わず顔を見合わせる。詩緒里の顔が輝いていた。私も同じだろう。
訓練初日にも思ったけれど、椎奈に誉められるのは本当に嬉しい。滅多に誉めてくれないけれど、上達とかをきちんと評価してくれる。これからも頑張ろう、という気になるのだ。
「……さて、旭。私達もやるぞ。ああ、勿論加速魔術は無しだ。どれくらいの速度がついたか、見たい」
「……分かった」
文句を言わない旭先輩、凄い。魔術が使えるなら、わざわざそんな事をしなくたって……
「古宇田、常に魔術が使える状況で戦えると思うな。魔術を無効化する方法は存外に多い。それに、いくら旭が瞬時に魔術を展開できるとはいえ、その一瞬が命取りになる事だってある。剣術だけの実力を上げる事も必要だ」
顔に考えが出ていたらしく、椎奈に厳しい声で言われた。戦いに関して、椎奈は妥協しない。それもこの2ヶ月で骨身に沁みて分かった事だ。素直に頷く。
「はーい。で、私達はどうするの?」
「古宇田はヘラーと、神門はミュリエルとだ」
……やる気になったとはいえ、そろそろ辛いなあ。