少女の決意
翌日。街に戻った私達は、ギルドへ依頼完了の報告をしに行く小崎と別れて宿へと戻る。こちらは王都を離れる準備を始めなければならない。
旭には既に出発を延ばす事を連絡していた。どうやらあちらも何かあったようで、旭は帰還の遅れに然程驚いていないようだった。
だが、あまりにも出発が延びれば、旭の負担も大きくなる。
こちらの滞在中、エルド国の様子はほとんど情報が入っていないが、この街の復興を手伝っている間に耳に挟んだ噂や旭の反応を見る限り、予想通り各国何らかの襲撃を受けているようだ。
旭の無事は確認している。となれば、あの国が精力を尽くして撃退したか、旭達が参戦した上で無事勝ち抜けたかのどちらかだろう。どちらにせよ、「勇者」の肩書きが重みを増しているのは間違いない。
旭があの国の貴族や王族に後れをとるとは少しも思っていないが、古宇田や神門を庇いながらとなると、流石に長期間は辛い筈。サーシャもいるとはいえ、そもそも他者との交流を好まない旭には不愉快な時間が続いているだろう。
……それに、こちら側も限界だ。
ちらりと、護衛達に視線を送る。淡々と荷造りをしているように見えるが、彼等の横顔には僅かな安堵が滲み出ていた。私との関わりが終わりに近付く安堵……というよりは、この街の人々から受ける悪意への精神的疲弊からの解放を喜んでいる、といった所か。
魔族を撃退した事実を他国に悟られたくない私は、全ての功績を小崎の幼馴染みであり現在ガレリア国の勇者として活躍している瀬野に押しつけた。現実味を帯びさせる為に、護衛達に私の事を少々悪評気味に流させた。
名声は好待遇を生むが、敵も増える。旭達の訓練状況が分からない今、下手に名が売れてエルド国に戻る途中に襲撃されたり、戻った後攻撃されたりは極力避けたい。
だから、悪いとは思うものの、瀬野達にそちらを任せる事にした。あちらも勇者としてやる気があるなら、この程度は織り込み済みだろう。
まあ、小崎がこれに気付けば不愉快に思うかもしれないが。別に今後関わりのない少年の悪感情など、今更痛くも痒くもない。それに彼は案外お人好しだ、厄介事を避けたいと言いながら瀬野を影ながら補佐する事だろう。危険はそれほど無い筈だ。
とはいえ、街を歩くだけで非難の視線や声を浴びせられるのは、護衛達には些か負担だったようだ。普段は感謝される立場だから、当然と言えば当然か。
彼等が不満から何らかの行動を起こすより先に、そして、この国の王族から何らかの干渉が入るより先に、エルラ国へ戻る。これ以上の厄介事は避けたいと思う程度には、一連の事件は骨が折れた。
明日の朝早くに王都を離れる。いくらか消耗品を買い足す必要がありそうだ。護衛にホルンを連れて街へ出る。
「あっ、いた! 椎奈さん!」
携帯食料などを買い込んでいる最中、聞き覚えのある声に名を呼ばれて顔を上げる。思い浮かべた通りの少女が、こちらへ向けて駆け寄ってきていた。
「吉野か」
ガレリア国の勇者として召喚された少女。復興援助の際に何度か顔を合わせていたが、きちんと話すのは敵に踊らされ対峙した時以来だ。あの時の追い詰められたような色が完全に払拭されているのに、少し驚かされる。
「お久しぶりです。ここ数日顔を見なかったので、もうこの街を離れたのかと思って焦りました」
「……近いうちに出るつもりだが……焦った?」
誰が聞いているとも限らないので出発予定はぼかすも、吉野の妙な言葉に眉を顰める。何故彼女が、私が出発したかどうかで焦るのか。
少し前なら私の表情に怯えただろう吉野は、しかし動じず真剣な表情で頷いた。
「はい……あの、少し、話をしたくて。お時間、良いですか?」
