祓魔
——その時。
「……何をする」
低い声の、恫喝。魔族は答え次第ではただでは済まされない、そう感じるほどの殺気を垂れ流している。
「貴方の思い通りには、させません」
凛とした声で言い放つ騎士団長が、結界を張って王太子の亡骸を守り、魔族と相対していた。
「今まで何も言わずに付き従っていた貴様が、何故今更我に逆らう? 我の力が怖いのではなかったのか?」
「ええ、その通りです。ですが私は、スーリィア国の正騎士団長です」
誇りを込めて言い切ったその声に、魔族が目を細める。
「王太子殿下が貴方に魂を売った時点で、私は殿下の側近である事をやめました。けれど離れれば、私もまた城の側近達のように呪われてしまう。だから王太子殿下に賛同する側近として、側で監視する事にした」
それを聞き、魔族は冷笑を浮かべた。
「単に死ぬのが怖かっただけだろう。でなければ、ここまで黙って見守ってはいまい。命に代えても王太子殿下をお守りしたはずだろう?」
わざとらしい敬語、嘲るような言葉にも、騎士団長は動じない。
「私が忠誠を誓うのは、彼ではなく、国です。国の害悪となった時点で、彼は私が守るべき者ではなく、監視対象となった」
敬称で呼ぶのをやめた彼は、けれど微かに苦しげな色を瞳に宿している。ずっと仕えていた相手だ、思う所はあるのだろう。
「王太子殿下は勇敢にも、魔物の侵攻に真っ先に飛び出し、健闘虚しく亡くなられた。そういう事にして、国の再興の礎となっていただきます。私もまた、守れなかった罪として、今までの罪を償う事でしょう。——それでも」
そこで言葉を句切った騎士団長は、強い敵意を魔族に向け、低い声で言い放った。
「彼を魔族の餌にはしません。どんなに愚かな真似をしても、彼は王族であり、かつての主です」
嫌な哄笑が場を満たす。相手の声と対極に位置する、余りにも耳障りな声。
「バカな事を。貴様如きが、我の邪魔が出来るとでも?」
見下しきった言葉にも、騎士団長は揺るがなかった。
「ええ、貴方は人間など、魔術もその剣も使わずに捻り潰す事が出来る。私1人では、時間稼ぎすら出来ないでしょう。……私1人では」
「……何が言いたい?」
怪訝な色を宿した声には直接答えず、彼は振り返りもせずに呼びかける。
「——いつまで隠れているつもりですか?」
とっくにばれていたと悟った俺は、苦笑混じりに能力と魔道具の——尾行セットの——スイッチを切り、潜んでいた茂みから抜け出した。
「なーんで気付くかね、あんたら。これでもギルドの技術の粋を集めたんだが」
「尾行の巧さは認めますが、その視線の強さを何とかしない限りは、戦いを知る者にはばれますよ」
「……視線に気付くってまじで理不尽だぞそれ。というか、つまりはあれか? あんた、こないだ城に侵入した時も気付いてたんか?」
無言という名の肯定。それを察し、彼が本当に切羽詰まってたのだと知る。
どこの馬の骨かも分からない冒険者が城の内部に入り込むという緊急事態を見逃してでも、彼は事態を何とかしたかったのだ。誰か止めてくれ、力のある者が気付いてくれ、と。
あの時簡単に色々聞けたのは、休憩を勧めた彼の差し金でもあったようだ。どうも都合良く事態が進むなとは思っていたんだが。
俺の登場に素直に驚いた案外チートじゃねえ魔族様は、けれどようやく己を立て直し、嘲笑を浮かべる。
「……成程、確かに貴様は厄介な相手だ。だが、魔力は微弱だろう。1度我の魔法を止めれば空になる程だ。人間の体術如きで我に勝てると思うのか?」
「確かにあんた、剣で斬りかかっても掴んで捻ん曲げるとか、余裕でやりそうだよな。魔族って膂力は桁違いって聞くし」
肩をすくめて軽く言う。俺の態度に余裕を見出したのか、赤い瞳に苛立ちが浮かんだ。
「そんな脆弱なもの如きが私に楯突くとは……覚悟は出来ておろうな」
「売ってもない喧嘩を買う奴は唯のバカって言うんだぜ。陰湿な計画を立ててコソコソ動いてた割にゃ、おつむは残念なんか?」
