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初めて知る感情

 数多く存在する魔力の流れの中から旭の霊力を探し出し、歩調を早めて追った。旭はかなりの速度で歩いている。ほぼ小走りで追って少しずつ距離を縮めていくその途中で、旭の行き先は大体見当がついていた。


 裏庭の奥、常緑樹の森の中。そこで旭に追いつく。もう私の気配に気付いているであろう旭は、しかし立ち止まる事無く、森の奥深くへと入っていく。

 15分程歩いただろうか。城からの目が完全に届かない所まで来て、旭はようやく立ち止まった。そのまま、近くにあった切り株に腰掛ける。



「旭」



 呼びかけに、返事は無い。構わず近付き、旭の隣に座った。隣―つまり、互いの表情が見えない位置に。


 そのまましばらく、自然が奏でる音楽に耳を傾ける。私は別に自然美を愛でるような感性など持ち合わせてはいないが、こういう場所は気が澄んでいる。普段から邪気や鬼気や妖気や瘴気に晒される事の多い私にとっては、身を清められるような気がする空間だ。素直に安らぐ事が出来る。


 それに——こういう場所は、名と共に過去を捨てた私に、ほんの少し、郷愁を感じさせる。


 旭もまた、こういう場所が好きだ。私のように郷愁を感じるのだろう。——郷愁と言っても、私とは随分異なるものだが。



 互いにしばらく澄みきった気を浴びた後、私は静かに口を開いた。



「らしくないな、旭。旭は他人に期待をしない。他人に期待をしないという事は、誰が何を言おうと何をしようとどうでも良いという事。その旭が他人、それもあんな戯けの寝言にあれほど怒るとは、夢にも思わなかった」

「……お前は、何故平気な顔をしている」


 旭が怒りを抑えた低い声で、あのとき古宇田が遮った言葉を口にする。先程のように怒気を放つ事も無いが、未だ心中穏やかではないらしい。

 こちらに来てから、旭の意外な一面に驚かされるばかりだと思いつつ、あえて軽い口調で答えた。


「そうは言っても事実、私の霊力は規格外だ。旭だって、よく私の事を非常識だと言うじゃないか。旭は単に常識からずれていると認識するだけで終わるが、通常人間は常識が通用しない相手を気味悪がるもの。この世界に於ける人間の理から外れた存在が魔物と呼ばれても、何も不思議ではない」


 再び怒気を露にしだした旭に、私は肩をすくめる。


「ああ、旭は始めてだったか? 私が他の人間に、人ではないモノ扱いされるのを見るのは。そういえば以前の世界では、せいぜい妖が私を罵倒する位だったな。だが、私にとってはあれが日常だ」


 旭がこちらを向いたのを視界の端で捉えた。物静かな瞳が私の横顔を見つめているのを感じながら、淡々と言葉を紡ぐ。


「旭は、私を化け物じゃないと言ってくれた。だが、他者に災いをもたらすモノが化け物呼ばわりされるのは当たり前だ。化け物、妖、魔物、まあどう呼ぼうが自由だが、とにかく人の理に当てはまらないモノという事には変わりがない。旭だって、見る人が見れば、化け物の力を持つという事になるのかもしれない。だから普段は魔術の事を互いに隠しているわけだしな。ただし、私の場合は、旭のような「化け物と呼ばれる力」を持つ者達から見ても、化け物なのだが」


 内容だけ聞けば自嘲か同情を買う言葉と勘違いされそうだが、これが私の常識だ。今更この程度の事で傷つく心など、持ち合わせてはいない。


「お前は、」

「事実だ。私をある程度知った上で化け物と言わなかった人間は、いや、人間だけに限る必要は無いな。私というモノを知って化け物呼ばわりしなかった存在は、両手で数えれば指が余る程しかいない。そして、その中で未だに生きている人間は、たった2人だ。それも1人は、神に愛されし者。私のもたらす災いごとき、浴びる心配の無い人間だ。そしてもう1人は、今私の隣にいる。その事自体が、奇跡だ」


 未だに不安は消えない。いつかまた、私のせいで傷つくのではないかと。彼から全てを奪い、死に陥れてしまうのではないかと。どれだけ否定されても、大丈夫だと言われても、胸の奥でいつも不安は燻っている。


「私は化け物。それは、私の周りにいる存在にとっても、私自身にとっても、常識だった。それを否定した人間には、以前出会った。——だが、私が化け物と呼ばれて怒ってくれたのは、旭が初めてだ」

「……椎奈」

「正直、驚いた。旭が怒るという事さえ驚愕に値するというのに、その理由が、私が人扱いされなかったからだ、なんてな。本当に驚いた。そして、——本当に、嬉しかった」



 喜ぶ資格なんて無いだろう。桁外れの霊力を持つ上に災いをもたらす私を恐れ、弾劾しようとするのは、生存本能上、どうしようも無く正しい。他人が私を化け物と呼んだからって、それを責められる筈がない。責めていいものでもない。



 ——だが、それでも。旭の激昂が、どうしようもなく嬉しくて。こんな私の為に怒ってくれる人がいるという現実が、信じられなくて。旭を止めるのが遅れてしまう程、心が震えた。



 こんな時、どう言えば良いのだろう。嬉しさと、喜びと、この上ない安堵と。感じた事の無かった感情が胸の中で渦巻いている。どう言ったら、この感情を伝えられるのだろう。どうしても分からない。どれだけ考えても、思いつかない。


 だから、拙い言葉を精一杯紡いだ。不器用で、要領を得ない内容である事は分かっている。16とは思えない程稚拙なのも、重々承知だ。

 それでも、この想いを、ほんの一部でも伝えたくて。旭に、少しでも感謝を伝えたくて。今私に言える全てを、言の葉に乗せた。



 ——まだ、言霊を響かせる事は、怖くて出来ないけれど。いつかこの想いを伝えるのに相応しい言葉が見つかった時には、私はその言葉に言霊を込めてしまうのかもしれない。それがどれだけ危険な行為か、分かっていても、なお。旭を危険な目に遭わせてしまうとしても、旭に想いを伝えたいと願ってしまう気がした。それ程に、旭の怒りは、私の心を揺るがせた。



「……本当に、嬉しかったんだ」



 もう1度だけ繰り返して、私は口を噤んだ。少ししゃべりすぎたと気付いて恥ずかしくなったのがひとつ、感情が高ぶって、言葉に詰まったのがひとつ。



 しばらく、耳に入るのは木の葉の擦れる音のみ。

 黙ってそれに耳を澄ませる事しばしの間、小さな溜息が微かに聞こえてくる。



「……全く、お前は本当に――」



「……え?」

 旭の小さな呟きは、風に攫われて聞こえなかった。


「……いや、何でもない」

 小さく首を振って、旭は私の肩に腕を回してくる。その力に逆らわず、私は体を旭にもたせかけ、静かに目を閉じた。



 聞こえるのは、自然の音と、互いの呼吸と、触れ合う所から直接響き伝わる鼓動。感じるのは、今まで知る事の無かった温もりと、この上ない安らぎ。



 優しくて暖かい腕の中、自分が、どうしようもなく安心しきっているのを自覚しながら。私は、この温もりを失いたくないと、いつまでも彼の隣にいたいと、心から願った。


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