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激怒

 その時、部屋の温度が急激に下がった、気がした。冷気の出所は、間違いなく私の後ろ。


「……剣術の鍛錬を行うと聞いてきたのだが、私の記憶違いだったか? 魔術の使えない者相手に中級の火属性の魔術を使うとは、随分紳士的だな」


 冷気の出所が、ドライアイスよりも冷ややかな声で語りかけた。ゆっくりと気配が近づいて来るのが分かる。

 騎士さん達と一緒にそのまま固まっていると、冷気が直ぐ横で立ち止まった。横目で見て、直ぐに目を逸らす。



 私は思う。魔物も魔王も怖くない。そんなよく分からないものより、今の椎奈の方がよっぽど怖い。


 椎奈は、薄く笑みを浮かべていた。椎奈は普段、笑顔を浮かべない。椎奈が笑ったらさぞかし綺麗だろうなって思っていたけれど、これなら無表情でいてくれた方が良かった。



「私は王に伝えたつもりだったのだが。こちらに危害を与えようとした場合は、容赦しないと。ああそれとも、ここの訓練では、相手に殺傷性の高い攻撃をするのが常識なのか? それなら私も認識を変えるべきだな」


 優しげに紡がれる言葉に、返事は無い。それはそうだろう、今何か言える人物なんて、私は1人しか知らない。



 その1人を振り返って、後悔した。光速で前に向き直る。詩緒里の縋るような視線が追いかけてきたけれど、私にはどうしようもない。


 旭先輩の目が、凶眼と化していた。苛烈かつ物騒な眼光が、騎士さんを真っ直ぐ射抜いている。椎奈を止めるどころか、一緒になって攻撃しかねない様子だ。



 何でそんなに怒ってるの!?



 詩緒里と同調して、心の中で叫ぶ。

 前に私達が危なかった時、旭先輩は椎奈を止めた。あの時は冷静そのものだったのに、何故か今は怒り絶頂。

 椎奈の気配だって、殺気では無く、冷気だ。相手が弱く——私でも何とかなるんだもん、激弱だよね——危険性が低かったからだと思う。

 にも関わらず、旭先輩は今まで見た事の無い、強い怒りを見せている。 



(……リナよ。アサヒ殿は、先程の騎士の発言以来、ずっとあの様子だ)


 何で何でとパニクっていた私に、ユウが語りかけてきた。騎士さんの発言?

 大急ぎで記憶を巻き戻す。呪文を唱える姿、十字を切る姿、私に悪態、走って来る所、椎奈に——


(……もしかして、椎奈に「得体の知れないガキ」って言ったから?)

(そうだ。「役立たず」と言った時点で少し不穏な気配はしていたが)


 やっぱり旭先輩も、椎奈を侮辱されたら怒るんだね……ちょっと感動。



 って、止める人無し!?



 そんな心の会話の間も、椎奈はゆっくりと足を進めている。全員凍り付いてて、このままだと騎士さんちょっと身の危険。

 決死の覚悟で止めるべきかと思ったその時、入り口から声が響いた。


「何事ですか?」


 アドルフさんだった。椎奈の冷気に怯えているのは見え見えだったけれど、それでも普通の感じで声を掛けてきているんだから凄い。


「大した事ではない。ここの剣術の訓練が、初心者に火属性の魔法を浴びせるようなものだと知り、認識を新たにしていた所だ」

 椎奈が相も変わらず優しい口調で答えた。普段の口調の方が怖くないのはどうしてだろう。

「……なんですって?」

 けれど、椎奈の優しくも底冷えする言葉に、アドルフさんの顔が一気に険しくなった。

「言葉の通りだ。先程彼が、古宇田に向かって中級の火属性の魔法を浴びせようとした。幸い隙だらけの雑魚だったから古宇田が防いだが、そのような訓練を行うのがここの常識ならば、私としても態度を変えねばなるまいと思ってな」