プライドが高い奴は、あしらうような挑発を我慢出来ん。それはこいつも同じなようで、魔族は今度こそはっきりとした怒りを浮かべた。
「……成る程、貴様はゴミだ。ゴミは速やかに焼却せねばな」
怒りを抑え冷静な声を出そうとして、見事に失敗している。うむ、知性ある魔物といえど所詮は単純バカか。
「言わせておけば……!」
「ん?」
「……声に出ていましたよ」
呆れ返った騎士団長の声に指摘されて、おおと拳で掌を打つ。それを見て更に怒りを募らせた魔族が、低く低く唸った。
「魔王様側近、五将である我を愚弄した償いをしてもらおうか……!」
「なんだそのテンプレ。しかも4じゃなく5かよ、中途半端だな」
「テンプレ、とは……!」
何でしょうか、と聞きかけた騎士団長が絶句したのは他でも無い。目の前に現れた数え切れない魔法陣の為だ。
重なるように展開された、形の異なる魔法陣。発動すれば、広範囲の生きとし生けるものを死滅させるだろう。
「死ね、虫けらが!」
「くっ、下がっていなさい!」
厳しい表情で俺の前に出て、結界を張ろうとする騎士団長。とはいえ、あれほどの数の魔法陣を防ぎきる事は出来ないだろう。悲壮な表情を浮かべているから、盾にでもなったつもりか。
……シリアスになってるとこ悪いが、んな事をさせるくらいなら、そもそも挑発なんかしないわけで。
「いや、下がるのはあんただから」
「なっ……!」
ぐいっと腕を引っ張って、魔法陣とご対面。おお、流石に強力だなあ。
「危な——」
声を上げかけた騎士団長が、途中で言葉を失う。安心してくれ、あんたにそれ以上のリアクションを期待はせん。
ま、あれ程の魔力と魔法が綺麗さっぱり消え失せたら、やっぱ驚くの一択だろう。俺もこんな能力ありかよと思わんでもない。
「なん……?」
「確かに、力でも魔術でも、魔族には敵わねえよ」
呆然と無傷の俺達を見る魔族に、淡々と告げる。はっと俺に視線を集中させた奴に、不敵に笑ってみせた。
「——けどよ、誰がそれしか無いって言った?」
俺の能力、空間操作。ベラの魔術の時みたく、魔法陣ごと亜空間に放り込んでやったのだ。
けど、流石は魔族でも指折り(自称)なだけあるな。基本何ものにも干渉されない筈の空間が軋んだから、一瞬冷やっとした。
「貴様、何を!」
「さてね。敵にネタバレするほどバカじゃねえよ」
しゃあしゃあと言ってやると、彼は苛立ちと焦燥、そして僅かな恐怖と共に、剣を振り翳して襲いかかってきた。
「あ、下がってろよ。邪魔」
後ろで騎士団長が反応する気配を感じたので、先に釘を刺す。最後の一言に動きを止めたところで、斬りかかってくる剣とその腕に向けて、能力を発動。
「ぐ、ああぁああ!」
「あー、野郎の悲鳴なんて聞きたくねえんだけどなあ」
喚き散らす奴をみて、顔を顰める。
目の前でのたうち回る奴は、腕がすっぱりと切れ、先が無くなっている。さっきまで握っていた剣もまた、どこにもない。
能力で作った空間は、俺の意思1つで開く事も閉じる事も出来る。そこでは、俺の意思が大抵のものに勝るらしい。
では、亜空間の入り口にものがあったら。入り口にものがあるまま、あくまでも忠実に俺の意思に応じて閉じたとしたら。
そこにあったものは境界に分断され、空間に一部が、残りの部分がこっちに残る。身体なら、切り取られたようになるのだ。
正直、この能力の使い方はあんま好きじゃない。けど、こいつは外道。このまま放置しておけば、俺の周りにいる人達に危険が及びかねん。無論、俺も死にたくないし。
だから、躊躇いも罪悪感もなく、やる。吉野の心を踏みにじり、王族に害を及ぼし、この国を根本から崩そうとした外道なんざ、俺は許さない。
「さて、俺も早いとこ戻りたいんだ。それこそ魔力がエンプティになりかねん奴がいるからな、魔物を相手にさせたくない。さっさと消えてもらうぞ」
あ、何かこの台詞悪役っぽいな。つーか、外道?
