会話と慰め
城の中庭に出る。昨晩出た所とは違い観賞を目的にした庭なのか、随分と花が多かった。
深呼吸を繰り返す事で、身の内にある重いものを吐き出す。
後悔や自己嫌悪に陥っている猶予は無い。旭が死なない為に必要なものは、力。それはどうしようも無い事実だ。そしてそれは、古宇田や神門も同じ。だから彼らは契約した。——そして、私も。
ならば、これからすべき事は、訓練だ。古宇田や神門は魔術の知識が皆無だし、そもそも力を制御する方法すら知らない。旭はその点問題無いが、魔術だけでは生き残れまい。武器を手にして戦う術を、彼は持っていない。それは古宇田や神門も同じだろう。
つまり、魔術の習熟と、武術の修得が必要という事だ。
(本当に、それまでこの国は持つのか?)
魔術は才能次第で、人によっては力に目覚めた瞬間から使いこなせるが、武術は長期の研鑽があって初めて使えるものになる。2,3ヶ月やそこらで何とかなるとは、とても思えない。
(最悪、魔術による後方支援に止める……か)
だが、それはかなり危険だ。少なくとも、術と共に武術を学ぶのが当然だった私には、無茶としか思えない。
(……彼らを、傷つけたくない。傷つくのは私だけで良い)
もし、彼らが傷つく可能性があるのならば、その時は——
「……そこにいるのは、どなた?」
思考が負のスパイラルに落ち入りかけたのを止めたのは、茂みの影から投げ掛けられた幼い声。
振り返ると、フリルの多い、だが決して嫌みにはならないドレスを着た少女が、茂みから姿を現す所だった。
「尋ねる前に自分が名乗るのが礼儀だと思うが」
そう言うと少女は一瞬目を丸くしたが、すぐに淑やかな笑みを浮かべ、淑女の礼をとる。
「申し訳ありません、名乗り遅れました。私はエルド国の王ライアス=デル=エルドの第一王女、ソフィア=ミア=エルドと申します」
——礼儀正しい相手には、礼を尽くしなさい。
懐かしい声が耳元で聞こえた気がして、反射的に胸に手を当て片膝を付き、頭を垂れた。
「これは失礼致しました。この度この世界に召還されました、椎奈と申します」
「あら、これはご丁寧にありがとうございます。でも、そんな事をする必要はありませんから、立って下さいな」
ソフィアはにっこり笑って立つように促して来る。失礼にならないよう、ゆっくりと立ち上がった。
「シイナというのね。父上から聞きました、凄い力の持ち主だと。聞いた通りでしたわ。こうやって近くにいるだけで、気圧されてしまいそう」
そう言いながらも、ソフィアに気後れしている様子は見受けられない。見た所10歳程だが、落ち着いた物腰と大人びた口調には風格すら漂っていた。
「力を制御し切れていない未熟者なだけです。王女にご負担をおかけしてしまい、申し訳ございません」
軽く頭を下げると、ソフィアは小さく首を傾げる。
「どうしてそんなに礼儀正しいのですか? 私は貴方よりも年下です。無理矢理連れ去った国の王女に、敬意など持つ筈も無いでしょう?」
聡明な少女だ。あの傲慢な王から生まれたとは、とても思えない。
こういう少女の疑問には、誠意を持って答えねばなるまい。
「王女が私に丁寧に接して下さるからですよ。礼儀正しい相手には誰であろうといくつであろうと礼を尽くすように、と教わりましたから」
「素敵なご両親ですのね」
そう言ってソフィアはにっこりと笑った。悪意は全く無いと分かっているからこそ、その言葉は胸に突き刺さる。
「ですが、これでは堅苦しくて仕方がありません。堅苦しい言葉使いはもう飽き飽き。どうか、シイナが1番慣れた言葉遣いで話して頂戴」
意識して表情を作っていた為、こちらの内心は悟られなかったようだ。代わりに言葉遣いを変えるように要求されてしまった。それもわざわざ、砕けた口調で。
少し迷ったが、10歳の少女にそこまで気を遣われては、従うしかあるまい。
「分かった」
頷くと、ソフィアは嬉しそうな顔になった。そのまま近くの石に腰掛け、私にも座るよう促す。
「シイナ、向こうの世界はどんな風なの?」
誘われるままに隣に腰掛けると、待ちきれないという風にソフィアが問いかけてきた。
返答に詰まる。この少女に、私のような血にまみれた、人とも呼べないものに、何を教えろというのか。
少し迷って、無難な答えを選んだ。
「そうだな。こちらの世界は、国によって随分違う。言葉も歴史も文化も違うから、一概には言えないが……私の住んでいた国には王はいるにはいるが、政治に口を出す事は無い。国の象徴として祭り上げられている」
「じゃあ、誰が政治を行うの? 軍?」
目を丸くして尋ねるソフィアに、首を振ってみせる。
「いや、国民が選んだ複数の代表者が、話し合いで決める。それに、国の要となる決まりを変える時には、国民に賛否を問う」
「どうやって?」
「成人したものが選んだ代表者や賛否を紙に書いて、役人に出す。役人がそれを集計して、多く賛同を得た意見のみが通される」
専門用語を避けたとはいえ、小学5年生に議会制民主主義を説明した訳だが、ソフィアは苦もなく理解できたようだ。
「でも、それって凄い数のはずだわ。何日も掛かるんじゃなくて?」
「いや、半日も掛からない」
「どんな魔術を使っているのかしら」
その言葉に、首を振ってみせた。
「私達の世界では、魔術は公には認識されていない。私の知っている限りでも、そういう魔術は無いな」
