魔術講義
椎奈達が部屋に戻ってきたのは、時間ギリギリだった。
「遅くなった」
表情1つ変えずに謝る椎奈。後ろの旭先輩も、何も言わない。
「ううん、どうせ私達寝てたし。馬に蹴られる気は無いし?」
里菜が楽しそうな口調で言う。ほんの少しだけ強張っていた空気が、あっという間に霧散した。こういう時、里菜は凄いなあ、と思う。
「……この世界で、私はまだ馬を目にしていない。古宇田は見たのか?」
けれど、大真面目に聞き返す椎奈に、里菜は肩を落とした。余りにも脱力しすぎて、里菜の言葉を聞いた時、ほんの一瞬だけ旭先輩が動揺したのにも気付いていない。いつもなら、絶対食いついていただろうに。
その時、ノックの音が聞こえた。旭先輩がドアを開ける。サーシャさんだった。
「魔術の練習の場へとご案内致します」
サーシャさんが案内してくれた部屋は、凄くシンプルなものだった。丁度教室くらいの大きさの部屋で、一番奥に机がある程度で、家具とかは全くない。部屋の中心には、大きな丸が描かれていた。
「魔法円か。魔法陣を使う魔術の練習にも対応出来ているという事か。良い部屋だ」
「恐れ入ります。……ところでシイナ様、皆様だけで練習するとの事でしたが、本当によろしいのですか? せめて、魔導士の方位——」
親切心で心配してくれるサーシャさんの言葉を、椎奈が途中で遮る。
「不要だ。昨日借りた本の知識は既に頭に入っている。この世界の魔術について、ほぼ把握したと言っていい。何なら、始めに古宇田達に説明する所だけここにいるか? 不足が無いかどうか、見極めれば良い」
それを聞いたサーシャさんが、困ったように考え込んだ。
サーシャさんが言いたかったのは、私達の魔術指導に人がいるのではという事だと思う。知識があるから要らないって事は……椎奈は、知識だけでこの世界の魔術まで使えるようになったのだろうか。
「……そうですね、我が国の魔術は特に奥が深いですから、いちおう拝聴させていただきます。ただし、私では力不足ですから、元々皆様に付けられていた魔導士の方でよろしいでしょうか?」
しばらく考えた後に出された提案に、椎奈は素っ気なく頷く。
「構わないが、呼ぶなら急いでくれ。時間が惜しい」
「ご心配には及びません」
椎奈の言葉に応えたのは、70歳くらいのおじいさんだ。部屋に描かれた円——椎奈の言葉を借りれば、魔法円——の真ん中にいつの間にか現れていた。
椎奈は少し感心したような表情を浮かべて、おじいさんを見つめている。
「お初にお目にかかります。この国の一級魔導士、ヴァリオ=メレリと申します。どうかお見知り置きを」
丁寧に一礼するおじいさん。ちょっとだけ口調がわざとらしい。私達が孫くらいの年齢だからだろう。
「リナ・コウダです。初めまして」
「シオリ・カンドです。よろしくお願いします」
「キョウヘイ・アサヒだ」
「シイナ」
私達の自己紹介——じゃなくて、椎奈の自己紹介を聞いたヴァリオさんの目がすっと細められた。
「……真名を名乗られないとは……身から放たれるお力と言い、かなりの魔術師でいらっしゃるようですな」
「ほう、この世界でも真名に拘るのか。私のはそこまで深い意味はないから気にするな。そもそも、私は魔術師ではない」
ヴァリオさんのどこか挑発的な言葉を、椎奈は軽く流す。
「さて、メレリ。始めても良いか?」
「……どうぞ」
何だか疑わしげな目で椎奈を睨むヴァリオさん。どうも、椎奈を警戒しているみたい。
