夢宮
「……古宇田、神門。夢見というのは、知っているか?」
朝食後、椎奈が何の前置きもなしにそう尋ねて来た。
「うん、夢宮が説明してくれたよ。夢殿に自分の意志で行ったり、夢を渡ったり、未来を視たりできる人でしょう?」
椎奈が頷く。
「そうだ。夢見はさほど珍しくもない。霊能者なら、ある程度意味のある夢——未来についての警告である事が多いが——を視る。それが強くなったのが、夢見という訳だ。——そういう私も、夢見だ」
「えっ、そうなの?」
素っ頓狂な里菜の声に、椎奈がまた頷く。
「その力を使う事は然程無いが、夢見同士情報を交換する事はある。情報漏洩の可能性が低いからな」
「……確かに」
あの夢殿で、盗み聞きは難しいと思う。
「椎奈、夢宮って、夢見と何か関係があるの?」
話の流れからそう感じて訊くと、椎奈はゆっくりと答えた。
「……夢宮は、夢見を統率する役割を持つ、夢殿の維持者にして管理者だ。あの場に訪れるものを監視し、悪しきものが夢を利用して人に害を与えるのを防ぐ」
……ものすごく偉い人みたい。あんなに生意気な口をきいて、よく無事だったなあ……。
里菜も同感だったらしい、こめかみに冷や汗をかいている。
私達の様子に気付かないまま、椎奈が続ける。
「私は巫女としての役割上、夢宮と多少関わりがある。夢殿は、神のおわします世界とも繋がっている。神に仕える身である巫女と、神の世界に繋がる場を守る夢宮が協力するのは、不思議では無いだろう」
椎奈が初めて「巫女」としての自分について語った。思わず息をひそめる。
「……私達の立場は対等だ。夢の世界と、現実世界。両方の世界の平和が保たれる事で、神は正しく祀られる事となる。どちらかが欠ければ均衡が崩れ、神を宥める事が出来ず、天災が起こる事となる」
「だから、早く帰って来いなんて言っていたんだ……」
私の呟きを耳にして、椎奈が顔を顰めた。
「まあ、そうだろうが……実際、私がいなくてもさほど困りはしない。あいつも日中は現実世界で生活をしているんだ。大禍時に妖を祓い、夜に夢殿の監視をする。夢宮1人で十分果たせる仕事。それなのに、いちいち私に仕事を持って来るんだ、普段は。たまには1人でやるのも悪くはないだろう」
さらりと出てきた言葉に、思わず耳を疑う。
——椎奈が、仕事を押し付けた?
いつもは何でも1人で抱え込むような椎奈が、ごく当たり前といった様子で、夢宮が仕事を持って来る事に文句を言い、1人でやるのも悪くないと言った。あり得ない光景だ。
里菜は勿論、旭先輩まで僅かに驚いた顔をしている。
「何だ?」
3人にまじまじと見つめられて、椎奈が目を瞬いた。
「椎奈が他人任せにするのは、珍しい」
旭先輩が代表して私達の意見を口にすると、椎奈は一瞬虚をつかれたような顔になる。けれど、直ぐに納得した様子を見せた。
「ああ、言っていなかったか。私が妖を祓うのは、私自身が狙われるというのは別として、全て夢宮から回って来た仕事だ。夢殿から妖の動向を視て、神に悪影響を及ぼす恐れがあると判断した時、私に連絡して来る。だが本来は、それを祓うのも夢宮の仕事。私が協力しているのは単に、協力の報酬として手に入る情報の為だ。夢宮の立場上、夢殿で交わされる会話や訪問者の素性などから、有用な情報を多く手に入れる事が出来る。それを貰う対価として、妖を祓っているんだ」
「それは……協力って言わないんじゃ……」
里菜の呟きに、椎奈が首を振る。
「貸し借り無しの関係だ。ビジネスだって、協力と言いつつ金のやり取りをするだろう。それと同じ。……大体、巫女というのは神に仕える身。常に身を清めていなければならないというのに、妖と命のやり取りをして妖気に触れているというのは、本末転倒だ。私は元々術師だったから、特例的に妖の討伐を行っているが」