「魔術が知られていない? では、シイナはどこで学んだの?」
触れられたくない所を指摘され、返事が一拍遅れる。
「……同じ術者に教わった。私達の世界は魔術が普及していない代わりに、科学が発展している」
「カガク?」
強引に話を戻したが、幸い、聞いた事の無いだろう単語に気をとられてくれた。
「魔術無しで魔術が出来るような事を可能にする。薪を使わずに火をつけたり、食べ物を冷やす事で保存したり」
だが、余りこの世界に影響を与える知識を教える訳にもいかないので、曖昧な説明に止める。
「同じように、計算も短い時間で出来るのね」
「そう」
この賢い少女は、それをすぐに理解したようだ。追求して来る事は無かった。
「…………椎奈、何してんの?」
声を掛けられ振り返ると、驚いた顔をした古宇田と神門がこちらを凝視していた。
「見て分からないか? 話をしている」
「や、そーだけど。何か随分親しげだね」
その指摘に、多少後悔する。確かに、年に似合わぬ聡明さに興味を持ち、私にしては関わりすぎた。旭と関わりを持ちすぎてしまった事に後悔したのは、つい先程だというのに。
そこまで考えて、あれほど重かった気分が、随分と軽くなっているのに気が付いた。後悔も焦りも、嘘のように静まっている。
「たまたま会ったから、少し相手をしていただけ。親しげと言われる程ではない。
こちらはソフィア=ミア=エルド、この国の第一皇女。王女、リナ・コウダとシオリ・カンド。私と同じくこの国に召還された2人だ」
互いを紹介すると、古宇田と神門が慌てたように頭を下げた。
「初めまして、古宇田里菜です」
「神門詩緒里です」
「初めまして、リナ、シオリ。私の事は、ソフィアと呼んで下さいな」
ソフィアも丁寧に礼を返す。それを見届けて、古宇田達へと向き直る。
「それで、古宇田達は何をしている?」
「城内探検、の筈だった」
引っかかる物言いに、直ぐに察した。ゆっくりと言葉を発する。
「……迷ったのか」
「ご名答♪」
「地図を書くまで待てなかったのか……」
堂々と言い切る古宇田に、溜息をつく他無い。
道が分からない、その上知り合いが1人もいない場所を平然とうろつけるのを、大物と見るべきか、それともただの向こう見ずと見るべきか。どのみち、この2人から余り目を離さない方が良さそうだ。
「我が国の城は侵入を防ぐ為に迷いやすい構造になっているから、無理も無いわ」
私達のやりとりを聞いていたソフィアが、笑いながらフォローした。
「つーか椎奈、残念。昼食は下げちゃったからね、夕食まで諦めなさい」
話を逸らしたいのか、唐突に古宇田がそう言った。肩をすくめてみせる。
「私はそもそも昼食は食べないからな、問題無い。旭は?」
「椎奈、体に悪いよ……。旭先輩は、私達が出て行く時にお昼を食べ始めた筈だよ。今どこにいるかは、分からない」
神門の忠告は無視し、ソフィアに振り返った。
「私はもう、2人と部屋に戻る。王女も抜け出してきたのだろう。そろそろ戻らないと、探していると思うぞ」
「……ばれてたのね」
「護衛も侍女も連れないで歩く王族がどこにいる」
ソフィアが首をすくめた。年相応の表情と仕草を、初めて見たかもしれない。
「じゃあね、ソフィアちゃん。道覚えたらまたここに来るから、その時会おうね」
古宇田が手を振った。神門もそれにならう。
「ええ、楽しみにしているわ。……シイナ」
手招きされたので、かがみ込む。耳元でソフィアが囁いた。
「少しは気が晴れた? 最初声を掛けた時は随分落ち込んで見えたけど、大分顔が明るくなったわ」
驚いてソフィアの顔を見ると、にっこりと笑い返される。
「魔術は使えないけれど、昔からそういうのは何となく分かるの。少しでもましになったのならよかったわ」
「……参ったな」
本当に参った。まさか、10歳の少女に慰められるとは。
しっかりせねばと自分を叱咤して、私は立ち上がった。
「またね、シイナ。リナとシオリも」
「待たねー! ……って、こら椎奈、ちゃんと答えてあげなさいよ」
返事をせずに歩き出した私を、古宇田が咎めてくる。
「古宇田、彼女は王女。余り心を許すな」
「そんな、子供相手に……」
眉間に皺を寄せる古宇田に、忠告を発する。
「子供と侮ると痛い目に遭うぞ。少し話をしただけだが、かなり頭の回転が速い。気を抜くと、こちらに不利な情報まで開示する事になる」
「でも椎奈、楽しそうだったよ」
神門が、小さな声で言った。目を向けると、視線を彷徨わせながらも、言葉を続ける。
「椎奈があそこまで話してるの、珍しい。それも、初対面なのに」
痛い所を突かれた。確かに少し無防備過ぎた。ああまで気を許すのは、自分の為にも相手の為にもならない。距離を置き、知人やクラスメイト程度に止めなければ、取り返しのつかない事になる。——旭のように。
再び後悔が襲ったが、何故かソフィアの笑顔が浮かび、負の感情が掻き消える。
「……彼女は、情動操作系の魔術師だな。まだ覚醒はしていないが」
呟きを耳聡く捉えた古宇田と神門が、感嘆の声をあげる。
「凄いね、覚醒もしていない魔術師の事まで分かるんだ」
「だから椎奈を手なずけられたんだあ」
「古宇田、いつ私が手なずけられた。ただ話をしていただけだと言っている」
そう返して、立ち止まった。目の前には、私達の部屋の扉。
「うわ、もう着いた。あれだけ歩いたのが嘘みたい」
古宇田の呟きを黙殺して、扉を開け、中に入った。