持て余す感情
訓練が終わり、寝台に身を沈めた私は、深い溜息をついた。
「……何を考えているんだ」
溢れるのは、今まで抑えていた苛立ち。
私の居場所を探そうとする必要など、無いだろうに。わざわざ古宇田達を夢殿に呼び出してまで私の事を調べ、挙句の果てに2人に保護の術を施した。旭に至っては本気を出して保護の術を掛けた上、自分が神から受けた保護を分け与えている。——あれほど、関わるなと言ったのに。
「お前と私の縁は、4年前に切れたんだ。まだ分からないのか」
この場にはいない夢宮に語りかける。届かないと分かっていても、言わずにはいられない。
早く、私の事なんて忘れてくれと。
「……お前はお前の生を歩めと、何度言わせれば気が済む」
もう夢宮が、私に振り回される必要など、どこにもないのだ。
「……私はもう、お前の――」
その時、部屋のドアがノックされた。身を起こす。旭の声。
「入っていいか」
「ああ」
答えると、旭が入って来た。
私を真っ直ぐ見つめて、問いを投げ掛ける。
「夢宮は、椎奈の何なんだ」
旭が今朝の説明に納得していないのは分かっていた。だが、ここまで食い下がるとも思っていなかった。意外に思いつつ、今朝と同じ言葉を繰り返す。
「言っただろう、同業者だ」
「それだけか?」
「他に何があるというんだ」
言い返すと、旭が押し黙る。ゆっくりと言葉を選ぶようにして言った。
「夢宮は、ある願いがあると言った。その願いを、俺が叶えられるかもしれないとも。間違いなくお前に関係のある事だろう。——願いとは、何だ」
その言葉に、目を伏せる。
願い。それが何かは、分からない。けれど、その言葉から分かる事は、ある。
——あいつは、まだ私に――
「椎奈」
旭が私に答えを迫る。仕方なく、ほんの少しだけ真実を告げる。
「願いが何かは、私にも分からない。——夢宮とは、過去に、少しだけ関わりがあった。そして前にも言った通り、あいつは私を人間扱いして生き残った2人のうちの1人。死者に思う所はあるようだな」
「死者に、では無く、椎奈に、だろう」
ありえない。はっきりと首を横に振った。
「それはない。夢宮は私に恨みこそあれど、その他に何らかの感情を持つ事などあろうはずもない」
私は、あいつの大切なものを、ことごとく奪ったのだから。
それにも関わらずあの馬鹿は、私に関わるものを守ろうとする。自分だけが生き残った罪悪感なのか、私に関心を持った者に、夢殿で私に近付くなと警告をして、災いが降り掛かるのを防ごうとする。
——そうして私に関われば、自分の周りの人間に害が及ぶと、分かっているはずなのに。
「——「神に愛されし者」。これは、どういう意味なんだ」
旭はそれ以上夢宮との関係について問いかける事無く、別の問いを口にした。
「言葉の通りだ。生まれながらにして神の祝福を受け、神の加護を得、神の力を借りる事の出来る者。妖も、夢宮に手出しは出来ない」
だからこそ、私が彼にもたらすはずの災いは、彼の大切な存在へと飛び火する。
それでも、私からある一定以上離れようとしないのは、おそらくは、――の遺志。
「夢宮が名乗らないのは何故だ」
「夢殿で名乗るのは、自分の情報を曝け出すのと同義だ。特に、夢見を前にしている時は。夢見にとって、夢宮の情報は喉から手がでる程欲しいものだから、肩書き以外は名乗れはしない」
「古宇田達にも、か?」
「ああ。名乗った、という事実自体が、危険に直結するからな」
「——そうか」
旭は頷いて、背を向ける。そのまま部屋を出て行きそうな様子だ。
「……もう良いのか?」
拍子抜けしてつい問いかけて、私は私を疑った。
何を考えている。何故、折角終わった追求を続けさせようとする。私に過去は無い。あってはならない。だから、これ以上過去を問われない事を喜ぶべきだ。
それなのに、何故――
「言っただろう。椎奈がどんな過去を抱えていようと、俺は構わない、聞こうともしないと。椎奈が言いたくない事を、無理に言わせるつもりはない」
旭が背を向けたまま返した言葉を聞き、胸が痛んだ事に、戸惑う。
ここは、安堵すべき所だろう。何故、旭が私の過去に興味を示さなかったからと言って、こんな気持ちにならなければならない。追求されない事自体、私が旭を受け容れた理由の1つだったはずなのに、何故、追求されなかった事に、不安を感じるんだ。
「……夢宮と私の師匠は、同じ人物だ。私達は、共に修行を受けた」
戸惑いが、不明瞭な感情が、私の判断を鈍らせてしまったのか。気が付くと、私はそんな事を口走ってしまっていた。
旭が振り返る。驚いた顔をしていた。顔を背ける。
「——すまない。忘れてくれ」
半ば頼み込むように言った。
「椎奈」
呼ぶその声に抗えず、視線を旭に戻す。
——私を見つめる、旭は。いつか見た優しい光を、その瞳に宿していた。
「話してくれた事、感謝する」
それだけを言って、旭は、部屋を出て行った。
呆然と、その扉を見つめる。言葉が漏れた。
「感、謝……?」
意味が分からない。どうしてそんなに優しい目で私を見る。言ってはならない事を言った私に、旭を更に危険に晒す真似をした私に、どうして感謝する。
——どうして、彼の目に、言葉に、私は喜びを感じている。
旭の心どころか、自分の心すら理解できない。こんな事、今までなかった。
私の心は私のものだ。いつも制御して来た。感情に振り回される事も、理性が判断した行動を——それがどんなものであろうと——とる事に躊躇う事も、なかった。
それなのに、何故今になって。私は、私を見失うのか。
これから先、旭は私のせいでより危険に晒されるというのに。旭を守る為には、これまで以上に慎重な判断が必要だというのに。どうして今になって、彼の為を思う判断を、感情が乱すんだ。
これは、旭だけの問題ではない。捨て去った過去を拾い上げる事は、私に関わる全てのものにとって致命的だ。この3年間で積み上げて来たもの全てを失いかねない。
そんな事、分かりきっているのに、何故私は。
——旭に話してしまった事を、それほど後悔できないんだ。
混乱したまま横になった私は、随分と長い間、眠る事が出来なかった。