一瞬吉野の瞳を窺うも、欺瞞の色は見られない。語調からも重要な話なのだろうと判断し、断る理由も無いので頷いて応じた。
吉野は少しほっとした表情になると、くるりと踵を返す。彼女が先導した先の喫茶店には、飲み物を前に何故か居心地悪そうな顔をした、先程別れた顔。
「……彼は?」
小崎とオズは一応別人という事にしているので、知らぬ振りで吉野に尋ねると、彼女はにっこりと笑った。
「私、戦いでは椎奈さんにも秀吾さんにもぜんっぜん敵いませんが、勇者として召喚されたせいか、魔法は見て分かるんです。偽装魔法って気付いて、魔力覚えておいたので、オズさん……小崎さんの事直ぐに分かりました!」
「ちゃっかり俺と秀吾の関係まで気付いて、秀吾にばらす事をちらつかされたぜ……くそっ、勇者特性を舐めてた」
妙に明るい声の吉野と呻くような小崎の説明に、おおよその事情を把握する。その上で、改めて吉野を警戒した。
「……そこまでして、私達に何の用だ」
やや低い声で問いただすと、吉野は1,2度目を瞬かせてからあっさりと答える。
「小崎さんとも話があるんです。最初は普通に誘ったのですが、色々言って誤魔化そうとして。どうしてもお話ししたかったので、ちょっと強引にお願いしました」
「…………」
無言で、小崎に視線を向ける。小崎が首を横に振った。どうやら、意見は同じらしい。
……少し会わない間に変わりすぎでは無いだろうか、この少女は。
極端すぎる豹変に対処出来ない私達を余所に、吉野は私達を席に着かせ、自分も椅子に腰を落ち着けた。注文した飲み物が来るのを待ち、吉野は居住まいを正す。
「改めて……あの日は、本当にごめんなさい。2人を攻撃して、すみませんでした」
どうやら、これは謝罪の場だったらしい。成程、生真面目な性格上、礼をきちんとしなければ気が済まなかったのか。
「気にしてねーよ、んな事。なあ椎奈?」
「ああ。それで、用件は帰還方法か?」
簡単に小崎の言葉を肯定し、直接本題に触れる。小崎が慌てふためいた様子で音の遮断を行う中、吉野ははっきりと首を振った。
——縦ではなく、横に。
「そのお話ですが……私はまだ、帰らない事にしました」
「……何故?」
少し驚いて聞き返す。少し言葉を整理するような間を置いて、吉野はゆっくりと話し出した。
「あの後、私は小崎さんに言われた通り闘技場へ向かいました。そこで、秀吾さんが戦っている所に鉢合わせました。私は怖くて足が竦む相手に、秀吾さんは勇敢に立ち向かっていて……私って本当にダメだな、と最初は思ったんです」
吉野は少し泣きそうな顔になり、膝の上に置いた両手を握りしめる。
「でも……途中、秀吾さん危うく大怪我しそうになって。たまたま護衛の方も攻撃避けている所で、助けられなくて。気付けば、魔術を飛ばしていました」
その魔術が上手い具合に当たり、瀬野は危うい所を免れたという。小崎が「出たよ秀吾の主人公補正」とよく分からない事を呟く中、吉野は続けた。
「その後、魔物を倒した秀吾さんが……私に、笑顔でお礼言ってくれたんです。少し、手が震えていました。……その時分かりました、怖いのは私だけじゃないんだって」
吉野は言葉を句切り、私を真っ直ぐ見据える。
「それでやっと、椎奈さんの言っていた事が分かりました。怖くても戦えるってだけで凄い事だって、それが出来るから勇者として讃えられる……怯えて逃げてばかりの私が、出来損ないと批難されるのは、当たり前だって。だって、そんなの勇者じゃない」
「おい、吉野それは——」
思わずといった調子で小崎が口を挟もうとしたが、吉野は首を振ってそれを制した。
