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解放

『——かけまくもかしこき、伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ



 奇妙な程、冷静だった。荒れ狂い猛る感情は度を過ぎれば凪いでしまうのかと、言霊に寄せて術を喚び出す頭の片隅で思う。



筑紫つくし日向ひむかの橘の小戸の阿波岐原あわぎがはらに、禊祓いたまひし時にあれませる祓戸大神はらへどのおおがむたち』



 数多くの、死を冒涜された者達。こちらの士気を削ぐ為だけに大切な者達を殺され、自身の命をも奪われ、死して尚、安らかな眠りを許されない。

 殺された彼等が、どのような想いを抱いたのか。この私が想像を巡らせる事など、してはならない。



『諸々の禍つ事罪穢れは有らぬをば、祓へたまひ清めたまへと申す事の由を、守りたまひ幸わいたまへと申すことごとくの由を』



 けれどせめて、これ以上傷付けられ穢されぬよう。穢れを祓い清め、冥福を、来世の幸せを、と。



天津神あまつかみ国津神くにつかみ、八百万の神々とともに』



 己の言霊が喚び出せるだけの神格とともに。



『諸々聞こし召すものをとぞ、申す——』



 祈り奉り、ここにおくり出す。



 言霊の終わりと共に、居住まいを正し、柏手を打つ。鳴り響く音に応えるように、辺りが白い光で満たされた。


 穏やかで、静かな光。決して目を傷付けない柔らかな光が、死者達を優しく包み込む。


 ふわり、と。シャボン玉のように軽くて形の不確かな、けれど遥かにしっかりとした何かが、無数に浮かび上がる。光に抱かれたそれらは、ゆっくりと大聖堂の高い天井へと昇り、溶けるように消え去った。


 目を閉じ、願う。せめて彼等が先立った愛しき者達と再び出逢い、川の向こうで穏やかに次の生を待てるように、と。



 ——もうその願いが叶わぬ私と違い、彼等の生に穢れは無かったのだから。



 瞼を上げる。眠るように横たわる死者達に一礼し、ゆっくりと足を踏み出した。死者を避け、回り込み、外法を扱う愚か者の元へと。


「くそっ、貴様なんて事を!」

「なんて事? 貴様がそれを言うのか? 外法を扱い、永遠の眠りを妨げ、罪無き身を穢した貴様が」


 紡がれた声は、恐ろしいほど冷静で。己でも驚いてしまう程、冷酷だった。視線の先、外道が怯んでいる。


「死霊術。成る程、あちこちの村でやたらと魔物による襲撃があったのは、この為だったか。……魔族に地位でも約束されたか?」


 そもそも外法に手を染めたものは、甘い蜜さえちらつかせれば、簡単に掌を返す。元々外法師は普通の世界では放逐される。魔王側につくのは自然な流れかもしれない。


「愚かだな。欲に負けたか、才に溺れたか。どのみち貴様は、その道を選んだ。魔へと堕ちる路を」


 死体を挟まずに死霊術師と向き合える場所に辿り着いた。ゆっくりと左手を掲げる。青い光が模る弓の弦を、引き絞った。現れた矢の鏃を、敵に向ける。

 気圧されたように私を見つめる外道は、動かない。この場を制圧する霊力が、私の意思に応えて縛術の形を取ったようだ。



「だからこそ、容赦はしない。魔へと堕ちたモノを浄化するのは、私の務め。——貴様に、冥福などあると思うな」



 言い終わると同時に、矢を放った。場に満ちた霊力を呑み込み輝きを増した矢が、吸い込まれるように死霊術師の胸元へ突き刺さる。



 閃光のような青い光。先程の白い光とは対極に位置する、冷たく残酷な青の光が外道の命を刈り取った。



 力無く頽れる死霊術師の身体は、青い光に掻き消されるようにして消えた。魔道を極めた奴は、既に身も心も魔族に近い状態だったらしい。



 息を1つ、吐き出す。少し身体が重く感じ始めていた。

 術や霊力の行使で限界近くなったのは昨日の事。今日の決勝も、セイリードが思った以上に優秀だった為、術を使わざるを得なかった。そして、今の術と死霊術師を葬った弓。


 小崎が私に言わずに片付けようとした理由は、分かる。彼は私に、こうして術を使わせまいとしたのだ。彼は元々、私に負荷がかかる事を妙に気にしていた。



 けれど、あれは。私がやらなければ、気が済まなかった。



 もう1度、息を吐き出す。計画を進める為に必要な霊力は、なんとかある。禊をしておいたのが効を無し、身の内の霊力は正常に流れている。

 早くこんな茶番を終わらせねば。そう思い、私は駆けだした。






 塔の間と呼ばれる奥の区域に向かうと、小崎は既にその場を制圧していた。魔物の死骸が床に散らばり、彼は手の汚れを払い落とすような仕草をしている。

「おう、こっちはもう終わったぜ。今あいつらを燃やすとこだ」


 言葉の結びが早かったか、魔術が発動するのが早かったか。火の精霊魔術によって魔物が焼却されるのは、一瞬だった。


「助かる。魔力の余裕は?」

「それはあんたが訊く事じゃねえだろ。まだ余裕あるから安心しろ」


 苦笑混じりに切り返され、軽く頷く。


「予想通り、魔族と王子は奥にいる。大聖堂の裏庭って、王族や侯爵レベルの人間が塔の神霊に祈りを捧げる為の場所らしい。格好の隠れ場所だな」

「そのような場所なら、祈りが届きやすい様に地脈も通っているはずだしな。……そっちは任せる」

「おう」


 頷いた小崎は、けれど直ぐに走り出さない。腰のバッグに手を入れて小袋を取り出すと、私に放ってきた。中身を改めると、そこには6つの璃晶。


「貰いもん。俺が持ってたって使えんし、椎奈が使ってくれ。役立つだろ?」

「…………」


 無言で、差し出された璃晶を見つめる。璃晶は術の構築において晶華以上の補助効果を発揮する。当然晶華より遥かに高価だ。しかもこれは見たところかなり上質で、簡単に貰えるような代物ではない。商業都市のギルド本部や城直営の魔道具屋でのみ扱われる、高級品だ。