「……アーロン、それは本当か?」

 険しさを増したアドルフさんが、へたり込んだままの騎士さん——アーロンさんと言うらしい——に詰め寄った。


「何なら魔術解析を行ったらどうだ? 貴方ならそれが可能だろう」

 椎奈が淡々と言い重ねる。アドルフさんの対応がまともだった為か、冷気が随分と収まってる。


 アドルフさんは私を振り返った。問うような視線が送られてきたので、はっきりと頷く。

「この人最初、椎奈に切り掛かろうとしていて。私が薙刀で弾いたら、魔術を使おうとして来ました。咄嗟に吹っ飛ばしちゃいましたけど」

「……いや、寛大な処置、感謝いたします。本来なら、大怪我させられても文句は言えません」

 そう言って、アドルフさんが深々と頭を下げた。私と、椎奈に。

「この騎士団の隊長として謝罪申し上げます。あの愚か者にはきっちり言い聞かせておきます。本当に申し訳ありませんでした」


 ちらっと椎奈を見ると、既にいつもの無表情に戻っていた。静かに口を開く。

「今回は何も無かったから良いが。ヘラー、魔術は殺傷性が非常に高い。ああいう戯けにはしばらく教えない方が良いぞ。そんなものより、あの悲惨な剣術を何とかするべきだ」


 ……許してはいるんだけど、ものすごく辛辣な批評だった。まあ、お城を守る騎士さんが、私みたいな初心者にあっさり負けるのは確かにマズいよね。


「あ、私も別に良いです。魔術使おうとした時には焦りましたけど、防げる程度だったんで」


 これが詩緒里相手で、詩緒里が怪我していたとしたら、一切の情け容赦なくぶっ飛ばしていたけれど。……あ、いや。その人の命があれば、だけど。



「……椎奈、その刀の件はどうするつもりだ」



 その時、いつも以上に低い声が後ろから聞こえてきた。その声を聞けばまだあの目をしているのが容易に分かったので、絶対に振り向かない。


 旭先輩の声に、椎奈とアドルフさんが同時に振り返り、同時に驚いた顔をした。アドルフさんは怯えが多分に含まれているけれど、椎奈は純粋にびっくりしている。



 ——椎奈、気付いてなかったんだね。



「……ああ、そうだったな。ヘラー、私はこれを使うつもりだ。が、そこの戯けを含め騎士全員が反対しているようなのだが」


 未だ驚いた顔のまま、椎奈がアドルフさんに持っていた刀を見せた。いつの間にか鞘から抜かれていた理由は……うん、考えるまい。


「……貴方は、これが使えるのですか!?」

 更に驚くアドルフさん。椎奈が頷くと、少し考えた後、こう言った。


「それは確かに、この世界の人間にとって特別なもの。ですが、貴方がこれを使えるのならば、使うべきと思います」

「隊長! ですが……」

「黙れ」

 アーロンさんが非難の声を上げかけたけど、アドルフさんが一言で黙らせる。アドルフさんは真剣そのものの表情で椎奈に言った。


「ただし、ひとつお願いがあります。本当にそれを使いこなせるのかを、見極めさせていただきたい」


 椎奈が意外そうな顔をした。

「構わないが……、方法は?」

「私と手合わせ願いたい」

「断る」

 即答だった。アドルフさんの自信に裏打ちされた申し出を、椎奈は速攻で取り下げる。


「私は無駄な戦いを好まない。それに、私達は剣術の鍛錬をしに来た。なのに今日は素振りさえ出来ていない。私や古宇田はともかく、旭と神門は初心者だ。少しでも練習させたいこの状況で、模擬戦をしている時間など無い」

「ならば、それの使用は認められません」


 アドルフさんが、先程とは打って変わって厳しい目をして言った。どうやらあの刀は、余程特別なものらしい。それなら最初から選択肢から外しておけば良かったのに。無ければ椎奈だって諦めただろうし。


 アドルフさんの剣幕に、椎奈は溜息をついた。

「要するに、使えると証明すれば良いのだろう? ならば、あれを使おう」


 そう言うと椎奈は、さっき使った藁を指差す。


「ヘラー、貴方はあれに、貴方が出来うる限り最高の防御魔術を掛けろ。私がこの刀でそれを打ち破る。あの藁を切る事が出来たら、使いこなせると言っていいだろう」


「ちょ、ちょっと待て、姉ちゃん!」

 セヴェリオさんが慌てたように椎奈に声を掛けた。

「隊長は、この国でも5本の指に入る魔術師だ! それも、防御魔術は隊長の十八番! いくらその刀を使えても、魔術も使えない姉ちゃんが破るのは無理だ!」

「異世界から来た勇者と呼ばれているからといって、いい気になるな! 我々の与り知れぬものなどが、隊長に偉そうな口を叩くんじゃない!!」

 アーロンさんが同調するように続く。セヴェリオさんのは純粋な心配だったけど、アーロンさんのそれは嘲るようなもので。


 私なんかに負けたくせに偉そうな人だ。流石に腹が立ったから、一言言ってやろうと口を開く。



 その時、くっと低い笑い声が響いた。椎奈、ではない。



「……椎奈。そろそろその馬鹿共に現実を見せてやったらどうだ? 情報が漏れるのを恐れるのは良いが、実力が無いように思われると今後に影響する」



 憐れみさえ含んだようなその声に、ゆっくりと振り返った。

 振り返っちゃいけないって思う時に限って、首が勝手に振り返るって、ホラーとかでよく言うよね。私は初めてそれを体験した。



 「魔王」が、そこに立っていた。隣で詩緒里が泣きそうな顔をしている。こっちに逃げて来る事も出来ない様子だ。さしずめ、魔王に気に入られ囚われの身となった姫、といった所かな。