「自分を否定している訳じゃありません。どうしてあの国の人達が私を批難していたのか、理解出来たってだけです。けど」
吉野はそこで言葉を切り、私に視線を向ける。
「椎奈さんの言う通り、構わないやって。私は、勇者にならない。召喚されたけど、なれないし、なりたくありません。神官さんにも、はっきりそう言っちゃいました」
最後の告白には流石に驚かされた。小崎も同様で、慌てたように身を乗り出している。
「おい、吉野。秀吾うっちゃって逃げ出した俺が言うのもアレだが、流石にそれはマズイんじゃねえのか?」
「はい。思いっきり罵倒されたので、思いっきり罵倒し返しました!」
だが、にこやかな宣言を返され、小崎は身を乗り出した姿勢のまま固まった。驚きの表情を見て、吉野は膝に置いていた拳を胸の前に持ってきてみせる。
「だって、勝手に召喚したくせに、「召喚してやったのに泣き言どころか役目の放棄など、どこまで役立たずなんだ」なんて言うんですよ? 誰が頼んだんですか、そんな事」
「……そうだな」
他にどう言いようもなくてそう相槌を打つと、吉野は大きく頷いた。
「でしょう! だから、「16歳の女の子に頼らなければ魔物一匹倒せないヘタレ魔術師よりは役に立ちます」って言って、逆上して打とうとしてきた所を魔術で縛って眠らせました。勿論お金は全部貰って、宿は変えました」
「…………」
あっさりとした告白に唖然とさせられた。小崎など、目を剥いて言葉も無く口を開閉している。
私達の反応を見て、吉野は困ったように首を傾げた。
「やっぱり、少しやり過ぎでしょうか? 私、ここに来る前に留学していた時期があって。その時に知り合った日本人の女の子が、セクハラしてくる暴力男は問答無用で縛って裏路地に蹴り出せ、出来れば服も剥いてしまえって言ってくれたのを思い出したんです」
「誰だその無茶苦茶凶悪な娘!?」
小崎の絶叫に共感しつつも、同性として分かる部分もあるので沈黙を貫く。吉野は苦笑して、手を左右に振った。
「さ、流石に言葉通りの事は私も怖くて出来なかったですよ? あの子、実践して見せたけど……」
「……今俺は、日本の女子像が完膚無きままに砕け散った音を聞いた」
「……いや、特例中の特例だと思うぞ」
小崎が死んだような目でぼやくのに小声で反論していると、吉野は1つ瞬く。
「あっ、すみません、話がずれてしまいました。それで、ケネド国とはきっぱり縁を切ったんです。……それから、その……秀吾さんの所に、行きました」
「瀬野の……?」
唐突に出て来た名前に戸惑う。そういえば吉野はいつの間にか彼を名前で呼んでいたなと今更気付く。
小崎はといえば、黙って右手で顔を覆っていた。怪訝に思って声をかけるより先、吉野の話が続く。気のせいか、どことなく頬が赤い。
「はい、あの……闘技場で、何かあったら力を貸すよって言ってくれたのを思い出して。迷惑だとは思ったのですが、駄目元で助けを求めたら、あっさり仲間に入れてくれたんです。補助魔法とか、魔法の解析が得意ですって言ったら、来てくれたら凄く助かるって、その、秀吾さんとても優しくて……この人に付いていこうって、決めたんです」
吉野の頬の赤らみが深まるのを見て、ようやく悟る。どうやら吉野は、瀬野に心奪われたようだ。
「出たよ秀吾の天然タラシ……あの馬鹿、よもやと思うがこの調子でハーレムホイホイしてるんじゃ……いや間違いなくしてる、どーすんだこの後始末、俺知らねーぞ……」
相変わらず顔を覆ったままの小崎が、聞き取りにくい声でぶつぶつと呟いている。何を言っているのかさっぱりだが、彼は余り吉野の心情の変化を歓迎していないようだ。
