帰還
「世話んなったな」
「こちらこそ」
王都の門をくぐった先、小崎と私は挨拶を交わした。
何やかやと長く関わってしまったが、幸い何事もなくここまで辿り着いた。昴も張り切っていたから予定より早いくらいだ。
「神獣ってやっぱすげえな。結局怯えられなくなっただけで、触れもしなかったけどよ」
「小崎は男だからな、仕方ない。ボローニも手綱を引くのは許されているが、触れるのは未だに駄目だ」
「ちえっ、惜しいなあ」
どうやら小崎は余程触りたかったらしい。笑いながらもどこか残念そうだ。
「シイナ様」
メイヒューに名を呼ばれる。彼女の視線を追って外を見ると、ギルド本部に近い、人目に付かないぎりぎりの路まで来ていた。頷いて、改めて小崎と向き合う。小崎も気付いたらしく、笑顔を浮かべてこちらを見る。
「さて、お別れだ。次会う時は、魔王との総決戦とかその辺りかもな」
そう言って小崎が手を差し伸べてくる。握手を求めるその手を見つめ、少し迷ったが、尋ねた。
「……いいのか。小崎は帰還が目的なんだろう?」
結局小崎は1度も私に帰還魔法陣を求めてこなかった。魔王討伐に関心があるわけでもないのに、この地での生活の糧であるギルドまでの移動を要求されたのだ。
本来の目的を果たす手段が目の前にあるのに、何故求めないのか。理解出来ない彼の態度がどうにも引っかかって問うてみたのだが、小崎は何故か一瞬目を見張った。
「……小崎?」
訝しみつつ呼ぶと、小崎は一つ瞬いてふっと笑う。その笑みに何らかの感情が湧きかけたが、その前に小崎の答えが返ってきて打ち消された。
「いんや、俺の目的は「秀吾と」帰還する事だ。今のアイツに何と言おうと答えは「魔王を倒すまでは還らない」一択だからな、そこまでは仕方なく付き合ってやるさ」
「危険でもか」
「ま、上手く立ち回れば何とかなりそーだからな。あと、ヒジョーに不本意だがアイツが色々やらかして還りにくくなってるのもどーにかしてやる羽目になるんだろうなあ……あの馬鹿次会ったら一発殴る」
次第に声を据わらせながらもそう言った小崎に、意思の揺らぎは感じとれなかった。当たり前のように友人である瀬野に付き合おうとする彼に、つい投げ掛けそうになった問いを辛うじて呑み込む。
——もし、瀬野が還られなくなったら。小崎は、どうするんだ、と。
「……そうか。なら、また機会があれば」
結局それ以上は何も問わずに握手に応じた。深入りは禁物だ、と自分に言い聞かせる。
「おう、椎奈も達者でな」
握手した手をひらりと振って、小崎が馬車の扉を開けた。無造作に床を蹴り、走行中の馬車から地面へと危うげなく着地する。そのまま振り返りもせずに人混みへと紛れていった背中をしばし見送り、私は前へ——戻るべき場所へと、向き直った。
馬車で進む事しばし。流石に貴族仕様の馬車なだけあって、道行く人々が興味の視線を向けつつも通路を開けるように引いていく。馬に見えるよう幻術をかけた昴も、スーリィア国の王都と同じように、ゆっくりと危険のないように進んでいった。
やがて、王城が見えてくる。
「帰ってきましたね……」
思わず、といった様子で漏らしたのはメイヒュー。多分に安堵を含んだそれには、私も同意する。
——護衛達が無事で、良かった。
事前に安全を確保出来るよう契約をしていたとは言え、厄災の護衛という役割を与えられてしまった彼等は、いつ死んでもおかしくなかった。怪我なく戻れたのは奇跡に近い。
「ですが、シイナ様はこれからでしょうね」
淡々と続いた言葉に、咄嗟に視線を上げる。前を向いて周囲を警戒する様子を見せているホルンを、軽く目を眇めて見据えた。
「……王城の反応か」
「明確な手柄を持たず、あちらでは批判すら受けとりましたから。結果は出しましたが、表向きの評判を思えば陛下が満足なさるか」
「ホルン、控えろ」
御者席からボローニ。厳しい声は、旅の間には聞かなかったものだ。おそらく、王都に着いて人目を気にするようになったのだろう。
ホルンは肩をすくめて、口を閉じる。続きを語る気は無くとも動じない様子に、得体の知れない不安が募る。
……彼女は、一体何を決意した。
「あ……あれは」
その時、ボローニが声を上げた。釣られて顔を上げるより先、メイヒューが明るい声を出す。
「シイナ様、城門をご覧ください」
少し首を伸ばし、前方を見やる。まだはっきりと輪郭が見えるかどうかという人影が目に入った瞬間、心臓が跳ねた。
——彼女達の、彼の、魔力を見紛うはずがない。