 盛大に現実逃避する私など歯牙にもかけず、「魔王」——旭先輩は、口元を僅かに歪め、先程よりも更に苛烈な光をその目に宿らせて、言った。



「アーロン、と言ったな。先程から随分と分かったような口を聞くが、貴様が何を知っている? 他人を侮辱するからにはそれだけの根拠があってしかるべきだが、貴様にそれはあるのか?」



 旭先輩が、いつもよりも遥かにゆっくりと言葉を紡ぐ。一言一言に、相手を黙らせるだけの威圧が込められていた。


 アーロンさんは、さっきの椎奈よりも遥かに濃密な怒気に当てられて、顔が蒼白になっている。アドルフさんも、今度ばかりは何も言えないみたいだ。

 勿論、椎奈の冷気にさえ凍り付いていた騎士さん達は完全に硬直状態。息を潜めて怒りが向かないように必死な様子が何となく伝わってくる。


 って、私も人の事言えないんだけどね……これ無理、ホント無理。



 で、肝心の先輩を止められる椎奈はと言うと……呆気にとられていた。どうして旭先輩がそれほど怒っているのかさっぱり分からない、といった様子。私でも分かるのに。



 旭先輩の言う分かったような口というのは、間違いなく「得体の知れないガキ」だの「与り知れぬもの」だの、椎奈への侮辱だ。つまり旭先輩は、アーロンさんが椎奈を侮辱したから怒っている。誰が聞いたってそれくらい分かる、のだけれど、肝心の椎奈がそれを分かっていない。



 今度こそ、止める人がいない。何かいい方法……あ、そうだ!


 急いでユウに話しかける。

(ねえユウ、椎奈とこうやって口に出さずに話できる?)

(……今なら届く、やってみよ)


 ユウの力を借りて、椎奈に話しかける。


(椎奈、聞こえる?)


 椎奈の腕が、ぴくりと動いた。

(古宇田か。どうした)


 通じた! ユウに感謝しながら、椎奈に話しかける。


(旭先輩を止めて。あのままだと攻撃しかねない)

(旭がそういう事をするとは余り思えないが……。そもそも、旭は何故怒っているんだ? 旭が怒っている所なんて、初めて見た)


 椎奈から届く声には、戸惑いと驚きが色濃い。私も初めて知った。椎奈って天然だったんだ。


(それを説明するのも時間が惜しいから、とにかく止めて!)

(どうすれば止まるのかもよく分からないが……、ともかく話を進めようか)


 相も変わらず困ったような響きで答えて、椎奈は声を張った。その声はいつも通り冷静。流石は椎奈だ。


「ヘラー、提案を受け容れるのかどうかは、貴方が決めろ。貴方が判断する事だ」


 椎奈の声に、アドルフさんが振り返った。未だ動揺しまくった顔だったけど、少し考えて頷く。


「……良いでしょう。私は、その刀を使いこなせるかを見たいだけです。シイナ様は異世界の方。我々の常識を押し付けるのも筋違いだ。たとえ魔術が破れなくても、刀の扱いが完璧ならば、認めましょう」

「随分と寛大な判断だな。まあ良い。ただし、防御魔術は手抜きをしないでくれ。どれだけ時間をかけても良いから、貴方の全力で藁を守れ」

「……分かりました。今まで部下がさんざん無礼を働いたお詫びとして、私の最大級の誠意を見せましょう。このままでは近衛騎士団として、余りに恥晒しだ」


 そう言うと、アドルフさんの顔つきが変わった。今までは「隊長」だったのが、1人の「魔術師」になった。そんな感じだった。


「10分程いただきたい。魔法陣を使う為、そのくらいの時間を要します」

「分かった」


 椎奈が頷いたのを見て、アドルフさんが作業に取りかかる。何事か呟きながら、藁の周りに線を引き始めた。


「戻ろう。魔術を使うのをじろじろ見るのは、無作法だ」


 椎奈が私にそう言って、旭先輩達に近づいていく。その勇気に尊敬しながら、椎奈の後に続いた。詩緒里が、明らかにほっとした表情を浮かべている。


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