「まず、この世界の魔法と呼ばれるものは、3つに分類されている。使う者が1番多いのは精霊魔術。この国で使われるほぼ全ての魔術がこれに分類される。この世界の森羅万象の力を借りて、世界に干渉する。己の魔力を対価に支払ってな。火、水、木、風、雷の5属性だ。稀に光や闇を操る者もいるらしい。杖を振る等の行動で体内の魔力を練り、呪文を媒介として魔術を発動する。その際、事象をイメージする力がかなり大きく影響するな。比較的理屈をこねずに使える魔術だ。ここまでは良いか?」
「大丈夫でーす」
「うん、ついていけてるよ」
里菜と私が頷く。端的で分かりやすい説明だ。
「それなりに複雑な理論の理解が必要ですが……」
ヴァリオさんが控えめに反論するも、椎奈は首を振る。
「魔術を使うのにはほぼ必要あるまい。知っておけば応用の範囲が広がりやすいが、想像力さえあれば何とかなる」
「確かに、間違ってはおりませんが……」
椎奈のやや強引な考え方に、ヴァリオさんが苦笑した。
「次にいくぞ。と言っても、ここからは昨日少し説明したな。次は理魔術。私達の世界で言う、西洋魔術の事だ。大規模魔術に多く見られる。召還魔術やヘラーの使った防御魔術も理魔術。精霊魔術と同じように杖を振って呪文を唱える事もあれば、魔術を発動させる場所に直接魔法陣を描いて、そこに魔力を流し込んで魔術を発動させる事もあり、象徴となる道具を用いて特定の魔術を発動させる事もある。儀式として供物、つまりは対価となるものを捧げ、森羅万象の力を使う事も可能だ。かなり理論に精通していなければ使いこなせない為、どうしても使える魔術の数が限られる魔術師が多い。理論自体も複雑だ。私達の言う科学の知識も必要になって来る。理詰めで世界に干渉しようというのだから、当然と言えば当然なのだが」
椎奈の説明に、思わず里菜と顔を見合わせた。ヴァリオさんが何も言わない所を見ると、間違ってはいないのだと思う。
——でも。
2人同時に旭先輩を見やった。旭先輩は視線に気付いたのかこちらをちらりと見たけれど、何も言わずに視線を椎奈に戻す。
そう。旭先輩は呪文を使う事もなければ、何か動作が伴う訳でもない。魔法陣も描かないし、何か持っていた所も見た所はない。ただ視線を向けるだけで魔術を使っている。
……そう言えば椎奈、訓練の時「余り目立つな」と言っていた。「詠唱の真似事くらいしろ」とも。つまり、旭先輩の魔術の使い方は特別なのかな?
「さて、次に進んでいいか?」
椎奈が私達を見て聞いた。慌てて頷く。椎奈は何事もなかったかのように話を再開した。
「最後の魔術、神霊魔術。私達の世界で術と呼ぶものだ。儀式の際の魔術がここに分類される。前の2つとは随分性質が異なっている為、精霊魔術と理魔術を1度に修める事は出来ても、理魔術と神霊魔術を1度に修める者はほとんどいない。アドラスは特別という事だな。神霊魔術は印を組む。……ああ、アドラスは杖を使っていたから、杖でも出来るようだな。あとは言霊。祓詞だったり祝詞だったり、まあいろいろある。神籬と呼ばれる依代を使って神を迎える事も出来る。浄化の性質を持つものが多いな。私の国では式を使う事が多い。神に近いもの——この国では神官だな——が扱う魔術だ。ただし、呪術も多い。こちらで言う、方術の流れだがな」
少しだけ追加説明をさせて下さい。
ここで使う言葉や魔術は、かなり作者の創造が入っています。決して現実の魔術に即してはおりませんので、「違う!」とか言わないでいただけると嬉しいです。
言葉もです。例えば、魔法円と魔法陣は本来同じものですが、分類上、円のみを魔法円、完成したものを魔法陣とさせていただきました。
魔法円は、魔術を使う上でイメージの補助になる為、練習の時に使えるという事にしました。
こんな所で設定を作るのもどうかと思うのですが、本編には書けそうにもないので…作者の非力をお許し下さい。