「出迎えですか。そういえば、シイナ様はオザキ殿が料理なさっている間に連絡していらっしゃいましたね」
「……ああ」
小崎の視線を逃れ、旭と連絡はとっておいた。彼女達と共に出迎えに来ている事には、少なからず驚かされましたが。
「お二人とも、嬉しそうですね」
「ようやくの帰還ですから、彼女達が喜ぶのも無理はないでしょう」
「……?」
メイヒューとホルンの会話に、違和感を覚えた。眉を寄せて問い返そうとした所、ボローニが続く。
「それにしても、勇者様お二人だけでお待ちとは、少々無防備ですね。魔術師のサーシャが見当たりませんが」
思わず息を呑みそうになるのを、辛うじてこらえた。彼等は、本気だ。勘違いでも見落としでもなく、|一人の存在を認識出来ていない(・・・・・・・・・・・・・・)。
(……計算外だ)
己の甘さを呪う。これは完全に、私のミスだ。願わくば、まだ間に合っていて欲しい。
馬車が減速した。城門の前で、昴が停止する。ボローニが門兵とやりとりしているのがしばし聞こえ、馬車はゆっくりと門をくぐった。数メートル程進んだところで、止まる。
城内が騒然となった。「勇者様」の声に応えるようでやや癪だったが、ゆっくりと馬車から降りる。より騒がしくなった周囲を無視して、視線を巡らせた。
「椎奈!」
古宇田と神門の声が重なる。駆け寄ってきた彼女達に視線を向ければ、以前より明らかにしっかりとした顔つきになっていた。やはり、任せたのは正解だったらしい。
「——椎奈」
何より聞きたかった声に、心臓が震える。
ゆっくりと、顔を上げた。湖水のように凪いだ瞳で真っ直ぐ見つめる彼の名を、はっきりと口にする。
「——旭」
ふ、と。空気が変わった。古宇田達すらも小さく息を呑むのに気付いて、本当に危ういところだったのだと悟る。
静かに歩み寄り、見上げる。手を伸ばして、その腕に触れた。
旭がつと目を細める。ゆっくりと一呼吸の後、彼が纏っていた、限られたものにしか視えない陽炎がすうと消えていった。
「……今、戻った」
謝罪を込めてそう言うと、旭がはっきりと頷く。
「話が聞きたい。部屋に行こう」
声が周囲に響くのを確認して、私は頷いた。その前に護衛達へ何か言わねばと振り返りかけた刹那、旭に強く腕を引かれる。
「っ旭、」
何事だと言いかけたその時、私を背に回した旭に白い影が覆い被さった。旭が障壁を築く。
白い影は旭の障壁をすり抜けて突進してきた。旭は僅かに狼狽した様子を見せつつも、身体強化魔術を発動し備える。
白い影が振り上げた前足を、旭の手が受け止めた。しばしの膠着。
「昴!」
我に返って、犯人を咎める。置いて行かれそうになったのを察していつものように飛びかかるつもりだったのだろうが、後ろからは洒落にならない。
「お前は中には入れない。厩へ案内してもらえ」
厳しい口調で言い渡すと、何故か旭を凝視していた昴がこちらを向いた。青空色の瞳に批難のようなものを宿しているのを訝しく思いつつ、きっぱりと言う。
「事情は後で誰かに説明させておく。ボローニ、頼めるか」
「はい」
慌てて近寄ってきていたボローニに委ねる。昴は一瞬抵抗する素振りを見せたが、私が譲らないと悟るや渋々手綱を引かれるに任せた。ボローニは私達に詫びるように一礼し、昴を連れて去る。
「……椎奈」
旭の声に振り仰ぐと、珍しくはっきりと眉を寄せた顔を見る事となった。
「どういう事だ」
どうにも不機嫌そうな言葉の指すものは、昴以外にはあり得ないだろう。他の者達はともかく、旭があの程度の偽装に誤魔化されるはずがない。思わず溜息をつく。
「……それも合わせて説明する」
旭はしばらく私を見つめていたが、やがて1つ頷いた。
「戻ろう」
「あの……お待ちください、シイナ様」
恐る恐るかけられた声に、溜息を噛み殺す。振り返り、メイヒューが躊躇いがちに何事か言いかけるより先にはっきりと告げた。
「話があるなら面会の申し込みをしてくれと伝えてくれ。今日は休みたいから明日以降でだ」
「それはっ」
「ステラ、異論を唱えるところではないでしょう。シイナ様がお疲れなのは当然です。シイナ様、ここは私達で取り収めますので、どうぞ休まれてください」
反駁しかけたメイヒューを黙らせ、ホルンが丁寧に一礼する。やけにこちらに都合の良い事を言う彼女にどう返すべきか躊躇ったが、それより先に旭が応じた。
「任せる。行くぞ、椎奈」
答えを待たずに腕を引かれる。これ以上の問答は不要だと態度で告げてくる旭に、逆らう理由も無いので付いていった。