…………自分で言って凹んだ。
「させるかあぁぁ!」
痛みに錯乱したかのように、魔族が喚きながら飛びかかってくる。器用にも魔法陣を展開している残った腕を、空間の入り口に引き入れた。
「くっ、う……うわあぁぁ!」
そのまま一気に空間へと身体を引きずり込む。必死で抵抗しようとしていたが、重力差を付ける様に空間を設定しているから、耐えられるものでもない。踏ん張った足が2本の轍を作り、次第に長くなっていく。
「じゃあな、もう2度と会わんが」
その言葉を合図として、上半身がほぼ見えなくなっている魔族を、空間を伸ばすようにして呑み込んだ。魔族の瘴気が漏れ出るそれに顔を顰めて、腕を一振り。
ぱん、と。風船が割れるようなあっけない音が響き。空間は魔族と共に、完全に消失した。
「……はあ」
溜息を漏らす。分かってて使ったのだが、何ともまあ気分の悪い戦い方で、後味の悪い勝ち方だ。これがあるから、この能力をも一つ好きになれない。便利なんだがな。
「……今のは」
固い声に振り返る。どこか怯えたような表情に、苦笑い以外の表情の選択肢がなかった。
「あー……ま、何言っても言い訳にしかならんな。出来れば他言無用にしてもらえると助かる」
「……ええ。貴方達は、我が国の恩人です。この事は、私の胸1つに」
「ありがとうな」
俺の言葉を吟味するような仕草を見せた後、彼は妙に真剣に頷いてくれた。そこに欺瞞は無かったから、素直に礼を言う。
「にしても……間に合って良かった。アイツを片付けてからじゃないと、やっぱ意味無いからな」
そう言って大聖堂を振り返る。それを怪訝に見上げた彼もまた、息を詰めてそれを見上げた。
——大聖堂が、清浄さを感じさせる青い光で覆われている。
『天の息、地の息。天の比礼、地の比礼』
凛とした声が響き渡る。空気ではなく王都に満ちる霊力の波動が伝える調べに、王都の誰もが聞き入っている事だろう。
『天の幽界、日の幽界、月の幽界に行きかう三津の魂』
ふわり、と。言霊に応えるように、護衛達によってあちこちに隠されていた髢が溶けて霊力へと変換され、街の精霊を優しく揺り起こす。
『大き小さき産霊玉の神の掟にちゆりほゆりと守り沙汰し』
柔らかな光が、王都を包み込む。気付かずとも常に傍らに在る精霊の気配が、街に満ちた瘴気を溶かし、洗い流していく。
『空津彦、空津火気、奇き三津の光を、たちまち天津奇鎮詞によりて鎮め奉らん』
力尽くで潰した空間の歪みを、精霊を使役した力が、精霊と共に均していく。
『ふるべゆらゆらと』
ゆらゆらと、ゆらゆらと。密に集まった精霊達が清冽な力に集まり、徒人にも見える光と成り、螢の光の様に、淡くも確かに光る。
それはさながら、魔物の侵略に絶望しかけた街の人々の心に、希望という灯りを灯すように。
『一二三四、五六七八、九の十、百千、万』
古くから伝わる数え唄。例え耳にする事がなくなっても、例え世界が、文化が異なっても。全ての始まりである「数え」は、人々に安らぎを与える。
町中に広がる霊力と精霊の灯りは、1度だけ強くその存在を表すと、まるで最初から存在しなかったかのように見えなくなる。
王都に優しく静かな余韻が残る中、聞こえる筈のない柏手の音が、鼓膜を震わせた気がした。
「……これ、は……」
圧倒されたように声を揺らして漏らすのは、騎士団長。そこにあるのは、感嘆と、畏怖。
「これ程の、数え唄を……あの方は……」
呆然と言葉を震わすばかりの彼に肩をすくめて、俺は声をかけた。
「じゃ、俺は大聖堂で椎奈と合流する。あんたは街に行って、街の後始末の手伝いでもしてくれ。まだ強力な魔物が残っている筈だ」
清浄な気を取り戻し、おそらく地脈も正された今、ここは魔物にとって酷く居苦しい場所だろう。その状況で冒険者達に襲われればまあ勝てまい。が、今まで生き残っている以上一筋縄ではいかん。
そう思って告げると、彼は深々と一礼してきた。
「改めて感謝を。貴方がたのお陰で、この街は守られました。国からも謝罪と謝礼が行われるでしょうが、私個人の感謝を伝えて下されば」
「……かたっくるしいなあ。真面目人間が多くて参るわ」
椎奈といいこいつといい、何でもっと肩の力を抜いて生きていけんかね。
もう1度肩をすくめてから、俺は踵を返し、椎奈の元へと向かった。