「だから……私、秀吾さんを手伝って、側にいようと思うんです。還るのは、秀吾さんが魔王を倒してからで良いって。……すみません椎奈さん、折角提案して下さったのに」
眉を下げて謝る吉野に、首を横に振ってみせた。
「吉野がそうしたいなら、私は構わない。ただ、この世界は危険だ。残る事で命の危険もある。分かっているのか?」
確認の問いかけに、吉野は揺らがぬ瞳を真っ直ぐ私に向けて頷く。
「はい。それでも、ここが良いんです。……秀吾さんの、側にいたい」
『側に、いてくれ』
強い意思を感じさせる言葉に、旭の静かな眼差しと言葉が過ぎった。
「……なら、いい」
視線を逸らして、それだけ言う。吉野は少し不思議そうな様子だったが、直ぐに花咲くような笑顔を浮かべた。
「こうして私の進む道が見つかったのは、あの時椎奈さんに厳しく、正しい事を言ってもらえたお陰です。本当に、ありがとうございました!」
1点の曇りのない笑顔に、偽りのない言霊。私に相応しくないそれを真っ直ぐぶつけられて、束の間息が止まる。辛うじて、返事の言葉を押し出した。
「…………礼を言われる事では、ない。話がそれだけなら、もう行く。まだ買ってないものがあるんだ」
「ええっ、もうですか? 残念、もう少しお話ししたかったのに……」
言葉通り残念そうな声を上げる吉野を無視して腰を浮かせかけた私に、小崎が軽い口調で声をかけた。
「何だ、そろそろ出立の準備か?」
「ああ、明日発つ」
音が区切られているから良いかと素直に答えると、吉野が驚きの声を、小崎が呆れ声を上げた。
「ええ! 明日!?」
「なんつー早業。ま、そろそろスーリィアの狸が絡んでくる頃だし、しゃあねえか。んじゃ、今まで世話んなったな」
さっぱりとした挨拶に、少し肩の力が抜ける。淡泊な距離感を意識して、言葉を返す。
「ああ。対価の支払いが遅くなってすまなかった」
「寧ろいらんかったのに、アンタも強情だよな。ま、達者で。こっちもテキトーに——」
戯けたように言葉を返していた小崎の表情が、その時何故か障壁を越えて聞こえてきた声に凍った。
「あ、真ちゃん! ちょっと付き合って欲しい事が……って、朔夜ぁ!?」
小崎を指差し驚愕の叫び声を上げて固まる瀬野を睨み付け、小崎は椅子を蹴って立ち上がった。
「くっそこのご都合主義野郎、そこまで物語に愛される必要がどこにある!? こっちは別れてた友人遭遇イベントなんて望んでねえ!」
「朔夜ぁあ! お前今までどこ行ってたんだよ!? ずっと探してへぶっ」
「やかましい、つーか気持ち悪いわ阿呆っ! ハーレムに背中刺されて爆発しろ!」
「……刺されて爆発……?」
「椎奈さん、今気にする所はそこではないような……」
小崎が鮮やかなドロップキックで瀬野を蹴り倒しながら叫んだ言葉に首を傾げる私と、それに控えめながら異論を唱えた吉野を余所に、小崎は慌ただしく振り返る。
「てことで椎奈、吉野、機会があればまた会おうぜじゃーな!」
舌を嚙まないのが不思議なくらいの早口で別れの言葉を言うと、小崎は風のように去って行った。今までで1番、移動速度が速かった気がする。
「あっ、待てよ朔夜! 真ちゃん、話し終わったなら来て、朔夜を追いかける!」
「え……あっ、秀吾さん!」
吉野の返事を待たずに店を飛び出していった瀬野を見て、吉野は慌てて立ち上がった。
「すみません椎奈さん、私行きますね。また会いましょう、お元気で!」
律儀に頭を下げて別れの言葉を言って去って行った吉野の背中を見送り、私はホルンにも聞こえないような小声で呟いた。
「……どうか、無事で」
災いと関わってしまった彼等が、どうか不幸に呑み込まれませんように。
心の裡で祈り、私は店を離れて買い物に戻った。