すれ違い
椎奈が戻るなり、旭先輩が目を鋭く細め、相変わらずの低い声で聞いた。
「……椎奈。まさかとは思うが、事ここに至って力の出し惜しみをするつもりではないだろうな」
旭先輩の剣幕に椎奈は小さく溜息をついて、あっさりと答える。
「本来、ここで力を見せるつもりは無かった。余り目立つのも好ましくないからな。だが、きちんと魔術は破るから安心しろ。私としても、この刀を使いこなせていないと見られるわけにはいかない。師匠の顔に泥を塗るつもりは無い」
そこで一旦言葉を区切り、椎奈は眉をひそめた。
「だが、旭。何を熱くなっている? ただ雑魚が吠えているだけだ、私達がいちいち相手をする必要はない。感情的になるなとは、旭の言葉だ」
「……椎奈は、何故怒らない」
旭先輩が、不自然に抑えた語調で尋ね返す。椎奈は怪訝そうな顔をした。
「言ったはずだ、雑魚の言い分、それも負け犬の遠吠えなど、耳を傾けるだけ時間の無駄だと。旭が熱くなるほどの価値など、あの戯けには無い」
「……お前は、」
「ねえ、椎奈。椎奈の師匠って、誰?」
いきなり割り込んだ私に、椎奈も旭先輩も面食らった顔をこちらに向けた。詩緒里でさえ、支持していいのかどうか迷ったような顔で私を見つめている。
詩緒里の言いたい事は、分かる。これは椎奈と旭先輩の問題だ。私が入る余地など無いし、邪魔をするのなんてもってのほかだろう。
けれど。今2人には、大きな認識のずれがある。少なくとも、旭先輩が怒っている理由を椎奈が分からなければ、旭先輩の想いを受け止め、宥める事など出来ない。だからといって、今ここ、旭先輩の前でそれを説明する訳にもいかない。だから、やってはいけないと分かっていて、割って入った。
「……刀の師匠も術の師匠も、同じ人物だ。私はその人から戦う術を全て学んだ。師匠を侮られるような真似だけは、するわけにはいかない」
面食らった顔のまま、椎奈が質問に答えてくれた。
「そっかー。凄い人なんだね。どんな人?」
今自分が出せる1番明るい声で聞いた。椎奈が困惑した顔で黙り込む。少しして、ゆっくりと答えた。
「立派な人物だった。実力も、その心も。師匠には、本当に多くの事を教えてもらった。——私には、それを全て学び取る事は出来なかったがな」
そう言う椎奈は、どこか遠くを見るような目をしていた。その目に映るのは——後悔?
その色に気付くと同時に、椎奈の言葉が過去形だった事に気付いた。つまり、その人は——
「シイナ様、お待たせしました。こちらの準備は整いました」
その意味を察すると同時に、アドルフさんが声を掛けてきた。
「もう良いのか?」
椎奈が振り返って、アドルフさんに尋ねる。アドルフさんは、「魔術師」の顔のまま、自信を持って頷いた。
「今の私が出来る、最高の防御魔術です。この国随一の神官にも張り合えるでしょう」
「アドラスに対抗できる魔術、か。大きく出たな」
そう言って椎奈は、刀を手に歩き出した。向かうのは、騎士さん達のいる先にある藁。
気負う様子も見せずに歩を進める椎奈に、私達もと付いていく。旭先輩は少し気持ちが鎮まったのか、雰囲気が普段のそれに戻り始めていた。
(里菜、凄い)
詩緒里の声が頭に響いた。すかさずユウの力を借りて、答える。
(あれで良いかは、分からない。でも、あのまま話を続けてたら、平行線だと思って。……でもその分、椎奈に余計な事思い出させちゃった気もする)
(え?)