「わざとか?」

「ん、何がだ?」


 惚けた顔をしているが、彼があえてこれの存在を臭わせなかったのは間違いない。事前に断られない様に隠し、この状況下、押し問答をしている場合ではない時を狙って渡してきた。


 実際今は断っている時間が惜しいし、私も霊力に然程余裕が無いのは確か。一杯食わされたとは、まさにこの事だろう。


「……いや。使わせてもらう」


 この作戦でも相当手伝わせているのに、これでは頼っていると見られても仕方ない。後できちんと対価を払わねば。

 心に決めつつ、軽く頭を下げて謝意を示す。それに片手をあげて応えた小崎が、今度こそ身を翻した。


「んじゃ、お互いの成功を願って」

「ああ」


 意志を込めて言葉を返すと、小崎が振り返り笑みを零す。けれどそれは一瞬の事、地を蹴った彼は、直ぐに姿を消した。



 深く、息を吐き出す。肺の空気を入れ換える事で、完全に意識を切り替えた。



 空を仰ぎ、王都全域に意識を向ける。予想通り、事が始まった今、王太子による隠蔽の神霊魔術は解かれている。否、瘴気に負けて消し飛んだか。


 今この街は、魔族が地脈を乱すように設置した空間の歪み——魔王の居場所と街を繋ぐ路が拓かれ、魔物が続々と雪崩れ込んできている。

 ここに来るまでに確認した限りでは雑魚ばかりが出てきているが、少しずつ強力な魔物も投入されるだろう。魔物を倒す者達が疲弊してくる頃には、魔族も来る筈だ。



 ——そうなる前に、魔物を祓い、路を塞がなければならない。



 璃晶を取り出し、霊力を込めて投げる。宙を滑るようにして散った璃晶が、規則正しく床に配置される。


 魔法陣にもよく扱われる、6つの頂点を持つ星。六芒星ともヘキサゴンとも呼ばれるそれを、陰陽師は籠目かごめと呼ぶ。


 籠目は敵を閉じ込め封印するというのが元の意味だが、いくつかの有名な陰陽師の家系列がその形を描く事を「奥の手」としたことで、籠目は強力な術を扱う時の要となった。


 足を揃え、神霊の焔に正対する。どんなに穢されていても、そこは確かに神霊の御座。


 深く息を吸い込み、2つ礼をする。柏手を打ち、もう1度礼。2礼2拍1礼、神事の基本だ。



『かけまくもかしこき、天地あめつちのはじめ』



 晶華が淡く輝き、籠目を形作る。



『高天原にあれませる、三津みつ大神おおがむたち』



 言霊に呼応し、籠目紋が脈動する。



天御中主あめのみなかぬしといふ大神、高御産霊たかみむすひといふ大神、神産霊かみむすひといふ大神たち』



 青い光が鋭く輝き、天井が同じ形を弾き返す。



『ここにわざわいなす悪しき魄等ものどもを、祓いたまへ清めたまへと申しことの由を』



 床と天井。合わせ鏡の様に輝く籠目紋は互いを増幅し合い、王都の空を覆う。



『天津神国津神、八百万の神々とともに、諸こと聞こしはべものをぞと、申す』



 空に輝く籠目紋と、王都に広がる微弱な霊力を意識しつつ、刀印を結ぶ。



『謹請』



 刀で素早く、籠目を一筆に描いた。



天蓬てんほう



 左足を、1歩踏み出す。王都で踏み続けた霊力と、繋がる。



天内てんない天衝てんしょう天輔てんほ天禽てんきん天心てんしん天柱てんちゅう天任てんにん



 右足を左より前に踏み出す。左足を右足の水平線上に揃える。右足を踏み出す。左足を右足よりも前に。右足を揃える。左足を1歩。右足を左足より前に。


 1つ1つの足跡が、地を介して街を練り歩いた足跡と繋がっている。今その場所は強く輝き、それぞれが繋がっている事だろう。


 上空の籠目との位置関係、踏んだ足跡の作る形。全てが霊力を循環させ、街全体に広がっていく。



天英てんえい!』



 左足を踏みしめるように、右足の水平線に揃える。途端今までの足跡が全て繋がり、九星を形作った。



 毎日同じ道のり——九星を模る道のりに、霊力を少しずつ染みこませていった。自然に、僅かに、確かに。


 そうして蓄えられた霊力が今解放され、天へとその姿を映す。その輝きは大聖堂から昇り輝く籠目紋と重なり、激しく、けれど目を眩ませる事もない光と化す。


 もう1度籠目紋を切り、言霊を王都中へ響かせるように声を張った。



『——万魔拱服!』



 輝きというエネルギー放散を極力抑えられた光が、雷のように降り注ぐ。同時にこの床から地面を介して伝わった術が吹き上がり——



 ——王都と魔王領を繋ぐ路を吹き飛ばし、ほぼ全ての魔物を消し去った。


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