シイナ
見慣れた天蓋が目に入る。自分が今異世界にいて、ここが城の中、己に与えられた部屋だと思い出すまでに、しばらくかかった。
肺が空になるまで、大きく息を吐き出す。腕で目を覆った。
「よりにもよって、あの夢か……」
昨日の夢宮の話、旭との会話が原因である事は間違いない。
「……師匠、何故あんな約束をさせたのですか」
もう届かない言葉を、幾度も重ねた問いを、口にする。
「あれさえなければ、私は——」
——あの後直ぐに、命を絶っていた。あれ以上の、犠牲を出さずに済んだ。
「…………」
もう1度息を吐き出す。忘れたはずの感情が込み上げるのを押さえ込み、再び胸の奥に何重にも鍵をかけてしまい込んだ。
ゆっくりと身を起こす。普段起きる時間を随分過ぎている事に気付き、たるんでいる自分に舌打ちした。
「……師匠。これは、警告、ですか」
旭を受け容れている私に、旭に近付きすぎている私に、このままでは彼も同じ末期を迎えるという、警告。
——否、これは古宇田達にも言える事だ。
「……ソレに近づいたものは、不幸になる。ソレは、災い。ソレに近づいてはならない、心を向けてはならない。近づけば、心を向ければ、災いが降り掛かる」
忘れぬように、もう1度口ずさむ。旭の優しさに甘えて忘れかけていた、戒めを思い出す。
「——私は、シイナ。名前も過去も、捨てたんだ」
自分に言い聞かせる。その意味を、重要さを心に再び刻み、2度と気の迷いを起こして言の葉に乗せないように。
言葉にすればそれは、容易に今の私と結びつき、全てが台無しになるのだから。
「過去を捨てるのと、忘れるのは、違う。忘れて、同じ事を繰り返すわけにはいかない」
魂に刻み込む。
そうして、新たに誓う。もう誰も、傷付けない為に。
「師匠。私は、師匠の教えに逆らいます。——私は、彼らを守る為ならば、私が傷付く事を厭いません」
彼らの命が危機に晒されている時に、自分を守ったりは、しない。そんなもの、何の役にも立たない。
「……私はもう、シイナの巫女でしかありません」
椎奈は、登録上の当て字だ。シイナと呼ばれる方が、真に近い。
シイナの巫女——弑名の巫女。
名を弑し、過去を弑し、人の振りをする化け物。禁忌を犯して巫女という仮の肩書きを持つ事で、人の中に紛れる化け物。
……そう。旭が何と言ってくれようと、怒ってくれようと。私は——化け物だ。
名もないモノが、人であろうはずもない。
「……そもそも私は、名を捨てる前から、師匠の教えを守れるような、守る事を許されるような、立派なモノではありませんでしたが」
自嘲を漏らし、勢いをつけて立ち上がった。手早く身支度を整えて、ドアへと歩み寄り、ノブに手を伸ばした。
『……――』
不意に声が聞こえた気がして、振り返る。勿論、何もいなかった。
「……何を血迷っているんだ」
頭を振って意識を切り替え、私は、覚悟を新たに部屋を去った。
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『……どうか、――の定めを――』
その言霊を聞く事が出来たのは、ただ1人。
その願いを、叶えられる、のは―――