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新たな決意

 2人が出て行った後、気まずい沈黙が訪れた。


「椎奈」

 そのまま読書に逃げ込もうした所で旭に呼ばれ、諦めて顔を上げる。

 私の目を真っ直ぐ見据える旭の目には、怒りも失望も無い。そこにあるのは、ただひたすらに冷静で、真摯な瞳。


「俺は言った。俺はお前が何者であろうと構わない、お前に近づく事で起こるであろう全てを受け容れようと。その上で、お前が欲しい、俺は決して消えたりはしないと。椎奈もそれを受け容れ、側にいると約束した。違うか」

「……違わない」


 2ヶ月前に言われた言葉だ。忘れる筈が無い。いや、一生忘れる事は無いだろう。

 その言葉に、その強さに、その真摯な想いに惹かれて、私は旭の側にいると約束した。それが彼を地獄に突き落とす所行だと、分かっていたのに。


「約束を破る気など無い。お前が抱えているものなど、俺は知らない。それで構わない、無理に聞こうともしない。だから、……約束などするのではなかったなどと、言うな」

 諭すように静かに言われて、堪えきれずに俯いた。



 薄々は勘付いているだろう私の過去を、それでも聞こうとしないというその優しさに。冷静さを失いかけた時、止めてくれるその手に。旭が与えてくれる全てに、際限なく甘えてしまっていると、自覚している。


 分かっている。約束にしがみついているのは、私の方だ。



 ——それでも。



「……怖いんだ」



 漏らすのは、消えない感情。



「消えないと、言ってもらっても。いつか、旭がどうしようも無くぼろぼろになって、消えてしまうのではないかと」


 彼の言葉を信じると決めたのは、私なのに。己の背負う業の深さが、彼を飲み込んでしまいそうで。


「旭は、怖くないのか? こんな化け物と一緒にいて。いつ命を奪われるか分からない日々を、送っていて。こうして巻き込まれて、禁忌まで犯す羽目になって。……これからも、何があるのか分からないのに」


 離れてしまえば、旭は、こんな目に遭う事は無いのだ。



「私さえいなければと、私から離れたいと、どうして思わない」



 答えを聞くのが、怖い。顔を上げる事が出来ない。

 目を閉じる私の耳に、静かな声が滑り込んだ。



「俺は、お前と共にありたい。その為なら、どんな代償を払っても惜しくない」



 その声が紡ぐ言葉は、独りでいるべきだ、彼から離れるべきだという決意を揺るがせて。胸の奥で、何かが動いた。



 それは、ずっと前に諦めたもの。——他者を求める心。



「生きるというのは、それ自体がリスクだ。人はそのリスクを意識しないが、常に危険に晒されているのは誰もが同じ。俺は、椎奈と共にいる事で、それが少し顕著なだけだ。怖がる理由など、無い」



 迷いの無いその言葉に、顔を上げる。旭の目を見て、どきりとした。


 深い湖の水面のようなその瞳に、微かに見えるのは——虚無。


 旭と出会った頃、よくその感情が彼の目に現れていたのを思い出す。いつの間に、彼はその色を映さなくなったのだろう。



「これから何があるのか、分かるものなどいない。神さえも、時に未来を読み違える。そんなものに恐怖する程、俺は愚かではない」



 すぐに虚無を消した旭の目は、先程よりも強い意志の光を湛えていて。私の持つ闇を掻き消してくれるのではと幻想を抱く程、美しかった。


「旭……」

 胸が詰まって、言葉が出て来ない。



「俺が消えないと言い切るのは、確かに根拠の無い事だ。だが、約束というのも、そもそもが根拠の無い、単なる未来への期待。だが、俺が椎奈を想う気持ちが、約束を守ろうとする意志が、揺らぐ事は無い。……たとえお前が、俺を拒絶したとしても」



 息が止まりそうになる。

 これでも、私は。彼から距離を置く事など、拒絶する事など、本当に出来るのだろうか。



「軽々しく化け物などと言うな。椎奈は人間だ。そんな事、椎奈が1番分かっているはずだ」



 何故、旭は。これほどまでに、私が欲しい言葉を投げ掛けてくれるのだろう。何故これほどまでに、私の虞れを鮮やかに切り裂くのだろう。



「1人で抱え込むな。俺に出来る事は少ないかもしれない。だが、何もかも自分のせいにして、独りになろうとするな。俺と共に、来い。——側に、いてくれ」



 最後の言葉に込められた感情を、読み違う筈も無く。



 旭はそれきり何も言わず、私の答えを待っている。



 目を閉じ、自分に繰り返し問いかけた。

 後悔しないか。その罪を、本当に理解しているか。罪を犯す、覚悟があるのか。


 私の中の理性が囁く。旭の事を本当に想うのならば、これ以上彼が不幸になる前に離れるべきだと。それが正しいのは、誰よりも私がよく分かっている。


 ……けれど。何度そう言い聞かせても、私の心は、差し伸べられた手を求めていて。たとえその罪を背負う事になろうと構わないと、それでも旭を失いたくないと、ただひたすら願っている。



 ——ああ、全く。いつから私は、こんなに愚かになってしまったのだろう。……こんなに、旭を好きになってしまったのだろう。



 目を開ける。ずっと私を見つめ続けていたに違いない旭に、小さな声で言った。



「きっと、これからまた、旭を危険な目に遭わせる。大怪我をさせるかもしれない。旭の大切なものを奪うかもしれない。……旭が、消えてしまうかもしれない。全て、私がもたらす災い。私の罪だ」



 一度言葉を止め、勇気を奮い起こす。声が震えないよう、喉に力を込めた。



「……それでも、旭が私を求めるというのなら。側にいる事を、許してくれるのなら。……私も、旭の側にいたい。罪を犯してでも、旭と共にありたい」



 ようやくそこまで言い切って、俯く。情けない話だが、これ以上、旭の顔を見る勇気はなかった。


 かたりと、椅子を引く小さな音。気配が近づいて来る。それでも、顔を上げる気にはならない。


 不意に頭の上に、暖かいものが乗せられた。驚いて、反射的に顔を上げてしまう。旭と視線がぶつかった。

 旭はその目に、常には無い、優しい光を宿して、私を見つめていた。今まで見た事の無いその視線に、何故か慌てている自分を自覚。


「……お前1人に罪を背負わせるつもりは無い。椎奈が背負っているものを、恐れているものを知った上で、椎奈を求めているのだから。椎奈が俺の為に罪を犯すというならば、俺も同罪だ。言っただろう、1人で抱え込むなと」

「でも……」

「俺は、椎奈の側にいられるだけで良い。だから、自分1人を責めるな」

 そう言って旭は、私の頭をゆっくりと撫でた。くすぐったさに首をすくめながら、黙って頷く。



 本当は、もっと言いたい事がある。旭の言葉にどれだけ救われたか、私が彼に、どれだけの想いを抱えているか。伝えるべき事は、何1つ言えていない。


 けれど、こんなときばかり、言葉が見つからない。何を言って良いのか、分からなかった。……そんな言葉を習う機会も必要も、無かったから。



 出て来るのは、こんな言葉だけ。


「……子供扱いするな」

「ああ」


 そう言いながらも、頭を撫でる手は止まらない。されるがままに、私は、心の中で呟いた。



 ——なあ、旭。旭は私の過去を知っても、こうして側にいてくれるのだろうか。私が今までどれだけの命を奪ったのか、その惨さを、罪深さを知ってなお、私を恐れないでいてくれるのだろうか。



 疑問の形をとりながらもそれは、祈りとなって私の中で反響した。

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