(気付かなかった? まあいいや、後で話すよ。その前に、椎奈に四苦八苦して説明しなきゃだろうけど)
(そうだね)
詩緒里の苦笑混じりの返事が返ってきた時、椎奈が立ち止まった。つられて私達も立ち止まる。
「ほう、これは……。予想以上だな」
椎奈の口から感嘆の声が漏れた。旭先輩も、驚嘆の眼差しで藁の周りを見つめている。
藁を見てみる。ぱっと見、特にさっきと違うようには見えない。
だけど。何となくでしか無いけれど、言葉にならない、強力な何かが藁を守っている、そんな気がした。その何かは、儀式の時にエリーさんが見せたものに、どこか似ている。
「防御魔術には、自信があります。貴方がどれほどのものを考えていたのかは分かりませんが、この国随一の魔術師でも、これを破るのは苦労するはずです」
アドルフさんの言葉には、実際に戦って自信をつけた者特有の響きがあった。
「失礼した。どうやら私は、貴方を甘く見ていたようだ。……これは私も、態度を改めなければなるまい」
どこか楽しそうな声でそう言う椎奈の顔をちらりと見る。思わず息を呑む。
椎奈は、今まで1度も見た事の無い顔をしていた。好戦的な、強い意志の宿った顔。今まで見たどの顔よりも美しい。
「ヘラー。最後に2つ確認したい。まず、この世界でのこの刀の使用方法は、魔術を纏わせて、つまり、魔力を込め、振りながら魔術を放つというものだな?」
「……その通りですが」
唐突な問いかけに戸惑った顔のアドルフさん。何を今更って顔だ。
「そうか。ではもうひとつ。この刀、予備はあるのか? ……いや、違うな。今私が持つこの刀は、この城にある中で最も強度の低いものか?」
「何故、それを……?」
明らかに驚いた顔のアドルフさんを見て、椎奈が満足そうに頷いた。
「それを聞いて安心した」
そう言って、椎奈が刀を抜いた。藁を見据え、ゆっくりと構える。
「椎奈」
不意に、私の隣でその様子を見ていた旭先輩が、椎奈に声を掛けた。椎奈が目だけをこちらに向ける。
「壊すなよ」
その言葉を聞いた途端、椎奈がちょっと不満げな顔をした。
「それくらいの加減は出来る」
「そうか」
……何だか、聞いてはいけない事を聞いてしまった気がするのですが。
椎奈達の会話を聞いた騎士さん達は、馬鹿にしたような顔をしている。若造が粋がって、て感じ? アドルフさんは、余程信頼されているみたい。
アドルフさんは……表情が変わっていた。椎奈の様子に、何か感じたものがあるらしい。椎奈の構えを、食い入るように見つめている。
椎奈が藁に向き直り、構え直した。右手で刀を握り、左手は添えるように。背筋は真っ直ぐ伸びていて、体のどこにも無駄な力が入っていない。ほとんど素人の私が見ても、綺麗だと感じた。
椎奈が細く息を吸い込む。ブーメランもどきの剣を投げた時よりも、遥かに集中しているのが分かる。
不意に、不自然な風の流れを感じた。椎奈の周りの空気が震えているかのような、不思議な風。
それを見た途端、騎士さん達がざわめいた。誰もが驚愕の表情を浮かべている。
椎奈の持つ刀が、うっすらと青い光を帯びだした。祈り場で見たのと同じ光。
椎奈が息を止め、完全に静止した。緊迫した空気が闘技場を占領する。
次の椎奈の動きは、見えなかった。
風が引き裂かれるような音が響き、続いて突風が巻き起こる。思わず目を閉じた。
次に目を開けた時に見たのは、何事も無かったかのように構えを解いた椎奈と、粉々になって床に舞い落ちる藁だった。
「……思ったよりも良い刀だったな、これは」
椎奈がそう言って、手元の刀——の柄を見やった。よく見れば、椎奈の周りに小さな金属が散らばっている。
「壊さない程度に加減をするんじゃなかったのか?」
誰もが言葉を失う中、平然と掛けられた旭先輩の言葉に、椎奈が顔を顰めた。
「刀の事だったのか? 闘技場の事だと思った」
旭先輩が溜息をついた。
「予備の確認をしたから、嫌な予感はしていたが……」
「あれほどの防御魔術だぞ。この程度の刀、砕ける位魔力を込めなければ破れない」
「お、お待ち下さい! 今、何をなさったのですか!?」
ようやく言葉を取り戻したアドルフさんが、椎奈達の会話を遮った。椎奈が首を傾げる。
「見ての通りだ。刀に魔力を込めて魔術を発動し、貴方の魔術を破った」
簡潔すぎるその答えに納得できないらしく、アドルフさんがなおも言い募る。
「馬鹿な! 私が張った魔術は、多人数の魔術師から身を守る為のものです、それを刀の一振りで破ったと?」
「見れば分かるだろう、そんな事。他に何かやったように見えたか?」
私は何も見えなかったけどね。
「まあ、やり方はどうでも良い。それで? 私にこれの——と言っても、替えを貰わねばならないが——使用を認めるのか、否か?」
実にどうでも良さそうにアドルフさんの追求をあしらうと、椎奈は刀の使用の是非を訊いた。
「……なあ、姉ちゃん。姉ちゃんホントに、16か?」
セヴェリオさんが恐る恐る尋ねたその内容に、椎奈が眉間に皺を寄せる。
「私の国では一応、女性に年齢を聞くのは失礼に当たるのだが……まあ、その通りだ。それでヘラー、どうするんだ?」
「女性」の下りで地味に驚く騎士さん達を無視して、椎奈がアドルフさんに重ねて問いかける。
それを受けたアドルフさんは、いきなり姿勢を正し、騎士の礼をとった。
「今までの度重なる無礼、誠に申し訳ありませんでした。シイナ様は間違いなく、この刀を使うに相応しい方。どうぞお使い下さい」
「理解してもらえてよかった」
椎奈が肩の力を抜いた。余程あの刀に拘りがあるみたい。使えると分かって、明らかにほっとしている。
これでこの場は収まった、と誰もが思った。