誤算
大聖堂の奥、王族と高位の神官のみが足を踏み入れる事の許される裏庭。
「まだ制圧は終わらないのですか!」
声を荒げたのは、金髪に青い瞳の青年。直ぐ側には長い金髪に深緑の瞳の男性が静かに控えている。
「予想よりも勇者の連中が力を持っていた。幾人かの勇者を中心に魔術師どもを守り、その魔術師どもが後衛を務める。徒党を組んで戦っているせいで、なかなか魔物どもが制圧を進められない」
それに応えたのは、恐ろしい程の美貌の持ち主だった。魔族特有の赤い瞳に、銀色の髪。体つきはがっしりしていて、誰もが羨む偉丈夫だ。その低く粘り着くような声にもまた、苛立ちが滲み出ている。
「折角、あのギルドの連中をギリギリまで押さえたというのに。いくらなんでもそろそろ出張って来る筈です!」
最初に声を荒らげた青年——スーリィア国王太子が再び声を張り上げる。それに更に苛立ったのか、魔族が語調を強める。
「そもそも、決勝で路が拓かれたのがおかしい。あの路は人間などの力で開けるものではない。それが、ガレリアの勇者と冒険者が衝突した瞬間に拓くなど」
「戦闘中から、彼等が魔術を使う度に空間が揺れていました。歪みを刺激していたが為に起こる現象です。あれが偶然とは思い難い」
今まで黙っていた男性が、静かに口を開いた。その声には、残り2人のような焦りや怒りはない。
「やはり、エルドとガレリアの勇者が……」
怒りばかりだった声に、憎しみと動揺が混ざる。そんな王太子に、魔族が低い声で恫喝した。
「彼等は何もしていなかったのではなかったのか」
「いえ、それは監視していた者が確かにそう言っておりました! 唯街中を歩き回っていただけだ、と」
慌てた声が応えると、少し間を置いて、再び魔族の声が聞こえた。
「まあ、今更どうでも良い。我が軍は無限の戦力を持つ。人間どもが疲弊した頃に配下の魔族を投入してしまえば、事は為せるだろう」
「それを聞いて安心しました。ですが、やはりギルドが何も出来ない間に——」
事を成したいのだ、と言う言葉は、最後まで紡がれなかった。
王都の空一面が、六芒星を描く青い光で覆われる。はっきりと光がある、巨大なものだと分かるのに、目を射るような眩しさはない。
「これは!?」
「人間、これは何だ!?」
「……大規模な神霊魔術です! ですが、これ程の……!」
驚愕の声が3つ。これ程広域かつ強力な神霊魔術は、スーリィア国の王族や魔術師達との魔物討伐の経験を重ねた騎士団長でさえも、かつて見た事のないもののようだ。
彼等が驚きで思考を停止している間に、街のあちこちから光の柱が吹き上がる。次第に数を増やしていくそれは、エルド国の勇者が毎日歩いていた道のりを辿っている。
「……街を歩く……そうか、禹歩か!」
騎士団長が声を上げる。術の仕組みを理解したようだ。それを聞いた王太子と魔族は、それぞれ驚愕と疑問の声を上げる。
「禹歩だと!?」
「何だそれは?」
「神霊魔術による、厄を祓う足跡です。大地に魔力を蓄え、中心地で同じ足跡を辿る事でその魔力を解放、土地を浄化する役割を果たします。しかし、この規模となると、大会期間中やっていたという事になります!」
理解は出来ても信じられない、そんな語調の騎士団長に、王太子がそれ以上に不審の声を上げる。
「まさか! これを、あの勇者が1人でやっているだと!? 我が国の魔術師を全て集めたとて出来るかどうか……!」
「出来ているのだから、出来るのだろう。あの勇者、やはり殺しておくべきだったか……」
苦々しい声の魔族が、物騒な言葉を吐き出す。それに呼応し、王太子が弾かれたように騎士団長を振り返った。
「今すぐあの勇者の場所を割り出し、殺せ! 魔術が完成する前に——」
「もう手遅れです」
驚きを通り越したのか騎士団長が冷静に告げると同時に、天と地から光の槍が伸び、魔の気配を殲滅した。
「路が……!」
魔族が驚愕の声を上げたのは無理も無い。その魔術は魔物をあらかた葬ると同時に、魔物の通る路を浄化の力で強制的に塞いでしまったのだ。
単体において、魔族の力は人間を遥かに凌ぐ。それが常識とされた世界で、力業で魔族を凌ぐ力を見せつけられれば、思考くらい停止するだろう。
「凄いですね……これ程の魔術を、この短時間で成り立たせますか。準備をしていたって、普通はもっと長い時間掛かる筈なのですが……」
感心したような声色で呟く騎士団長とは対照的に、王太子と魔族の顔色は青を通り越して紙のように白い。
「……何なのだ、これは……何なのだ、これは!」
呆然と呟くうちに我に返った魔族が、激昂した。激情を白皙の面に宿し、王太子を怒鳴り付ける。
「この役立たず! 何が問題無いだ、何が試合に精一杯だ! 我の作戦を台無しにした輩が、これ程の魔術を行うだけの下準備を気付かれずにやり通した輩が、何故無能だと思った! ガレリアの勇者などを警戒していた貴様は道化か!」
「で、ですが! 彼は本当に何の力も! エルドでも侮られており、大会でも魔術の才はほぼ見せず、何ら不自然な所を見せなかったのです! なのに何故、こんな……!」
必死で言い訳をする王太子を尚も睨み付けながら、魔族は冷たく吐き捨てた。
「どのみち、我々の策は終わりだ。路が潰されては撤退せざるを得ん。魔王様に失敗を報告すればどうなるか分からぬが、勇者の事だけは奏さねば」
「お、お待ち下さい! 本当にもう何も出来ないのですか!? 貴方なら単独で街を制する事すら容易だと、そう仰っていたでしょう! このままでは、私の計画は、王位に就きギルドに圧倒的な優位を持つという計画は!」
「そんなもの知るか! 計画は失敗し、同胞に多大な被害をもたらした。かくなる上は魔王様に全てをつまびらかにし、お詫び申し上げねばならん。……いや、もうひとつ出来る事があったな。お前のお陰で」
自棄にすら聞こえた声は、最後に酷く嫌な響きを宿した。それに気付かぬ王太子が、縋るように1歩前へ出る。
「わ、私に出来る事なら何でも! ですから、どうか!」
「——ああ、役に立ってもらおうか」
どすり、と。固いものが肉を貫く、嫌な音が響いた。
「せめて、神霊を使役し王都全体に魔術を施せる上質の魔力、我らが王に献上してもらう」
「……っ、か、はっ」
ずるりと胸から剣を抜かれ血を吐き出した王太子が、糸の切れた人形のように地面に倒れ伏す。その様を、魔族は冷たく見下ろした。
「さて、早く去るか。ぐずぐずして人間に見つかれば戦わねばならん。無意味な戦闘は好かん」
そう言い捨てると、魔族は王太子の亡骸を拾い上げ、空間を繋いで王都を去ろうとした。
——その時。