「いろいろ複雑だなあ……」
そう漏らすと、椎奈が肩をすくめた。
「仕事が倍になれば、早く帰って来いというのも無理は無いのだろうが。まあ、夢宮は優秀な術師だ。問題はあるまい」
椎奈の説明は、尤もらしいものだったけれど。その言葉は、やっぱりいつもの椎奈らしくない気がする。
「……ねえ、椎奈と夢宮、立場は同じって言ってたけど、どっちが強いの?」
里菜の問い掛けに、椎奈は即答した。
「夢の中で夢宮に敵うものはいない。普段は抑えているが、あいつが本気を出せば、私には太刀打ちできない。現実では……五分といった所か。やり合った事が無いから分からないが」
「すご……」
里菜が唖然と呟く。その気持ち、よく分かる。椎奈より強い人がいるとは思わなかった。
「……現実世界では、夢宮との関わりはないのか?」
旭先輩の言葉。普段より、ほんの少し声が低い。あれっと思った。
——旭先輩、もしかして……
「無いな。というより、なるべく関わらないようにしている。あくまで、同じ術師として関わるだけだ」
椎奈が否定の言葉を口にしたけれど、旭先輩は椎奈を見つめたまま。変わらない椎奈の表情から、何かを読み取ろうとするように。
里菜と、顔を見合わせた。里菜の目が輝いている。
私が何か言う前に、里菜が口を開いた。
「でもその割に、椎奈、夢宮に詳しいね。夢宮も結構詳しそうだったし」
——里菜の命知らず。
多分旭先輩は、夢宮を意識している。夢宮の様子を見ていれば、夢宮が椎奈に思い入れを持っているのは直ぐ分かる。だからこそ、椎奈と夢宮の関係が気になるんだろう。
はっきりとした形を持っていないその感情は、多分――嫉妬。
旭先輩、自覚も無いだろうけれど、椎奈に詳しい夢宮が、ちょっと気に入らないみたい。
……でも、だからといって、ここで聞かなくたって良いのに。
里菜が期待したような反応は、見られなかった。
「——夢宮が、私の事について、何か言ったのか」
不意に雰囲気が変わった椎奈が、険しい顔で私達を問いつめる。
突然の豹変に、触れてはいけない事だったと、気付いた。
「……ううん。自分からは何も言えないって。ただ、詳しそうだなって思っただけ」
少し怯えの混ざった声で、里菜が答える。
椎奈は里菜の目をしばらく見つめると、嘘が無いと判断したのか、旭先輩に目を向けた。
「俺も聞いていない。自分が1番詳しいだろう、とは言っていたが」
「——そうか。なら良い」
椎奈はひとまず納得した様子で頷いた。
——その様子から、ああ、椎奈はやっぱり、自分の事を知られたくないのかと、悲しくなった。
そんなに、私達の、旭先輩の事……信じてないのかな。
「ああ、あいつが私に詳しいのは、その夢宮としての仕事上、夢殿から情報を得ているからだ。夢殿で夢宮に会うという事は、ある程度情報を曝け出しているのと同義。あいつがその気になれば、生い立ちなど簡単に探る事が出来る」
旭先輩の無言の問い掛けに、椎奈が答えた。そこに、やましい様子とかは全然見えない。少なくとも、嘘はついていないと思う。
けれど——まだ何か、隠している気が、した。
「……椎奈と夢宮の使う術は、随分似ている。霊力の質もだ」
旭先輩が淡々と言った。それを聞いて、椎奈が肩をすくめる。
「夢宮が扱うのも方術や仙術。そして先程言った通り、互いに神に関わる身。似ているのも無理は無いな」
旭先輩が目を細めた。まだ納得いかない様子だけど、それ以上は何も言わなかった。
「……さて、説明はこの位で良いな。そろそろ、訓練場に移動する時間だ」
そう言って椎奈が、着替えるべく部屋へと向かった。不自然な様子では無いのに、逃げたように思えるのは……旭先輩の様子のせいかな。
それとも、私の感じている、得体の知れない予感のせい、かな。